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漂流した冒険者  作者: 三幸奨励
精霊試練編
28/36

第28話 私はノーム

眠れたのか眠れなかったのかが、よくわからないまま朝になった。


体は重かった。腕に昨日の戦闘の記憶が残っていて、起き上がるときに少し時間がかかった。服を確認すると、土の匂いがまだ残っていた。


外に出ると空が白かった。東の方向がうっすらと明るくなっていて、鳥の声がどこかから来ている。拠点はいつもより静かだった。昨日疲れた者が多いのか、ゴブリンたちの動き出しが遅い。


シロが入口の近くに座っていた。


「おはようございます」


「遅い」


「そうですか」


シロは何も言わなかった。耳が少し後ろに傾いて、また戻った。一晩中外にいたのかどうか、聞かなかった。


水を汲んで戻ってくると、ファルがすでに訓練場にいた。一人で素振りをしていた。腕に昨日の傷がある。動きを見ると、そこをかばっている気配はなかった。かばっていないように見せているのかもしれない。


「おはようございます」


「ああ」


「腕は」


「動く」


「動くと大丈夫は違います」


「大丈夫だ」


素振りが続いた。それ以上聞かなかった。



朝食の時間に、全員が集まった。


昨日の疲れが顔に残っている者が多かった。テオが椀を両手で持ったまま少し目を細めていた。ウルジが肩を回しており、ガンズは単語帳を持っていなかった。


ドナンが石の欠片を手の中で転がしていた。昨日、ゴーレムの残骸から拾ったものだ。食事をしながら、ずっとそれを見ていた。


「どうですか」


ドナンが顔を上げた。「変な岩だ」


「まだそれを」


「気になる」


「どのあたりが」


「硬さが一定じゃないんだ。場所によって全然違う。でも、割れ方は均一だった。砕けるときに筋がある。普通の岩にはない筋だ」


「精霊が作ったもの、だからですかね」


「そうかもしれん。でも、作り方に法則がある気がする」


ドナンはそれ以上言わなかった。また石を見始めた。



昼を少し過ぎたころ、地面が沈んだ。


僕が拠点の中央近くにいたとき、足の裏にあの感触が来た。ゆっくりと受け取られるような、昨日までと同じ沈み方。でも、昨日より近い。


また沈んだ。


今度は少し違う沈み方だった。昨日までの「確かめるような」感触ではなく、もっと真っすぐな感じがした。向かってくる、という感触。


ネグルが走ってきた。


「カルド。中央、見てくれ」


拠点の中央の地面が、盛り上がっていた。


ゆっくりと、静かに。平らだった土が中心に向かって少しずつ隆起して、形を作ろうとしている。


「全員、少し下がってください」


『高濃度魔力を探知しました。』


ゴブリンたちが後退し、ファルが横に来て、腕を組んで地面を見た。剣には手をかけていない。


盛り上がりが続いた。高さが増すのと同時に、輪郭が生まれてくる。


人の形だった。


子供くらいの大きさ。ゴブリンより少し小さい。細い腕と足があって、短い髪が顔の横に垂れていた。目だけが橙色に光っていた。熾火のような、温かみのある色だった。


子供が、地面から生まれて、そこに立っていた。


止まった。


そして言った。


「どうもみなさん、私はノーム。土を司る精霊。よろしくね」


声は昨日と同じだった。幼い女の子のような高さで、軽い。ただ、昨日は部屋の全体から来る声だった。今は、目の前にいる小さな体から来ている。それだけで、全然違う感じがした。


