第四嚢:バーナムの森は動かない
内容:一人称俺。王と男装女。消すかもしれない。
「戦争?」
訝しげに聞く俺に対して男はそっけなくうなずいた。
男の言葉に嘘はないだろうと思いながら、テーブルの上に置かれた紅茶を飲む。
紅茶好きでもなければ、味の違いもよくわからない素人だけれど、香りが気に入っているのでダージリンを好んで飲んでいた。
目の前の男には青臭くて薄いと酷評されたがやはり春摘みはいい。
すっきりした味わいに満足を覚える。
「なんだってまたこんな時期に」
カップをソーサーの上に置く。
無地で白のカップの中で淡いオレンジ色が微かに揺れる。
不機嫌そうな顔をした男の顔を見るよりもよほど癒される光景だ。
そう思いながらも俺は腕を組み、椅子に深く腰かけた。
ぎしりと軋む椅子は年季を感じさせたが、その分愛着も感じているため、どうにも新しい椅子に買い替える気がおきない。
「陛下も即位したばかりじゃないか。一体何を焦っているんだ」
「庶子だからだろう。内外からの風当たりが強い。手早く自らの力を誇示したいのだろう」
「気に食わないな。それに今は外よりも内に目を向けるべきだ。陛下の周囲にどれだけ信用できる臣下がいる?傀儡政権を企てる大臣に、失脚を狙う次男派の貴族、情報漏洩と暗殺を模索する隣国のスパイ。更に言えば軍の癒着にレジスタンス。国内の混乱具合は他国にも伝わるほどではないか。これでは始まる前から結果は見えている。戦争をしかけるなど、他国に侵略される口実を与えるだけだろう。誰が考えてもわかりきっていることだ。陛下の一番の不幸はそれを忠言し、頭を冷やすように宥めてくれる家臣がいないことだな」
目を瞑り、深く溜息を吐く。
耳をすましても俺と男の息づかいしか聞こえず、静寂の満ちた空間にいつもの憂鬱が襲いかかる。
去年の今頃であれば慌ただしく屋敷内を行き来する使用人たちの足音が聞こえたものだった。
だがそれも遠い昔の話。
数週間前に最後の使用人に暇を出した。
そして数日とたたないうちに住み慣れたこの屋敷も売り払うはめになるのだろう。
没落した貴族の身では未来は暗い。
プライドを投げ捨て生に縋るのも一興だが、どうにも疲れ果てた心は死神に惹かれているようだ。
それでも何度も繰り返した思考は再び同じ場所へと戻り、こうして苦しみの淵へと立たせる。
だから今の俺にとって、男の訪問は気分転換となっていた。
「我等はどちらにつくべきか。貴殿はどう考える」
「…俺としては陛下だな」
「エドガー殿下は貴殿の目にかからないか」
「殿下は国を治める器ではないよ。正妃の子でありながら、前王に選定されなかった事実からもそれが証明されたようなものだ。それに、あの貴族どもに付け込まれているようでは先が見えている。この国の財政を食いつぶした元凶にな。それよりならば、陛下のほうが見込みはある。今のところ側室もいないし、何より色に溺れていない。後宮に頭を悩ます必要がない上に、貴族どもが手を出す隙がないことは評価できる。確かに今は短慮な性格故に危うさばかりが目立つが、あの方の能力を伸ばす環境が整われれば、我が国は栄華を手にすることができるだろう。庶子というレッテルばかりが目立ち、愚か者という噂が出回っているが、陛下の才は始祖をも超えるものだと俺は思っている」
そこまで言って、瞼を開ける。
俺の言葉に男は困惑を露わにしていた。
「よほど陛下を買っているようだ。だが私には貴殿のように思えない。確かに人を惹きつける魅力はある。頭の回転もいい。しかし、陛下は短気がすぎる。前王に忠誠を誓っていた聖騎士たちを処罰した時、私は陛下の才に見切りをつけた。あんな仕打ちをするのだ。陛下が家臣に見切られ、恵まれないのも仕方がないのではないか。それに…それは貴殿が一番よく理解しているだろう」
椅子の背もたれから起き上がり、テーブルへと手を伸ばす。
カップを手に取り、温くなってしまった紅茶を飲みほす。
渇いていた喉は潤い、舌にはわずかな苦みが残った。
「陛下は…陛下は人を信じるということをしらない。それを教えてくれる人間が傍にいなかったんだ。陛下は十分に王の資質を持っている。だが、一つだけ足りない。その欠落に今足元をすくわれている。そう、一人でいい。陛下を支える人物がいてくれたら…」
「貴殿ではだめなのか」
「冗談はやめてくれ」
「だがあんな仕打ちを受けておきながら、貴殿ほど陛下を信じ、忠誠を誓っている者は他にいないだろう。貴殿であれば陛下を、いやこの国を」
