第4話 拠点候補地での戦い
決意したはいいが、現実は厳しい。
丘の上に立って「強いも弱いも関係なく生きていける場所を作る」と宣言したのはいいが、今この瞬間に必要なのはもっと地に足のついた話だった。
まず飯がいる。
今朝食べた鎧熊の肉の残りは、あと一日も持たない。海の魔物の肉は昨日で食べ切った。森の中に食べられるものがあるかどうかも分からない。
水がいる。
海水は飲めない。森の中に川があるかどうか、まだ確認していない。
寝る場所がいる。
昨夜は海岸の岩壁の陰で眠ったが、雨が降ったら終わりだ。
そして、もっと強くなる必要がある。
昨日の鎧熊は辛うじて勝てたが、もっと強い魔物がいれば話にならない。山の方角にあった巨大な揺らぎは、今の自分では絶対に相手にできない。
「優先順位をつけよう。まず水と飯、それから寝る場所」
『推奨します。エネルギー残量が低い状態での戦闘はリスクが高い』
「合理的だな、案内人は」
『補助が役目です』
丘を下りて、森の奥へ向かった。
川があるはずだ。この島には雨が降る。水は高いところから低いところへ流れる。低地を探せばいい。
《波長理解》を使いながら歩いた。魔物の反応を確認しながら、大きな揺らぎを避けて進む。
三十分ほど歩いたところで、地面が湿り始めた。苔が増えた。葉の色が濃くなった。
音が聞こえてきた。
水の音だ。
*
川は、思ったより大きかった。
川幅は五メートルほど。流れは穏やかで、透き通っていた。底の石が見えるくらい澄んでいる。手を入れると冷たかった。飲んでみた。癖がない。飲める水だ。
川沿いを少し歩くと、魚の影が見えた。人間の手のひらくらいの大きさで、青みがかった鱗を持っている。警戒心が強いのか、こちらの影が映ると素早く逃げた。
食料になる。捕り方を考えないといけないが、いる、ということだけで十分だった。
川沿いをさらに下流へ歩いた。
少し開けた場所があった。川が緩やかに曲がっているところで、内側に砂地があった。日当たりが良く、川の音が近い。川から少し上がったところに、岩壁が張り出していた。
天然の屋根だ。
奥行きが三メートルほどある。雨が降っても、端の方まで濡れないかもしれない。両側は木に挟まれていて、風を遮ってくれる。
「ここ、使えそう」
荷物を下ろして、岩壁の奥を確認した。乾いていた。虫の巣もなかった。天井の岩に亀裂がないか触って確かめた。安定している。
「拠点はここにしよう」
決めてから、《波長理解》で周囲を確認した。魔物の反応は遠い。魔力濃度も低めだ。強い個体が縄張りを張るような場所ではないらしい。
悪くない立地だった。
枯れ枝を集め始めた。寝る場所に敷く用と、火を起こす用に分けて積んでいった。そのときだった。
川上から、揺らぎが近づいてきた。
大きい。
《波長理解》が捉えた反応は、昨日の七匹とも鎧熊とも違う種類だった。密度が違う。重さがある。一つの存在が持つ魔力の量が、桁違いに多い。
足が止まった。
『警告。中型個体が接近中です。速度、速』
「どのくらい大きい」
『鎧熊型より一回り大きい個体です。魔力量は昨日の鎧熊の約二倍』
二倍。
昨日の鎧熊でも苦労した。一度死んで、スキルを取得して、ようやく勝てた。その二倍の魔力量を持つ個体が来ている。
姿が、見えた。
熊に似ていた。ただし、似ているだけで全然違った。前足が異様に長く、地面に付きそうなほど垂れ下がっている。その先の爪が、光を反射していた。鉄のような光沢だ。体全体の毛並みの下に、薄い膜が見えた。昨日の鎧熊と同じだ。体の表面を覆う魔力の膜。
でも昨日より、膜が厚い。
《波長理解》で見ると、膜の中に魔力が渦巻いているのが分かった。昨日は継ぎ目を見つけるのに苦労したが、今日のはもっと複雑な構造をしていそうだった。
「……また鎧熊か」
魔物がこちらを見た。
濁った目だった。知性があるような目ではない。ただ、目の前に何かがいる、という認識だけがある目だった。
低く、唸った。
逃げるか。
足は動く。今から走れば距離を稼げる。この程度の体格差なら、森の木々を利用して逃げ切れる可能性がある。
でも——
この川が、この場所が、使えなくなる。ここを拠点にすると決めた。この魔物がここを縄張りにしているなら、追い払うか倒すかしないといけない。
それに——昨日、決めた。
仕方ない、で諦めることに飽きた、と。
「戦う」
『推奨しません。エネルギー残量が中の状態での中型個体との戦闘は——』
「分かってる。でも逃げてばかりじゃ何も変わらない」
火球を構えた。
魔物がこちらの動きに反応した。体を低くした。突進の準備だ。
——来る。
「よし——」
先手を取った。火球。狙いは膜の中央だ。
直撃した。
