表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
漂流した底辺冒険者  作者: 三幸 奨励
絶海孤島編
8/48

第8話 ヴァルク王国

朝、浜へ向かった。


定期的に確認するようにしていた。魔物の死骸が打ち上げられることがあるし、何より海の様子を見ておきたかった。帰れる可能性が、ゼロではないと思っているから。


シロが隣を歩く。すっかり、当たり前の光景になっていた。


浜が見えてきたとき、《波長理解》が揺れた。


「……ん?」


反応が、いつもと違う。魔物じゃない。もっと細かくて、複雑な揺らぎ。知っている感覚だ。


「シロ、止まってください」


シロが足を止めた。耳がぴんと立っている。


「人間だ」


『複数の人間の魔力反応を感知。敵対的な波長はありません』


人間。この島で、初めてだ。


胸の奥が、少しだけざわめいた。怖いわけじゃない。ただ、久しぶりすぎて、どんな顔をすればいいか分からない感覚があった。


慎重に、茂みの端から浜を覗く。


船の残骸が打ち上げられていた。かなり大きな船だ。帆は引き裂かれ、船体の半分が砂浜に乗り上げている。昨夜の嵐か。波の音がいつもより荒かったのを思い出した。


その残骸の傍に、三人がいた。


一人は大柄な男で、船の板材を黙々と確認している。手つきが手慣れている。道具を扱う人間の動きだ。感情を表に出さない、職人の静けさがある。


一人は中背の男で、残骸を眺めながら何かを書き留めている。消耗しているはずなのに、所作が整っている。


一人は女で、剣を腰に下げている。浜の周囲を絶え間なく見回していた。三人の中で一番、生き残ることに慣れた目をしていた。


三人とも、消耗している。濡れた服。疲れた顔。でも動いている。諦めていない。


『三名です。重傷者はいません』


「……助けに行きますよ」


シロがこちらを見た。「大丈夫そうか?」


「敵意はないです。警戒はしてるでしょうが」


茂みを出た。



女が、真っ先に気づいた。


剣に手が伸びる。素早い。鍛えている。


「待ってください」


両手を上げた。「味方ですよ」


女は剣を抜かないまま、こちらを見据えている。鋭い目だ。でも手は止まっている。判断できる人間だ、と思った。


大柄な男が顔を上げた。中背の男が書き留めるのをやめた。


三人の視線が、僕に集まる。そして——シロに。


女の目が、わずかに見開いた。大柄な男の手が、腰の工具袋に伸びかけて止まった。中背の男だけが、「ほう」と小さく声を漏らした。


「その魔物は……仲間か」と女が静かに言った。


「そうです」


三人がまた顔を見合わせた。


「……魔物が、人間の仲間」と中背の男がゆっくり繰り返した。


「変ですか」


「変だな」と大柄な男が低い声で言った。


シロは何も言わなかった。ただ、静かに三人を見ていた。値踏みしているわけでも、怯えているわけでもない。ただ、見ている。


中背の男が一歩前に出た。


「失礼した。私はレイスという。建築を生業にしている。こちらはドナン、鍛冶師だ。そしてこちらがファル、探索者だ」


丁寧な口調だった。消耗しているのに、崩れていない。この人は、どんな状況でもこういう人なんだろうと思った。


「カルドです。冒険者、やってます。今は……この島にいます」


「君も流れ着いたのか」


「そうです。少し前に」


「どちらの出身ですか」


レイスがドナンとファルを一度見てから答えた。「ヴァルク国だ」


思わず声が出そうになった。工業技術で大陸随一と言われる国。鍛冶も建築も、あそこの職人は別格だと冒険者仲間から聞いたことがある。


「……ヴァルク国の方が、なんでこんな場所に」


「それはこちらが聞きたい」とレイスは苦笑した。「嵐に巻き込まれて気づいたらここにいた」


ドナンが低く「ああ」と言った。ファルは何も言わなかったが、表情が少し緩んだ。


ファルが剣から手を離した。ドナンの肩から、少し力が抜けた。


「人がいてくれて助かった」とファルが短く言った。


「他にお仲間さんはいますか?」


「いない」とレイスが答えた。「確認したが、俺たち以外はいない」


「それにここは地図に載ってないらしいですね」


「……知っているのか」


「確認しました」


「確認?どうやって」


「スキルです」


また、三人が顔を見合わせた。


「それは変わったスキルだな」とドナンが静かに言った。批判じゃない。ただの感想だった。



残骸から使えるものを引き上げる作業を、一緒に手伝った。


ドナンは無口だが、手が早い。何をどう使うかを瞬時に判断して、黙々と動く。「これはどうですか」と聞くと、短く「使える」か「いらない」か答えた。余分な言葉がない。でも必要なことは全部言う。


