第6話 シロ
翌朝、拠点を出た。
川沿いを北へ。昨日刻んだ地図の白紙の部分を埋めに行く。
《波長理解》を薄く流しながら歩く。魔力の揺らぎは遠い。今日は穏やかな朝だった。
森を抜けると、視界が開けた。
広い草原だった。地平まで続く緑。風が強く、草が波のようにうねっている。
「……こんな場所もあったのか」
島の印象が、また少し変わった。森ばかりだと思っていた。でも違う。地図に草原を書き加えた。川の支流らしき細い水脈も見えた。水源が複数あるなら、拠点の候補も増える。
「案内人、草原の魔力濃度は」
『森より低めです。開けた地形のため、大型個体の縄張りになりやすい傾向があります。現在の反応は遠距離です』
「了解」
草原の中央付近まで来たとき、影が落ちた。
空から。
「……っ」
見上げた瞬間、巨大な翼が視界を塞いだ。鷹に似た体躯だが、翼の幅は十メートルを超える。全身を覆う羽根が金属質に光っていた。
『警告。大型飛行個体、急速接近中』
逃げる暇はなかった。鋭い爪が肩を掴む。地面が遠ざかる。あっという間に、森の天辺より高く引き上げられた。
「っ、放して……!」
火球を放った。至近距離での爆発。爪が緩んだ。
落ちた。
草原まで、遠い。
——ああ。
暗転。
*
「——ぐっ!」
草原。地面。空を見上げると、飛行魔物がまだ旋回している。
『スキル《死に戻り》を使用しました。エネルギー残量、少』
『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』
光が浮かぶ。
『取得候補を提示します』
『飛行魔物の羽根構造理解:飛行速度・機動性向上』
『金属羽根の波長理解:耐衝撃適性向上』
『高速移動技法:急加速・急制動の習得』
「……高速移動」
頭の中に流れ込む感覚があった。魔力を脚に集中させ、地面を蹴る。空気を掴む。重力に逆らうのではなく、重力を利用して跳ぶ。ぴたりと嵌まるような感触だった。
魔物が急降下してくる。
「来い」
魔力を脚に集める。爪が伸びた瞬間——横に跳んだ。速い。自分でも驚くほど速かった。爪が空を切る。
着地。振り返る。魔物が旋回して戻ってくる。
「届かない…」
飛行魔物の強みは高度だ。地上にいる限り、こちらは常に受け身になる。火球を上に向けて撃っても、あの速度では当たらない。
また急降下。跳んで避ける。また旋回。消耗戦だ。
爪が、脇腹を掠めた。深い。視界が歪み、立てない。魔物が上空で旋回を止め、真上から垂直に落ちてくる。
——終わりか。
暗転。
*
「——ぐっ!」
また草原。魔物は上空を旋回している。
『スキル《死に戻り》を使用しました。エネルギー残量、極少』
極少。次はない。
『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』
光が浮かぶ。
『取得候補を提示します』
『飛行魔物の急所理解:致命部位の把握』
『慧眼:攻撃の起点を先読みする』
『金属羽根硬化理解:防御特性の把握』
「……慧眼」
頭の中に何かが宿る感覚があった。ただの理解じゃない。もっと広く、深い。世界の見え方が、一皮剥けたように変わった。
魔物を見上げる。羽根の付け根。左の翼の第三関節。そこだけ羽根の色が微妙に違う。古傷だ。弱い部位だ。
それが、はっきり見えた。
「……あそこか」
魔物が急降下してくる。魔力を脚に集める。《高速移動》で横に跳ぶ。魔物が通り過ぎる瞬間——左翼の第三関節に、火球を叩き込んだ。
炸裂。魔物が空中でバランスを崩した。翼が折れ、地面に叩きつけられる。
魔物は立ち上がろうとしていた。だが、翼が動かない。
「終わりだ」
収束した火球を急所に叩き込んだ。三発。四発。
咆哮。静寂。
『敵対個体の生命反応、消失』
『討伐によるエネルギー回復を確認。残量、少』
草原に倒れ込んだ。空が青い。風が草を揺らしている。
「次で死んでたな」
『はい』
しばらく、風の音だけが聞こえた。
*
魔物の羽根を数枚引き抜いた。金属質で軽い。刃物として使えるかもしれない。肉も一部切り分けた。
地図に草原を描き足しながら、《慧眼》について考えた。
「案内人、《慧眼》と《波長理解》はどう違うのか」
『《波長理解》は魔力の流れを読むスキルです。動きの予測や気配の把握が主な用途です。《慧眼》は攻撃の起点を先読みするスキルです。動作が始まる前に、その意図が見えます。経験を積むほど精度が上がる可能性があります』
「だから翼の古傷が見えたのか」
『攻撃の起点となる部位を先に察知した結果です』
「便利すぎて怖いな」
帰り道、森の入口で白灰の影が待っていた。
「また来たのか」
魔物は動かない。ただ、こちらを見ていた。
「お前が死ぬ気配がした」
「死んだよ。二回」
魔物は何も言わなかった。ただ、耳が少し伏せられた。
少し考えてから、口を開いた。「僕はこの島を変えようとしてる。強いも弱いも関係なく、生きていける場所を作りたい。一人じゃ無理だから、手伝ってほしい」
沈黙。風が草を揺らした。遠くで鳥の声がした。
「……落ちた者が、島を変えようとするのか」
「おかしいかな」
「……おかしい」
でも、と魔物は続けた。「嫌いじゃない」
少し笑った。「名前は?」
「ない」
「じゃあ、僕がつけてもいい?」
魔物は少し考えた。「……好きにしろ」
白灰の毛並み。静かな目。水面のように揺れない目だった。「シロ。どうかな」
「……悪くない」
シロは、僕の隣を歩き始めた。
拠点への道。二人分の足音が、森に響く。
地図を見下ろした。草原が新しく加わっていた。余白に、小さく刻んだ。
シロ。
一人目だ。




