第五嚢:海の果てに溶ける絶望
内容:一人称俺。吸血鬼とハンター。性転換。ご都合展開。
俺の名前は、ルーシー・ウェステンラ。
母親の名前はエリザベート。父親の名前はジル。
一番上の兄の名前はジョン。二番目の兄はジャック。三番目の兄はジョージ。
俺の寮の部屋の右隣に住んでいるのはペーター。左隣に住んでいるのはフリッツ。
寮長はヘイグ。委員長はハンス。担任はクリストファー。
そして、目の前で土下座している男の名前がヘンリー・アーヴィングである。
「頼む!オレと結婚してくれ!」
目の前のヘンリー・アーヴィングは地面に額を擦りつけて、そんなことをのたまった。
俺はもう一度自分に関係する人たちの名前を頭の中で繰り返す。
そして、自己と他者を改めて見つめ直してみる。
どこかの偉い人が言っていたが、青年期に大切なのはアイデンティティを確立させることらしい。
自己の存在意義や一貫性、社会との相互関係を理解し、自分の役割を意識することが重要だという。
俺に今求められているのは、まさにそれであった。
俺は何度も自分を見つめなおした。
その結果、わかったことが一つあった。
「俺は男だ」
なんと、まさに目から鱗の大発見である。
*****
さて、そんなこんなで立派にアイデンティティを確立した俺は、未だに頭の中が乳児期な土下座男に同性であるということを伝えた。
土下座男の頭に片足を乗せ、体重をかけて、懇切丁寧に教えてあげた。
すると、男は見事に足りない頭で俺の言うことを理解した。
だがその上で男は俺に結婚してほしいと訴えた。
そこから出される答えは一つだ。
つまり、この男は同性愛者なのだ。
何年も友人づきあいをしてきたが、まさかこの男が俺の色気にやられていたとは思わなかった。
同性をも惑わす色気を持つ俺はなんて罪深い存在なのだろう。
俺は憐みの視線を男に向け、数歩男から距離をとった。
「悪い。だが、俺は…」
「え?なんで離れるの?ちょっと」
「それ以上近付くな!…ああ、俺が悪いんだ。美しすぎる魔性の男であるこの俺が…」
「いや待って。本気で走って逃げてかないで!」
駆けだそうとした俺の足に縋りつく男。
とりあえず、男を説得するが、何度叩いても男は体を離そうとはしない。
それどころか、むさくるしい体を押し付け、俺に精神攻撃を加える始末。
とうとう耐えきれず、俺は男に降参の意を告げ、男の話を聞くことにした。
そうして長い時間がすぎた。
男は自分の生まれから現在に至るまでを感情を織り交ぜながら熱く語り、時には涙しながら体をゆすって話しつくした。
つまり、要約すると、こういうことだった。
「両親が婚約者を連れてきて、そいつが気に食わないから婚約破棄をするために、彼女を連れていきたい。そこで俺の登場というわけか」
なんてことだ。たったの二行で説明できた。
「そういうこと。結婚してくれる?」
「他をあたれ」
全く意味がわからない。人選ミスもはなはだしい。
しかもこんなにくだらない話に長い時間付き合ってやっただけでも、俺の優しさに感謝してほしいところだ。
けれど、男はそれに感謝することもなく、賢明な判断をくだした俺の答えに不満を露わにした。
それでも俺は紳士なので内心の苛立ちを表情にださなかった。さすが俺である。
「いたたたた!その、すぐ蹴るくせなんとかして!」
「ああ、悪い、足が滑った」
「棒読みで謝られても…なあ、頼むよ。愛してるんだ。お前にしか頼めない。それに、他に女の知り合いもいないから偽の彼女も立てられない。同情でもいい。オレを可哀想に思って、頼まれてくれ」
男は俺の同情を引くために、わざと自分の恥を告げたが、俺には全く効果のない説得だった。
なぜなら、俺にも女の知り合いがいないからだ。
だから男に同情を抱くこともなければ、優越感を持つこともない。
だが、俺の場合女の知り合いがいないのは目の前の男と違って、容姿や性格や家柄のせいではない。
全て、この学園の体制のせいなのだ。
名門だろうとなんだろうと、世界中の男子校は滅びてしまえ。
「オレは男でも女でもお前ならどっちでもいいんだけど、家族が女じゃないと意地でも納得してくれないからな。困った奴らだよ。でもほら、お前、女になれるぅごふうぅぅぅ!!」
「黙らないと殴る」
「殴る前に言って!」
「そんなことより貴様は今何といった?俺が女になれるだと?ふざけるな。そんなわけが」
「だって、高位魔族は性転換できるんだろ?」
男のきょとんとした表情がなんと憎らしいことか。
まさか馬鹿だ馬鹿だと思っていた今までの行動が全てフェイクで、俺がこんな男の掌で遊ばれていたとは誰が想像できただろう。
俺はギリギリと唇を噛みしめ、男に向かって再び拳を振り上げる。
それを見て、慌てたように男は顔を真っ青にさせた。
「暴力反対!」
「…俺が魔族だといつ知った」
「最初からだけど?」
最初からだと?!
