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ゾンビ人間

作者: 蔭翁
掲載日:2026/08/06

タイトル:ゾンビ人間


 人は、心で生きている――そう教えられてきた。


 だが、この街では違う。


 「ゾンビ人間」と呼ばれる存在がいる。彼らは心を持たない。ただの肉体と、精巧に動く感情だけで生きている。怒り、悲しみ、喜び、恐怖――すべてを表現するが、その奥に“心”はない。


 そして厄介なことに、見分けはつかない。


 ◆


「ねえ、最近また増えてるらしいよ」


 昼休みの教室で、クラスメイトの佐藤がそう言った。


「何が?」


「ゾンビ人間。検査にも引っかからないやつ」


 僕は笑ってごまかした。

 そんな都市伝説、信じているやつがいるなんて。


 だが、隣の席の彼女――宮坂由奈は、なぜか黙ったままだった。


「どうした?」


「……もしさ」


 彼女は、少しだけ遅れて口を開いた。


「目の前の人が、ゾンビ人間だったら、どうする?」


「どうって……別に変わらないだろ。普通に接するよ」


「そう」


 彼女は微笑んだ。

 完璧な、どこにも違和感のない笑顔だった。


 ◆


 それから数日後、奇妙な出来事が起きた。


 帰り道、事故を見た。


 自転車の男がトラックにはねられたのだ。音もなく、身体が宙に浮いて、地面に叩きつけられた。


 周囲は騒然となった。


 だが――


「痛いなあ」


 男は、立ち上がった。


 血まみれのまま、普通に。


 骨が明らかに折れているはずなのに、彼は笑っていた。


「いやあ、びっくりした」


 それだけ言って、そのまま歩いていった。


 誰も、追いかけなかった。


 誰もが理解したからだ。


 あれは、“ゾンビ人間”だと。


 ◆


「見た?」


 翌日、宮坂が聞いてきた。


「……ああ」


「どう思った?」


「怖い、かな」


 正直な感想だった。


 感情はあるのに、壊れても死なない。

 壊れても、壊れたことを理解していない。


 それは、人間なのか?


「ねえ」


 彼女は僕の目をまっすぐ見た。


「“心”って、何だと思う?」


「何だって……」


 答えに詰まる。


 そんなこと、考えたこともなかった。


「悲しいって思うこと? 痛いって感じること? それとも、誰かを好きになること?」


「全部じゃないのか?」


「じゃあ、それが全部できたら、人間?」


「……そうじゃないのか?」


 彼女は、少しだけ首を傾げた。


「でも、それ全部、ゾンビ人間もできるよ」


 言葉が、刺さる。


「じゃあ、違いは?」


 僕は、答えられなかった。


 ◆


 その日の放課後。


 宮坂に呼び止められた。


「ちょっと来て」


 連れていかれたのは、誰もいない旧校舎の一室だった。


「ここ、好きなんだ」


 彼女は窓際に立ち、外を見ていた。


 夕焼けが、彼女の輪郭を赤く染める。


「ねえ、最後に聞くね」


 振り返る。


「もし、私がゾンビ人間だったら――どうする?」


 その問いに、なぜか胸がざわついた。


 ただの仮定のはずなのに。


「……それでも、宮坂は宮坂だろ」


 自分でも驚くほど、すぐに言葉が出た。


「だったら、何も変わらないよ」


 沈黙。


 彼女は、しばらく僕を見つめていた。


 そして――


「そっか」


 小さく笑った。


 その瞬間。


 彼女は、自分の腕を、窓ガラスに叩きつけた。


 バリン、と音がした。


 ガラスが砕け、彼女の腕が深く裂ける。


 血が流れる。


 だが――


「痛いね」


 彼女は、笑った。


 まるで、誰かの真似をするように。


「ちゃんと、痛いって言えてるでしょ?」


 僕は動けなかった。


「悲しいとも言える。怖いとも言える。好きとも言える」


 彼女は、一歩近づく。


「でもね」


 その瞳だけが、空っぽだった。


「私には、“それを思う何か”がないの」


 ぞくりとした。


 言葉ではなく、本能が理解した。


 目の前の彼女は――


「ずっと前から、そうだったよ」


 彼女は微笑む。


 完璧な、どこにも違和感のない笑顔で。


「でも、あなたは“変わらない”って言ってくれた」


 その言葉に、胸が締めつけられる。


「だから、ひとつだけ、わかったの」


 彼女は静かに言った。


「人間とゾンビ人間の違いは、“心があるかどうか”じゃない」


 夕焼けが、完全に沈む。


 部屋が暗くなる。


「誰かが、それを“ある”って信じてくれるかどうか」


 その瞬間。


 彼女の笑顔が、ほんのわずかに歪んだ気がした。


 それが、僕の見間違いだったのかどうか――


 今でも、わからない。


 ◆


 数日後。


 宮坂由奈は、転校した。


 理由は誰も知らない。


 ただ一つ、確かなことがある。


 あの日から、僕は時々考える。


 目の前の誰かは、本当に“心”を持っているのか。


 それとも――


 僕自身が、すでに“ゾンビ人間”なのではないかと。

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