きさらぎ駅
彼は眠っていた。電車の中で。仕事での疲れではない。遊び疲れである。
久しぶりの遠出で起き続けていたのもあるかもしれない。脳が興奮していたのもある。
降りる駅までは時間はたっぷりとある。眠ってしまおう。彼はそう思い、座席で眠りに落ちたのだ。
それが世間に残された、彼の最後の記録だったのである。
彼は目が覚めると、駅のホームに立っていた。手持ちのガラケーで時刻を確認する。深夜1時。終電はもう無い。駅名を見る。そこにはきさらぎ駅とだけ書かれていた。知っているようで知らない駅名である。
彼は時刻表を探す。どの駅やバス停にも時刻表はあるのだから。しかし、時刻表は見つからない。
彼はよく探していた。けれども、どんなに探しても見つからないのだ。彼がショックで固まっていると、どこからか白装束を着た一団が突如として現れた。
しかも棺桶を背負っている。彼は恐怖を感じ、線路の上を走っていった。逃げ出すようにして。
あれは何だったんだ。どうして棺桶を背負っているのか。今は深夜だぞ。何もかもがおかしい。
彼の胸中にはそのことばかりあった。普通ではない状況であったのだから。そして、転んでしまう。痛みを感じる。これは現実なのだと思い知らされる。夢であれば痛みを感じないのだから。
彼は身を起こす。背後から視線を感じる。そこには片足だけの老人がいて笑っていた。不気味な笑みを浮かべて。
いつの間にいたのだろうか。彼が転んでからならば時間がおかしい。老人が片足だけで立っているのだから。恐怖を感じ、彼は直感に従うままに走り出す。すると祭囃子の声が聞こえた。深夜だというのに。
こんな時間に祭りをしているなんておかしい。普通でないことが次々と彼の前で起きている。恐怖で身体が強張るのを感じる。夢ならば覚めてほしい。なのに、現実味を帯びている。もはや疲れで、現実なのか夢なのか分からない。
彼は茫然としたまま歩いていると、今度は目の前にトンネルが現れた。灯りの無いトンネルである。しかし、奥にはトンネルに無いはずのものが視えている。青白い手が何本も、手招くように伸ばされていた。明らかな異常である。彼は引き返すことにした。先に進んでも良く分からない、駅に戻るだけなのだから。
時刻をガラケーで確認する。深夜1時で止まっている。体感では何時間もいるのに。壊れてしまったのだろうか。理由は分からない。
駅の反対側には何があるのだろうか。もしかしたらそっちに行けば、帰れるんじゃないだろうか。どうなるかは分からないけれども。
彼はそう思い、振り返ると、そこには通ったはずのないトンネルがあった。しかし、その先には光があった。明るい光である。まるで、こっちに来いと言っているような感じである。
光を見続けていると、不思議と身体が動いていた。まるで光に引き寄せられるかのようにして。
どこからか安心感を感じられる。今まで体験した事を忘れてしまえるような。そんな感じがしていた。
この先に行けばこんな訳も分からない状況から抜け出せる。そう彼は思ったのだ。
足元は光に近づいている。安心感が徐々に強まってきている。帰宅できる。帰ったら早々と眠りに着こう。
眠気が襲ってきた。安心できると身体が感じている。そんな気さえしてきた。微睡みながら意識を手放していく。そして、彼は立ったまま眠ってしまったのだ。
光は嘲るような笑みを浮かべると、彼を連れたまま静かに沈み込むように、線路の下に潜っていったのである。
彼の恐怖はまだ終わらないのだーー。