衝撃に体から力が抜け、思わず地面に倒れそうになる。
その体を男が手を伸ばし、支えようと腰に手を回される。
「おい!大丈夫か?」
「うるさい…それより貴様どうして俺が…」
「ああ。吸血鬼ってこと?いやあ、気付かないわけないじゃん。だって、お前、いつもオレの血吸うし」
何を今更…という可哀想な人を見る目がむかついたので殴り、我にかえる。
俺の正体がばれていた?
吸血すると同時に人間には暗示がかかるはずだ…
「…まさか暗示がかからない?」
何万分の一の確率で稀にそういう人間がいると聞いたことがある。
その僅かの可能性に俺が最悪なことに出会ってしまったのか?
眩暈がして、男の支えなしには立っていられない。
男に触られるのは気持ちが悪かったが、体にどうにも力が入りそうになかった。
「…最悪だ」
「なんで?女になれるんだろ?」
「…ああ。なれる。なれるが!…貴様、俺が女になるということがどういうことかわかっているのか?いや、理解しているはずがない。理解していたらそんなふざけたことをぬかすはずがないからな」
「頼むよ~。オレ、まじで困ってんだからさ」
「困ってるのはこちらのほうだ!人間に正体がばれた上に、その人間を殺してもないなんて、掟を二つも破ってしまった俺以上に困ってる輩など絶対いない。断言する」
「オレのこと殺すのか?」
不思議そうに俺の顔を覗き込む男に思わず舌うちをする。
憎たらしい顔をしやがって。
「……殺すなら、こんなに悠長に貴様なんかと話しているわけないだろ、馬鹿が」
何をにやついてる。
言っておくが俺は貴様の言う『つんでれ』なんかじゃない、勘違いするな!