「この金具、鍛え直せば別の用途で使える」


慎重に金属部品を外し始めた。大きな手が、細かい作業を丁寧にこなしていく。


レイスは板材の状態を確かめながら計算していた。「この板材なら小屋が一棟建つな。雨露をしのげる建物があった方がいい。岩壁の下だけでは、長雨に耐えられない」


「そうですね」


「仲間はここにいるのが全員か?」


「今は。これからどんどん味方を増やしていく予定ですが」


レイスが少し目を細めた。何かを考えている顔だった。


ファルは警戒を続けながらも、少しずつ口数が増えた。


「魔物はどのくらいいる」


「結構います。でも拠点の周辺は把握できてるので、そこまで危険じゃない」


「把握、とは」


「魔力の波長を読んで、位置や状態を確認できます。スキルで」


レイスが立ち止まった。「……さっきのやつとは別のスキルか」


「そうです。《波長理解》という」


三人が、また顔を見合わせた。今度は、さっきより少し長い沈黙だった。


「二つ持っているのか」とレイスが静かに言った。


「そうなりますね」


レイスは何か言いかけて、やめた。ドナンが低く「なるほど」と言った。ファルだけが、少し目を細めてこちらを見ていた。


誰も深く聞いてこなかった。


「……それは便利だな」とファルが言った。「拠点があるのか」


「川沿いの岩壁の下に。簡単なものだけど」


「案内してもらえるか」


「もちろん」


シロがこちらを見た。


——問題ないか。


『警戒は続いています。ただ、敵意ではありません』


「分かってる」と小声で返した。


ファルが目を細めた。「今、魔物と話したのか」


「少し」


「……本当に変な人間だな」


でも、と彼女は続けた。「嫌いじゃない」


シロがぴくりと耳を動かした。



拠点に着くと、三人は無言で周囲を見回した。


岩壁の天井。川の音。干した肉。壁に刻んだ地図。


レイスが地図に近づいた。「これは君が作ったのか」


「はい。まだ全然途中だけど」


「……丁寧だな」地図を眺めながら言った。「ここに来てどのくらいになる」


「少し経ちます」


「一人で、か」


「最初は。今はシロがいます」


レイスが振り返った。シロが岩壁の端に座って、三人を静かに見ている。「……そうか」と言ったが、笑っていた。


ドナンが火の跡を確認して、「火の管理は上手い」と短く言った。それから、ゆっくりとシロの方を見た。視線が一度だけシロの爪のあたりで止まった。


「あの魔物、普段は何を食っている」


「狩りをしています。僕への敵意はないです」


「……そうか」ドナンは作業に戻った。それ以上は言わなかった。


ファルは拠点の入口から外を見ながら、「ここは守りやすい。岩壁が背後を塞いでいる。川が外敵の接近を知らせる」と言った。それから、ちらとシロを見た。視線はすぐ外に戻った。完全には、解けていなかった。


「良いですよねここ」


三人が落ち着いたところで、食事にした。鎧熊の干し肉と、川で獲った魚。質素だけど、量はある。


ドナンが一口食べて、「悪くない」と言った。レイスが「助かります」と頭を下げた。ファルは何も言わずに、でも綺麗に食べた。


シロは少し離れた場所で、自分の分を静かに食べていた。三人はそれを横目で見ながら、何も言わなかった。干渉しない。それがこの三人の流儀らしかった。


食事が落ち着いた頃、ファルが口を開いた。


「一つ聞いていいか」


「どうぞ」


「魔物と暮らして、怖くないのか」


率直な質問だった。


「怖いとは思わなかったですね。シロは怯えながら生きてる存在だって分かったから」


「怯えながら」


「この島は弱肉強食の世界です。強い魔物が縄張りを持って、弱い魔物はその隙間で息を潜めて生きてる。シロもそうだった」


ファルが少し黙った。レイスが静かに聞いていた。


「……人間と、似ているな」とレイスが言った。「どこの国でも、弱い者は隙間で生きる」


「そうですね」


しばらくしてから、レイスが口を開いた。「この島で、何をしようとしているんだ」


三人の視線が集まった。シロも、こちらを見ていた。


少し考えてから、正直に言った。「国を作ろうとしてます。強いも弱いも関係なく、生きていける場所を」


沈黙。


レイスが静かに目を細めた。ドナンが腕を組んだ。ファルが、少し口を開けた。


「……二人で?」とファルが言った。


「今はシロがいる」


「魔物と二人で」


「はい」


また沈黙。


それからレイスが、ゆっくりと口を開いた。


「荒唐無稽だな」


「そうですかね」


「ただ」レイスは地図を見た。「単独でこれだけの情報を集めて、拠点を維持して、魔物を手なずけている。判断の精度が高い。感情で動いていない」地図の空白を指でなぞるような、静かな目だった。「荒唐無稽なことを、使える人間がやっている。それは別の話だ」


信頼ではなかった。評価だった。


ドナンが低く唸った。「……船に戻れない。修理には時間がかかる。それまでの間、厄介になることはできるか」


「もちろん」


ファルが立ち上がった。「私は探索者だ。この島の地図を完成させる手伝いくらいはできる」


「助かります」


レイスが最後に言った。「国を作るというなら、建物が必要になる。私にできることがあるかもしれない」


少し笑った。「ありがとうございます」


ドナンが、ぼそりと付け加えた。「道具が要るなら、作る」


それだけだった。でも、それで十分だった。


シロが、ぽつりと言った。「……増えたな」


「そうですね」


火が、静かに燃えている。川の音が、遠くで続いている。


夜が深まるにつれて、少しずつ会話が生まれた。レイスが各地の建築様式の話をして、ドナンが素材の相性について短く補足した。ファルが探索中に見つけた奇妙な遺跡の話をして、石柱の丘のことを少し話した。


「それは気になるな」とファルが言った。「明日、案内してもらえるか」


「もちろん」


シロはずっと黙って聞いていた。でも眠ってはいなかった。耳が、会話の度に微妙に動いていた。


「シロは口数が少ないな」とレイスが言った。


「そういう性格で」


「悪いことじゃない。職人は口より手の方が正直だ」


ドナンが無言で頷いた。


シロが、ほんの少しだけ、レイスの方を見た。それだけだった。でも、確かに見た。


ファルが立ち上がって外の様子を確認した。戻ってくるとき、入口の近くに座っているシロの横を通った。一瞬だけ、歩幅が変わった。意識したのか、しなかったのか。ファル自身も分からないような、小さな変化だった。


地図の余白に、三つの名前を刻んだ。


ドナン。レイス。ファル。


まだ白紙の部分の方が多い。でも今日、また大きく埋まった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