第32話 精霊の優しさ
夕方、ウンディーネがまだ拠点にいた。
帰る気配がなかった。会議室の外の石の台に座っていた。置かれているような静けさがあった。
水を持っていった。
「いりますか」
「私は水を飲まない」
自分で飲んだ。今日引いたばかりの、冷たい地下水だった。
「美味しい」
「そう」
「ウンディーネは、水を飲まないのに水の精霊なんですね」
「水の精霊だから、かな。自分で水を生成できるから、わざわざ飲まなくていい」
しばらく黙っていた。夕方の風が石の台のそばを通り過ぎた。
「一つ聞いてもいいですか」
「いいよ。答えるかどうかは別だけど」
「ノームのことです。死んでも死ななくてもどうでも良い、と言っていました。あなたも同じように思いますか」
ウンディーネはしばらく考えた。「精霊は人間の倫理に従わない、という意味なら、そう。私は人間が死ぬことを悲しまない」
「悲しみの感情はあるんですか」
「ある。でも人間の悲しみとは違う。水が引くときの感触に似ている。なくなるわけではない。別の場所に移るだけ」
「ノームは、誰かが死んだ方が面白かったかも、と言いました。残酷だと思いましたし、正直ムカつきました」
「でもノームは嘘をついていない。本当にそう思ったから言った」ウンディーネは少し首を傾けた。「残酷かどうかは、言われた側が決めること。ただ、言った側に責任がないとも言えない。どちらも正しい」
「ノームをあの子と言いましたよね。精霊に年齢はあるんですか」
「年齢というより、古さ。水は土より後から来る。雨が降って、川になって、土に染み込む。だから私はあの子より後。でもあの子は私のことを年上とは思っていない」
「ノームはどう思っているんですか」
ウンディーネは少し笑った。「あの子に聞いて」
「どうしてこんなことをしてくれたんですか。面倒だと思うなら来なければいいのに」
「嫌なら来ない。これはご褒美。私は他の子たちと違って優しいから」
「嫌じゃないです。助かります」
「それに、まだ教えるべきじゃないしね」
何かを言いかけるより先に、ウンディーネが口を開いていた。それ以上は聞けなかった。
「水の整備、ありがとうございました」
ウンディーネは少し間を置いた。「水はもともとここにあった。私はその向きを変えただけ。礼を言うなら、向きを変える場所を作った鍛冶屋に言いなさい」
「それでも、来てくれなければ分からなかったことなので」
ウンディーネはまた笑った。今度はどこか柔らかい笑い方だった。
それから水の中に消えていった。水がどこにあったわけでもないのに、ウンディーネはそちらへ向かって、見えなくなった。
*
気配に気づいたのは、ウンディーネが消えた直後だった。
ノームが石畳の上に立っていた。人間の子供と同じ見た目で、目だけが橙色に光っていた。
「遊びに来たよ」
「久しぶり」とノームはウンディーネの消えた方向に言った。
「久しぶりでもない」どこかからウンディーネの声がした。「この前会ったじゃない」
「私にとっては長かったの」
返事はなかった。
ノームがこちらを見た。「水、来たね」
「はい。ウンディーネが引いてくれました」
「ふうん」ノームは足元の地面を見た。「地下水脈、ちゃんと通ってる。あの大男がうまく石を積んだんだね」
「ドナンです」
「土が変わる。水が来ると土が変わる。乾いた土と濡れた土は全然違う。匂いも、重さも」
「土が喜ぶ、ということですか」
「感情じゃないよ。状態が変わる、ていう意味」ノームは少し首を傾けた。「でも変化はある」
「シルフについて教えてもらえますか。どんな精霊なのか」
「シルフは私たちとは違う」ノームはそのまま続けた。「私は土にいる。ウンディーネは水にいる。シルフは——どこにでもいる。いつもそこにいるのに、見えない」
「どこにでもいる?」
「風はどこにでも行く。土は動かない。水は流れる先がある。でも風は止まらない。だからシルフは試練の性質も違う、と思う。ただ——」
そこで止まった。
「忘れて」
前にも聞いた言葉だった。山の主人について言いかけたときと同じ言い方だった。
「ノームが言いかけることは、いつも忘れてと言いますね」
「言ってもいいことと、言わない方がいいことがある。どちらかはその時々で変わる」ノームははっきりとした声で言った。「でも、あなたたちが自分でたどり着くことはある。そのときは別の話」
「水が来ると土が崩れやすくなるよ」ノームは立ち上がった。「またね」
地面に沈んだ。静かに、足元から消えていった。後には何も残らなかった。
しばらくその場に立っていた。
夕風が一度だけ強く吹いて、すぐに止んだ。
*
夜、ドナンが枠の設計を始めていた。
「いつ作りますか」
「明日から始める。一週間あれば形になる」
「急がなくていいです」
「急いでない。これが好きだからだ」
それだけだった。
井戸の周りはもう静かだった。ゴブリンたちは食事に戻り、火の明かりが建物の窓から漏れていた。水面だけが、暗い中でかすかに光を返していた。
遠くから水の音が聞こえた。嵐のような豪雨のようなものが。
引いたばかりの地下水の音ではなかった。もっと遠い、別の方向から来ていた。
耳を澄ませた。もう聞こえなかった。