「………っち。途方もなく、これ以上ないまでに嫌だが、こうなったら打つ手は一つしか考えられん。…契約だ」
「契約?」
「契約をしたら、掟は守られたことになる。俺は一族に命を狙われるはめにもならず、貴様も婚約どころの話ではなくなる。ざま…よかったな」
「何するんだ?」
「貴様は黙って俺に血を吸われてればいい。全て俺がやる」
不思議そうにする男の肩に両手を起き、少し体を離す。
そして、目を瞑り、体の不快感をこらえながらも、呪文を唱える。
熱を発する体がみしみしと音をたてて、変化していく。
うめき声を漏らしながらもなんとか唱えきる。
痛む体をまるめ、うずくまる。
周りでおたおたとしている男が煩わしいが、とりあえず力を体中に分散させることに集中させ、変化を促した。
そして何度か呼吸を整え、再び立ち上がると、全ては終わっていた。
「わお」
「いいか。むかつくから何も言うな。言ったら殴る」
「ああ…だけど、びじ…ごめんごめん、何もいいません。殴らないで」
「………言っておくが、これは別に貴様のためなんかじゃない。全て契約のためだ。男女でなけれいけないというふざけた制約のためで仕方なく…」
「わかってる。ありがとな」
こちらを見てヘラヘラ笑う顔に耐えきれず、拳を振りおろした。
それにしても、と俺は視線を下ろし、自分の胸を見つめた。
他の女の体についていると魅力的なのだが、自分の体についているとただの脂肪にしか見えないのが残念でならない。
身長も低くなっているし、更に言えば、声が高くなったことに違和感をぬぐえない。
不満はあげつらねればきりがなかった。
俺はどういうわけかジャストフィットしている服の中から手鏡を取り出し、美貌が損なわれていないか確認した。
もともと中性的な美少年だったから、少し肉付きがよくなっただけであまり変化は見られない。
それでも素晴らしく美少女に見えるのだから、さすが俺である。
そうして確認を終えて、ぼーっとしている男に再び向き直る。
「最後に一応聞いておく。もう取り返しはつかないが、契約をすれば貴様はただの人間ではなくなり、俺の同族となる。それでもいいのか?」
そう言った俺を男は少し笑って答えた。
「プロポーズしたのはオレが先だぜ?大丈夫。覚悟は決めてたからさ」
男は胸元から取り出した十字架を放り出した。
十字架は一瞬強く光り、そして地面にゆっくり落ちていった。
俺はそれを見届けると男の首筋に牙を立て、ゆっくりと吸い上げ………十字架?
「…貴様あれは」
「え?ああ。もう必要ないからさ。けじめは大切だろ?今からオレの家族に結婚宣言と宣戦布告をするわけだから。それにしても、なんかあれがないと首筋がすっきりするな。あ、契約ってこれで終わりなの?結構簡単なんだな。特に何が変わったって思えないけど」
「いやこれから数日間かけてこれを繰り返すことで変化が…って、それよりも貴様、いや貴様の家系はまさか…」
既に契約はなされた後だ。
ひきつった表情を浮かべる俺とは対照的に笑みを浮かべる男はあっさりと言い放った。
「ヴァンパイアハンターだけど?どうかした?」
どうかしたかも何もない。
「……よし。殺す。さくっと殺す。メタメタに殴り殺す」
「え?なんで?今結婚の契りを交わしたばかりじゃん?」
「誰と誰が交わした?!俺と貴様がしたのは契約であって、結婚ではない!」
「似たようなもんじゃん」
「全く違う!あとじゃんじゃん言うな!しかも貴様よりにもよってハンターだと?!だましてたな!俺に近づいたのもそのためか!」
「んーまあ最初気付いた時はな。でも今は違う。オレもお前を愛してる」
「俺は愛していない!くそ!こんな男に騙されてたなんて!どうしてくれる!契約は破棄できないんだぞ!くそおおおおおおお!!」
「おいおい。だから騙してたのは最初だけだって。それに責任とるって言ったろ?え、言ってない?まあとにかくオレはなんとしてもお前と結婚する。そのためにハンターからは足を洗う。家族にお前を紹介して」
「敵本拠地にむざむざ殺されに行ってたまるかあああああ!!」
「大丈夫。オレが守る」
「信じられるか!」
「信じてよ」
男は俺の手を両手で包みこみ、見たこともないような真剣な表情で俺の瞳をじっと見つめた。
だが、そんな真剣な表情で俺をまるめこもうとしても無駄だ!
確かに、こうして表情をひきしめるとなかなか見れる顔立ちをしているが俺は女じゃない!
そんな甘言にも顔にも騙されるか!
「………………………………だがまあ、貴様が俺に生涯の服従を誓うのなら信じてやらないこともないかもしれない。あくまで可能性の一つだが」
と、小声で言ったが男にはばっちり聞こえたらしく、大声で男は「それって逆プロポーズ?!」と叫んだ。
とりあえず殴っておいた。
追記:ハンター界に激震走る。ヘンリーは神に祝福されたと言われる本家本元の長男、将来有望のハンター。