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漂流した底辺冒険者  作者: 三幸 奨励
精霊試練編
35/49

第35話 風の目

カルド、レイス、シン、クロ、ホウが探索に出た。ファルとドナンは拠点に残ることになっている。何かあったときに動ける人間が必要だった。デルタにも留守を任せた。


空は晴れていた。昨日の嵐が嘘のような朝だった。でも、それが逆に落ち着かなかった。


「どこから見ますか」とカルドはクロに聞いた。


「お前の拠点だ。お前が決めてくれ」


「では井戸から。昨日、突風が一番集中した場所です」



五人が井戸の前に集まった。


ドナンが昨日直した石組みは、見た目に異常がなかった。水も流れていた。静かな水音がしていた。でも、シンが縁に近づいて手を置くと、目を閉じてしばらく動かなかった。


「……残っています」


「昨日の魔力ですか」


「そうです。ただ——」シンは少し首を傾けた。「井戸の石に染み込んでいる感じで、ここが目的地だったというより、通り過ぎた跡に近いです」


「通り過ぎた、というのは」


「風はここを狙ったんじゃない。通過した。その勢いが水面に影響した、ということです」


レイスが記録帳に書き込みながら聞いた。「通過したとすれば、風の向きは一定のはずだ。昨日の風は向きが変わっていた」


「それが変なんです」とシンは立ち上がり、周囲を見渡した。「複数の流れがでたらめな向きで動いていた。でも——それぞれの流れに芯がある。ただの乱流じゃない。意思を持って動いているかのような」


カルドは井戸の水を見た。静かだった。昨日あれほど持ち上がった水が、今は何事もなかったように流れていた。


拠点の周囲を一周した。シンが地面に触れながら歩き、時々立ち止まって感触を確かめた。レイスがその都度、場所と状況を記録帳に書き込んだ。クロは周囲を見ながら歩き、ホウは少し離れたところから全体を見ていた。