「カルドです」

手を差し出し、言った。


一瞬だけ手を見て「知ってる」とだけ言った。


――無視。


「昨日の声は、あなたでしたか」


「そうだよ」


「姿は初めて見ます」


「うん。昨日は見せなかったからね」


「なぜ今日は」


「うーん」と少し沈黙が続いたのち

「なんとなくだよ。それに少し分かった気がしたからね。」


「 どういう事が?」


ノームは少し首を傾けた。目の光がこちらに向いた。


「きみたちがどういうやつらか」


「昨日の戦闘を見ていたということですか」


「見てたよ。全部」


ノームは少し間を置いた。


「面白かった」


それから、もう少し間を置いて言った。


「誰かが死んだら、もっと面白かったかも」ノームの口角が少し上がっているような気がした。


誰も動かなかった。


ファルの手が剣に向かった。


ノームが続けた。


「でも、死ななかったね」


声のトーンは変わっていなかった。軽い。子供が虫の動きを観察しているような、そういう軽さだった。


空気が、少し時間をかけて戻ってきた。


「……それが感想ですか」


「そう」


「死んだ方が面白かった、物騒な感想ですね。悪魔かなんかですか」


「精霊だよ」少し怒りながらノームは言った。

「ただ、死んでも死ななくても、私的にはどうでも良い。」


どうでも良い。その言葉が深く刺さった。


シロの耳が後ろに傾いたままだった。



ノームの目が、ゆっくりと全員を見渡した。一人一人を確かめるように。シロ、ファル、ドナン、レイス、テオ、ガンズ、ウルジ、ネグル。最後に、コトで止まった。


「きみが気づいた子かな」


「そうです」


「よく気づいたね」


「くすぐったくない場所があったからだと、この子は言っています」


「そっか」


それだけだった。説明も解説もなかった。ただ、コトを見ていた。


ノームはコトに向かって言った。


「ねえ、こっちに来て」


コトが少し間を置いてから、前に出た。


ノームとコトが向き合った。ノームの方がわずかに背が高い。コトがノームを見上げるような形になった。


「きみ、地面の脈を感じられる?」


コトは少し考えてから答えた。「くすぐったい、という感じがある」


「それは何だと思う?」


「地面が動いてるのが、足の裏に来てる。そういう感じだと思ってた」


「それだけ?」


コトは黙った。


しばらく間があった。コトが下を向いた。足元を見た。それからまたノームを見た。


「……わからない。でも、くすぐったいだけじゃない気がする」


「そっか」


ノームはただ、コトを見ていた。


その間、コトの足元が、一瞬だけ沈んだ。


深くではない。ほんのわずかだった。でも、誰かの目には届いた。テオが小さく息を飲んだ。ファルの視線が鋭くなった。


コト自身は、動かなかった。下を向いた。足元を見た。


何も言わなかった。


ノームも、目の光だけが、静かに揺れていた。


「炎のやつは、きみのことを変だと思ったんじゃないかな」


コトが顔を上げた。「……ほうと言ってた」


「そう」


それだけだった。


コトはしばらくノームを見ていた。


「何が言いたいんだ」


ノームは首を傾けた。


「何も」


「なんで来た」


「さっきも言ったでしょ。なんとなくだよ。」


コトは少し黙った。「それだけか」


「それだけだよ」


コトはそれ以上何も言わなかった。ノームも、何も付け加えなかった。


「きみ、名前は」


「コト」


「コト」


繰り返した。短い間があった。


「覚えた」


それだけ言って、ノームの視線が全体に戻った。



「それで試練は合格ですか」


しばらくしてから、僕は聞いた。


ノームが僕を見た。


「どう思う?」


答えなかった。こちらに問いを返した。


「……分かった、という気はしています。でも確信がない」


「うん」


「それが答えですか」


「どう思うかが答えだよ」


それ以上は言わなかった。


「何を見ていたんですか。昨日の試練で」


ノームは少し間を置いてから言った。


「変えられるかどうか」


「何を」


「当たり前だと思ってたものを」


「それだけですか」


「それだけ」


答えが来ないまま、時間が過ぎた。


「もう少しお話ししていきますか?」


「関係ない」


「関係ない、というのは」


「私がいたいからいる。きみたちが許可するものじゃないし、きみたちが否定できるものでもない。」


――それはその通りだが、こうもズバッと言われるとな



ノームがいる間、拠点は普段と違う空気だった。


ゴブリンたちが少し離れたところからノームを見ていた。デルタが集団の前に立ったまま、じっとしている。キズラが「あれは何か」と誰かに聞いていた。モルダが「精霊だ」と答えていた。