魔力膜が揺れた。衝撃が広がる。でも——貫けない。膜が揺れたまま、収束していく。吸収された。
「くっ」
魔物が突進してきた。
速い。昨日の鎧熊よりずっと速い。横に転がって回避した。爪が空気を切る音が聞こえた。当たっていたら、それで終わりだった。
地面が揺れた。着地の衝撃だ。魔物が振り返る。
もう一度、火球。今度は膜の端を狙った。均一に見えた膜に、どこか薄い部分があるはずだ。昨日はそれを見つけた。
でも、今日は見つからない。
膜の濃度が均一だった。昨日より精密に作られている。どこを狙っても同じ厚さがある。
「まずい」
三発目を放ちながら後退した。魔物が追ってくる。爪が地面を削りながら。
当たった。膜が揺れる。でも貫けない。
——このままでは消耗戦になる。勝てない。
四発目。避けながら、膜の動きを観察した。揺れ方に規則性がないか。衝撃を受けたときに弱くなる部分がないか。
あった。
衝撃の直後、膜が一瞬だけ薄くなる場所がある。それも毎回同じ場所ではない。でも、揺れの波紋を追えば、次に薄くなる場所が予測できる気がした。
「もう少し——」
その瞬間、爪が来た。
回避が間に合わなかった。
胴体を薙がれた。視界が横に回った。地面と空が入れ替わって、衝撃が背中に来た。痛みが遅れて来た。
——また、か。
意識が遠くなる。
暗転。
*
「——ぐっ!」
再び、川沿い。
体が元通りになっていた。魔物は十メートルほど先にいた。今度はこちらに気づいていない。川の水を飲んでいた。
『スキル《死に戻り》を使用しました。エネルギー残量、少』
少。また減った。
『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』
視界の端に光が浮かぶ。
『取得候補を提示します』
『魔力膜構造理解:膜の弱点発見に必要な構造知識』
『鎧熊系の行動パターン理解:次の攻撃を予測しやすくなる』
『火球収束技法:単点集中出力向上』
十五秒。
さっきの戦闘を思い返した。膜を貫けなかった。観察した。一瞬薄くなる場所があると気づいた。でも、理解が間に合わなかった。
「……膜構造理解」
何かが頭の中に流れ込んだ。
薄い膜。均一に見えて、均一じゃない。魔力が循環している。循環の経路がある。経路が分岐している節がある。節と節の間は、循環が一方向になる。そこを叩けば——
「そういうことか」
魔物がこちらに気づいた。また体を低くした。
「今度は違う」
火球を構えた。ただし今度は、収束させる。細く、鋭く。《波長理解》で膜の循環経路を追った。節がある。分岐している。その手前——
右の前肩。そこだ。
放った。
狙い通りの場所に当たった。
膜が、裂けた。
魔物が咆哮した。痛みの声だった。昨日の鎧熊が出さなかった種類の声だった。膜の裂け目が広がっていく。自己修復しようとしているが、間に合っていない。
「畳み掛ける」
もう一発、同じ場所。裂け目が広がった。
三発目。爆発した。裂け目から火球が内部に入った。
魔物が後退った。爪が地面を掻いた。でも、前に来なかった。
「動けなくなっている?」
『膜が損傷した状態での移動は魔物に負荷をかけます。この個体は自己修復を優先している可能性があります』
「なら——」
四発目。五発目。裂け目が広がり続ける。膜が完全に消えていく。
魔物の咆哮が変わった。怒りから、恐怖に近い声になった。
六発目。
今度は膜がなかった。ただの肉体に、火球が直撃した。
轟音。爆発。地面が揺れた。
煙が広がった。
待った。
煙が薄れた。
魔物が倒れていた。動いていなかった。
『敵対個体の生命反応、消失』
『討伐によるエネルギー回復を確認。残量、中』
その場にへたり込んだ。
手が震えていた。息が荒かった。胸の中に、何かが騒いでいた。恐怖なのか興奮なのか、自分でも分からなかった。
川の音が聞こえた。戦闘の前も後も、川は同じ音を立てていた。
「……勝ったの?」
『はい』
「二度目で勝てた。昨日の鎧熊は三度かかったのに」
『一度目の戦闘で膜の構造を観察できていました。取得候補の選択が最適でした』
「褒めてるのか」
『事実の確認です』
苦笑いした。
体を起こして、倒れた魔物を見た。大きかった。鎧熊より一回り以上大きい。これが川を縄張りにしていたなら、この周辺は比較的安全になった。
川の水で手を洗った。冷たかった。
体の内側に、まだ何かが残っていた。戦闘の余韻だった。死んだことへの恐怖と、勝ったことへの安堵と、次も同じようにできるかどうかという不安が、全部混ざっていた。
「……慣れるのかな、これ」
『不明です』
「正直だな」
立ち上がった。膝に力が入らなかったが、立てた。
もう一度、岩壁の下を見た。
拠点にする場所は、まだそこにあった。