「ここ」とシンが言ったのは、拠点の北側、建物の裏手だった。「魔力が濃いです」


「昨日の嵐が強かった場所ですか」


「そうです。でも——」シンは地面を見た。「嵐の中心であれば魔力は均等に広がるはずなのに、ここだけ濃い。まるで台風の目のような」


「何かがここから観ていた」


「立っていた、というより——そう、観ていた。そういう感じです」


クロが北側の方角を見た。森が続いていた。「あっちから来たのか」


「可能性はあります」


「行けるか」


「行きましょう」


森の入口で、シンがもう一度地面に触れた。


「嵐の流れはここを通っていません」とシンが言った。「拠点に直接届いた。拠点が狙われたわけじゃない」


レイスがすぐに言った。「では何が中心だった」


「分かりません。でも拠点は経由地ではなく、観察対象だった。そう思います」


「拠点が狙われていないなら」とホウが言った。「何のための嵐だ」


誰も答えなかった。


クロが森の奥を見た。


「村も狙われていなかったのか」クロが言った。声は低く、独り言のようだった。



森の中を歩きながら、クロが口を開いた。


「俺たちはグレイヴ族だ」


聞いてもいなかった。でも、話し始めた。


「人間に近い外見を持つ魔物の一種で、小さな集落を点在させて生きている。群れを作らない。一つの村が三十人を超えることは少ない」


「なぜ群れを作らないんですか」


「大きな集団に向いていない。一人一人が役割を持って、小さくまとまる方がやりやすい」


「差し出す、という言い方をするんですよね」ホウが続けた。「できることをやる。村の中の秩序はそれで保たれる」


カルドはその言い方を少し考えた。持っているものを差し出す。


「グレイヴ族は氷と風に馴染みやすい」とクロは歩きながら言った。「火は扱いにくい。だからシンが水脈を感じ取れたし、俺が風の中で体を安定させられる」


「昨日の動き方も」


「体が覚えている。子供のころから風の中で遊ぶ。逆らわずに流す動き方を、身体で覚える」


クロの昨日の動き方を思い出した。剣の切っ先を下に向けて、風の中に立って、体重を少しずつ移動させていた。


「村は——」クロが少し口をつぐんだ。「いい場所だった」


それだけだった。それ以上は言わなかった。


ホウが口を開いた。


「嵐は、村を壊すための嵐だったのかもしれない」


静かな声だった。ずっと考えていたことを、やっと言葉にした、そういう声だった。


「目的のある破壊だ。村がそこにあったから壊れたんじゃない。村を壊すために嵐が来た」


「証拠はあるんですか」


「ない」とホウは言った。「でも、あの嵐の動き方は自然じゃなかった。風は村の中だけで荒れた。外は穏やかだった」


シンが続けた。「でも昨日の嵐は違います。中心がなかった。あれは観察していた。村を壊した嵐とは、性質が違います」


「同じ存在が送ったのに、目的が違う」とレイスが言った。


「だからよく分からない」とシンは答えた。



深い森に入ってから、光の差し込み方が変わった。


木が密になり、空が見える面積が狭くなった。地面が柔らかくなり、足音が吸い込まれるように静かになった。鳥の声が遠くなった。風の音も変わった。外では草を揺らしていた風が、ここでは木の間を縫うような動き方をしていた。


全員が自然と口数を減らした。


シンが先を歩いていた。地面を見ながら歩き、時々立ち止まって感触を確かめた。何かを辿っているようだった。


「まだありますか」とカルドは聞いた。


「あります。薄いですが、続いています」


「もう少しです。方向が変わらなければ——」


シンの足が止まった。


「ここです」


周囲を見た。木が倒れていた。ただ、普通の倒れ方ではなかった。円形だった。中心から放射状に、木が外側へ倒れていた。根から抜けていた。折れてはいなかった。根ごと、外側に向かって押し出されていた。


中央だけが空いていた。


直径にして三歩ほどの円形の空間が、そこだけ何もなかった。地面が少し違う色をしていた。土が締まったような、圧縮されたような感触に見えた。


誰も何も言わなかった。全員が、その空間を見ていた。


レイスが近づき、倒れた木の一本に触れた。「根が引き抜かれている。外側に押し出された」


「風だとすれば」


「中心点から全方向に向かって吹いた風だ。竜巻に近い。でも竜巻は中心に向かって吸い込む。これは逆だ。外に向かって押し出している」


「嵐を作った存在が、ここに立っていた」とホウが言った。


「そうだと思います」とシンが答えた。「ここを起点に風を送った。村に向かって。そして昨日、拠点に向かって」


中央の空間に立った。足裏から何かが伝わってくる気がして、《波長理解》を使った。残っていた。かすかに、でも確かに、何かの波長が地面に刻まれていた。大きかった。自分が知っている何よりも、大きな存在の波長だった。


シンが中央の地面に両手をついた。しばらく動かなかった。全員が黙って待った。


「……強い」とシンが言った。


「どのくらいですか」


「比べられないくらい強力な魔力です」シンはゆっくりと顔を上げた。「精霊に近い——少なくとも人間や魔物の魔力ではない」


「シルフかもしれません」


「分かりません。でも——」少し間を置いた。「これは怒りじゃない。怒りで動く魔力は形が崩れます。でも、ここに残っているのは整っています。乱れていない。目的を持って、感情に流されていない」


「試している、という感じです。何か、様子を見ているような——私たちが何をするか。どう反応するか。それを確かめている」


「村を壊したのも試しだったと?」


「違う。と思います」シンの声が少し低くなった。「あれは別の意図かと。ただ、発信元は同じです」


「発信元は同じだが、目的がそれぞれ異なっていたのか」とレイスが言った。


シンは頷かなかった。「だからよく分からない」


クロが中央の空間を一度見て、森の出口の方を向いた。「戻るか」


誰も反論しなかった。



森を出て、拠点への道を歩いていたとき、ネグルが外で待っていた。カルドたちが戻ってくるのを見て、近づこうとして——止まった。


空を見ていた。


「……また風だ」


空を見た。風が吹いていた。普通の風に見えた。昨日のような圧はなかった。草が穏やかに揺れていた。


シロが低く唸りながら、カルドの隣に来て前を向いた。


シンが立ち止まった。目を細め、風の方を向いた。両手を少し広げた。


全員が止まった。


シンが言った。「見られています」


誰も動かなかった。風が吹いていた。穏やかな風だった。草が揺れ、木の葉が音を立て、空は青く晴れていた。何もなかった。


でも。


風が、こちらを見ていた。



拠点に戻り、手帳を閉じた。


窓の外で風が鳴っていた。

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