「俺を買いかぶりすぎだな。それに、没落した身である俺には分不相応にもほどがある。さて、そろそろ日も暮れる。確か、夕方から会合があるのだろう?」
「…ああ。そうだな。今日のところは帰らせてもらう。貴殿の話は参考になった。他の連中にも伝えておこう」
「何かの参考になれば幸いだ。あなたたちの幸運を祈っている」
「……明日か明後日にまた寄らせてもらう。その時にもう一度貴殿と話をしたいのだが」
「わかった。待っている。時間だけは無駄にあるから大丈夫だ」
そう言って笑顔を浮かべて見せたが、俺に与えられた時間は限られたものであった。
嘘に気付かず、男は別れの挨拶を告げ、屋敷をあとにした。
テーブルの上に置かれたカップの中には空虚だけが残された。
*****
「もう一度言ってくれないか?」
男が最後に訪ねてきてから二日ほど経った昼過ぎのこと。
既に屋敷の買い手はつき、愛着はあるが、そろそろ重たい腰を上げる時が来たと思っていた矢先のことである。
宣言通りに男は再び屋敷に姿を現した。
余計なお荷物を連れて。
「我々とともに陛下にお目通りをお願いしたい」
家具が売りに出され、殺風景な室内の中、一つだけ残された椅子に腰かける。
愛着のある分年季を重ねた椅子はやはり売ることはできず、俺と同じように一人残される身となった。
俺は肘掛けの部分を撫で、再び男に向き直る。
軍の正装をした男の胸には銀色に徽章が光っていた。
俺はそれを少し眩しく思い、目を細める。
「既に俺は陛下の御前に建てるような者ではない。なぜ俺を?」
「この前貴殿と話し、私は貴殿が昔と変わらず忠誠を誓う姿に感銘を受けた。そして、我々で話し合いを進めた結果、貴殿が我等の代表にふさわしいという結論に落ち着いた」
俺は椅子にもたれ、深いため息を吐く。
そして視線を横に動かし、男の連れてきた見覚えのある四人の男たちを見た。
『阿呆』のオールバニ中佐、『残酷』のコーンウォール少佐、『臆病』のマクダフ大尉、『愚鈍』のレノックス中尉。
総じて軍内での評判がよろしいと言えない連中ばかりである。
貴族としても中堅もしくはそれ以下であり、年齢の若さと階級の低さが目についた。
そうはいっても俺よりは年齢も階級も上だ。
「代表とは?」
「国王軍元帥だ」
呆れたような視線を向けたが、男の表情はぴくりとも動かない。
「国王軍にはすでに元帥がいたと思うが」
「軍は既に内部から腐敗しきっている。我等は既存の軍を捨て、新たな軍を造り上げなくてはならないと考えた。だが政治の中枢も乱れ、我等をまとめあげられる実力を持つ統率者が見つからない。今は私が代わりを務めているが、私では決定的な不足がある。そこで貴殿に願い出た」
「不足?」
「血だ」
「血」
「既に軍部の貴族連中のほとんどが癒着に手を染め、我等はそれに対抗する形をとっている。そのために家柄が低い者ばかりである。我等はそれを恥じたりはしないが、連中は我等を侮り、陛下と会見することもままならない。我々に必要なのは上の連中を黙らせ、下の連中を従わせるカリスマを持つ、王家と対等に渡り合える血の持ち主だけなのだ」
「それが俺だと?」
頷く男から視線を移し、隣に立つオールバニ中佐をみる。
「あなたたちはどう思っているんだ?不満があるように見受けられるが」
「吾輩には到底聖騎士などという軟弱な輩が信用に値するとは思えん。しかも貴様ときたら、聖騎士としての名すら剥奪された没落貴族とくる。…だが現状、貴様しか我等につこうとする者がいないのは確かだ」
「俺はまだそちらにつこうなど言っていないが…。コーンウォール少佐は得体の知れない俺のような人間を元帥と仰ぐことは不満ではないのか?」
「まあ、いい気分ではないですが、正体ならこの上なく理解していますよ。聖騎士ポローニアスの息子、レアティーズ。神族の血脈とされる神子の子孫」
「その上、教会のスパイで国王の犬だろうが。ああ、今は違うよなあ、捨て犬君。……だがまあ、気に食わねえが、大佐の言い分にも一理あるとは思う」
「そうですね。大佐がそう決めたのなら僕は大佐について行くだけです」
背に腹はかえられないとレノックス中尉とマクダフ大尉が追従する。
随分と物分かりが良い。
マクダフ大尉はともかく、他の三人は俺を入れるのには猛反対したはずだ。
俺は男、ソーフィン大佐に再び視線を戻した。
「どうだろうか」
男は無表情でこちらをうかがっていた。
これだけは言える。
まったくもって気に食わない。
思わず唇に浮かぶ笑みを片手で覆い隠した。