ゾンビ人間
タイトル:ゾンビ人間
人は、心で生きている――そう教えられてきた。
だが、この街では違う。
「ゾンビ人間」と呼ばれる存在がいる。彼らは心を持たない。ただの肉体と、精巧に動く感情だけで生きている。怒り、悲しみ、喜び、恐怖――すべてを表現するが、その奥に“心”はない。
そして厄介なことに、見分けはつかない。
◆
「ねえ、最近また増えてるらしいよ」
昼休みの教室で、クラスメイトの佐藤がそう言った。
「何が?」
「ゾンビ人間。検査にも引っかからないやつ」
僕は笑ってごまかした。
そんな都市伝説、信じているやつがいるなんて。
だが、隣の席の彼女――宮坂由奈は、なぜか黙ったままだった。
「どうした?」
「……もしさ」
彼女は、少しだけ遅れて口を開いた。
「目の前の人が、ゾンビ人間だったら、どうする?」
「どうって……別に変わらないだろ。普通に接するよ」
「そう」
彼女は微笑んだ。
完璧な、どこにも違和感のない笑顔だった。
◆
それから数日後、奇妙な出来事が起きた。
帰り道、事故を見た。
自転車の男がトラックにはねられたのだ。音もなく、身体が宙に浮いて、地面に叩きつけられた。
周囲は騒然となった。
だが――
「痛いなあ」
男は、立ち上がった。
血まみれのまま、普通に。
骨が明らかに折れているはずなのに、彼は笑っていた。
「いやあ、びっくりした」
それだけ言って、そのまま歩いていった。
誰も、追いかけなかった。
誰もが理解したからだ。
あれは、“ゾンビ人間”だと。
◆
「見た?」
翌日、宮坂が聞いてきた。
「……ああ」
「どう思った?」
「怖い、かな」
正直な感想だった。
感情はあるのに、壊れても死なない。
壊れても、壊れたことを理解していない。
それは、人間なのか?
「ねえ」
彼女は僕の目をまっすぐ見た。
「“心”って、何だと思う?」
「何だって……」
答えに詰まる。
そんなこと、考えたこともなかった。
「悲しいって思うこと? 痛いって感じること? それとも、誰かを好きになること?」
「全部じゃないのか?」
「じゃあ、それが全部できたら、人間?」
「……そうじゃないのか?」
彼女は、少しだけ首を傾げた。
「でも、それ全部、ゾンビ人間もできるよ」
言葉が、刺さる。
「じゃあ、違いは?」
僕は、答えられなかった。
◆
その日の放課後。
宮坂に呼び止められた。
「ちょっと来て」
連れていかれたのは、誰もいない旧校舎の一室だった。
「ここ、好きなんだ」
彼女は窓際に立ち、外を見ていた。
夕焼けが、彼女の輪郭を赤く染める。
「ねえ、最後に聞くね」
振り返る。
「もし、私がゾンビ人間だったら――どうする?」
その問いに、なぜか胸がざわついた。
ただの仮定のはずなのに。
「……それでも、宮坂は宮坂だろ」
自分でも驚くほど、すぐに言葉が出た。
「だったら、何も変わらないよ」
沈黙。
彼女は、しばらく僕を見つめていた。
そして――
「そっか」
小さく笑った。
その瞬間。
彼女は、自分の腕を、窓ガラスに叩きつけた。
バリン、と音がした。
ガラスが砕け、彼女の腕が深く裂ける。
血が流れる。
だが――
「痛いね」
彼女は、笑った。
まるで、誰かの真似をするように。
「ちゃんと、痛いって言えてるでしょ?」
僕は動けなかった。
「悲しいとも言える。怖いとも言える。好きとも言える」
彼女は、一歩近づく。
「でもね」
その瞳だけが、空っぽだった。
「私には、“それを思う何か”がないの」
ぞくりとした。
言葉ではなく、本能が理解した。
目の前の彼女は――
「ずっと前から、そうだったよ」
彼女は微笑む。
完璧な、どこにも違和感のない笑顔で。
「でも、あなたは“変わらない”って言ってくれた」
その言葉に、胸が締めつけられる。
「だから、ひとつだけ、わかったの」
彼女は静かに言った。
「人間とゾンビ人間の違いは、“心があるかどうか”じゃない」
夕焼けが、完全に沈む。
部屋が暗くなる。
「誰かが、それを“ある”って信じてくれるかどうか」
その瞬間。
彼女の笑顔が、ほんのわずかに歪んだ気がした。
それが、僕の見間違いだったのかどうか――
今でも、わからない。
◆
数日後。
宮坂由奈は、転校した。
理由は誰も知らない。
ただ一つ、確かなことがある。
あの日から、僕は時々考える。
目の前の誰かは、本当に“心”を持っているのか。
それとも――
僕自身が、すでに“ゾンビ人間”なのではないかと。