グラッグがドナンの横に来て、ノームが持っている石の欠片と同じものを地面で探していた。ドナンが横目で見て、何も言わなかった。


ファルが僕の隣に来た。


「先ほどの発言」と小さく言った。


「聞こえていました」


「どう思った」


「……怖かったですよ」


「そうだな」ファルは腕を組んだ。「サラマンダーとは違う怖さだ」


「サラマンダーは思いやりがあった。でもノームにはそれがない」


「怖くて不気味な精霊だな」


それだけ言って、ファルは離れた。


シロが来た。一言だけ言った。


「目を離すな」


「そうします」


シロは戻らなかった。ノームの方を向いたまま、離れた場所に立っていた。


ノームが少し離れた場所で、地面に手を当てていた。何かを調べているのか、ただ触れているのか、わからなかった。子供が土遊びをしているように見えた。


その背中を見ていると、さっきの言葉が嘘のように思えた。


嘘ではない、とわかっていても。


ネグルがカルドの隣に来た。


「さっき、コトの足元が沈んだ」


「見えていましたか」


「見えた。コトは気にしていないように見えた」


「そうですね」


「あれはノームがやったのか、それとも自然に起きたのか」


「わかりません」


ネグルは少し考えた。「ノームに聞けるか」


「聞けるかどうかわからない。答えてくれるかどうかも」


「そうか」ネグルは地面を一度見た。「でも、コトが動かなかったのは本当だ。それだけは確かだ」


それだけ言って、戻っていった。



「飽きた。帰る」


唐突にノームが言った。


特に誰かに向けた言葉でもなかった。ただ、そう言って、地面に向かって歩き始めた。


「また来ますか」


「面白そうならね」


それだけだった。


ノームは足元から沈み始めた。足首まで、膝まで、腰まで。人型の体が地面に吸い込まれていく。


肩のあたりで、止まった。


「私で終わりじゃない。試練はまだあるよ」


「知っています」


「次のは違う感じだよ」


それだけだった。どう違うかは言わなかった。


また沈んだ。首まで。


「あと、山の主人のことは——」


地面が、一瞬冷えた。


気のせいではなかった。足の裏から、冷たさが上がってきた。真夏の地面が、一瞬だけ真冬になったような感触だった。


ノームが止まった。


「……忘れて」


それだけ言って、沈んでいった。


頭が消えた。地面が元の平らさに戻った。


足の裏の冷たさだけが、少しだけ残っていた。


静寂があった。


誰も動かなかった。


最初に動いたのはシロだった。地面を一度だけ見て、それから前を向いた。


レイスが記録帳を開こうとして、止めた。閉じた。


デルタが小さく息を吐いた。


ゴブリンたちの間から、誰かが「……終わったか」とごく小さく言った。



コトが一番最後まで、ノームが沈んだ場所を見ていた。


全員が動き始めても、コトだけが動かなかった。ただ、地面を見ていた。


「コト」


振り返らなかった。


しゃがんだ。地面に手のひらを当てた。


何もなかった。地面はただの地面だった。


コトはそのまま少しの間、手を当てたままでいた。


それから何も言わず立ち上がって、歩き始めた。


遠くから、聞こえた気がした。


地面の下から来るような、小さな声だった。


「……聞こえてるよ」


聞こえたのか、そう思っただけなのか、わからなかった。


コトは振り返らなかった。でも、少しだけ歩みが遅くなった。



夜、地図を広げた。


拠点の中央に印をつけた。ノームが出てきた場所だ。小さく「ノーム」と書いた。


暗闇の中で、土の匂いは今日もまだ残っていた。でも昨日より薄い。少しずつ、外の空気に戻っていっている。


足の裏の感触は、まだそこにあった。

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