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漂流した冒険者  作者: 三幸 奨励
精霊試練編
24/45

第24話 炎の試練

五日間、制御の特訓をした。


ファルが課した内容は単純だった。《炎舞剣》を十センチほどの大きさで出して、それを一分間維持する。それだけだった。


できなかった。


最初の日は十秒が限界だった。小さくすればするほど炎が揺れた。揺れが止まらなくて、形が崩れた。


「大きい方が安定しやすい」ファルが言った。「だから小さくする。それが制御だ」


「分かっていますよ」


「分かってるならやれ」


三日目、三十秒まで伸びた。


五日目の朝、一分を超えた。


ファルが「もう一度」と言った。もう一度やった。一分十秒。


「安定してきた」ファルはカルドの右手を見た。「三日前とは別物だ。だが、まだ甘い」


「まだサラマンダーの炎には遠い」


「遠い。それは分かっている」それだけ言って、ファルは訓練場に戻った。


その日の夕方、東から熱風が来た。


乾いた、焦げた匂いのする風だった。拠点の火が一瞬、横に大きく揺れた。


シロが鼻を上げた。「あれだ」


「そうですね」


ネグルが火を見ていた。「また来た」


「感じましたか」


「焦げた匂いがした。前より強い」


その夜、全員が同じことを感じていた。


ドナンが「そろそろか」と言った。


「明日、全員で行きますか」


誰も異論を言わなかった。



朝、出発した。


カルド、シロ、ファル、ドナン、レイス。それにテオ、ガンズ、ウルジの三人も来た。


デルタは拠点に残ることを選んだ。「俺は守る側だ」それだけ言って、見送った。


コトが出発直前に袖を引っ張った。


「俺も行く」


「危ないかもしれない」


コトはしばらく考えた。「それでも行く」


「……分かりました」


ネグルがすでに列の端に並んでいた。「俺も最初からそのつもりだ」という顔をしていた。


十人で、北東へ向かった。



岩場に入ると、空気が変わった。


乾いた熱が、肌に触れてくる。焦げた匂いが濃い。地面に点々と、小さな焼け跡が続いている。


シロが鼻を地面に近づけた。「昨夜か、今朝か。また来ていた」


「待っているのかもしれない」


岩場を進んだ。


先頭を歩く右手に、突然火花が走った。《炎舞剣》を使っていないのに、指先が熱くなった。


「……いる」


全員が立ち止まった。


振り返ると、岩の上にいた。いつからそこにいたのか分からない。炎の体が、朝の光の中で静かに揺れている。黄金色の瞳が、全員を順番に見ていた。


「……いつから」


「お前たちが岩場に入った時からだ」


シロでさえ気配を感じていなかった。ガンズが息を飲んだ。テオが無意識に足を半歩引いた。ウルジは動かなかった。ただじっとサラマンダーを見ていた。


サラマンダーの視線がカルドに戻った。


「五日、鍛えたな」


「えぇ」


「見ていた」サラマンダーの尾がゆっくりと揺れた。「方向は悪くない。だが遅い」


「分かっています」


「分かっているなら、いい」サラマンダーは右手を見た。「歪んでいないのは確かだ。荒いがな」


ファルが腕を組んだまま、サラマンダーを正面から見ていた。怯えていない。砥石に当てる前の刃のような、静かな警戒だった。


サラマンダーがファルを見た。「剣を教えた者か」


「そうだ」


「炎の制御を変えたのもお前か」


「大きく使うより小さく使う方が難しい。そっちから始めさせた」


「剣と炎を同じものとして見ているな」


「違うか」


「違わない」サラマンダーはファルから視線を外した。それだけだった。


「聞いていいですか」


「なんだ」


「前に仲間も問いに答えられるかと言った。今日全員で来たのはそのためでもある。仲間に、あなたの問いを聞かせたい」


サラマンダーがこちらを見た。しばらく間があった。


「お前が決めることではない」


「そうですね」


「……勝手にしろ」サラマンダーは岩の上から降りた。地面に着くと、足元が少し焦げた。「前回の続きを聞く」


「聞いてください」


「負けを捨てたと言ったな」サラマンダーの瞳が正面から見た。「なら——お前は勝ちに執着するか」


少し間を置いた。


「……勝ちたいとは思います。でも、勝つことが目的ではない。届くことが目的です。勝ちは、届いた結果についてくるものだと思っている」


「届く、とは何に」


「仲間に。格上に。目の前にいる者に」


「そうか」サラマンダーが言った。「だが、執着していない。それは確かだ」


それから、サラマンダーは顔を上げた。全員を見渡した。


「お前の仲間に聞く」


シロが「俺にか」と言った。


「お前は何のために戦う」


「隣にいる者のためだ」シロは間を置かずに言った。「それだけだ。それで十分だと思っている」


サラマンダーの尾が揺れた。何も言わなかった。


視線がファルに移った。「お前は」


ファルは少し間を置いた。「私はまだ答えられない」


「なぜ」


「負けた相手を、まだ憎んでいる。捨てられていない」


全員が静かになった。


ファルは視線を外さなかった。「ただ、捨てようとしている。今はそれだけだ」


「そうか」サラマンダーが短く言った。否定ではなかった。


視線がドナンに移った。「お前は」


「俺は職人だ。戦う理由より、作る理由の方が分かる」


「同じことだ」


ドナンが少し目を細めた。「……そうかもしれん」


レイスには「お前は全体を見ている。見ながら何を考えている」と聞いた。


「残す。俺たちが消えても、ここにいたことを」


サラマンダーはしばらくレイスを見た。それから視線を外した。


テオが「俺はまだ分からない。でも、分かろうとしている。だから動いている」と言った。


ガンズが「俺も同じだ」と言った。ウルジが「俺は守りたい。誰かが傷つく前に、俺が前にいたい」と言った。


コトは黙っていた。


サラマンダーがコトを見た。「お前は言わないのか」


「言葉にしたくない」


「なぜ」


「言葉にすると、小さくなる気がする」


サラマンダーの尾が、止まった。


周囲の空気が一瞬だけ変わった。焼け跡が広がりかけて、止まった。


「……ほう」


それだけだった。でも、その一言の重さが違った。全員にそれが静かに伝わった。


それから、サラマンダーはまたカルドを見た。「面白い集まりだ。完成している者は一人もいない。だが、歪んでいる者もいない」


誰も何も言わなかった。


「カルド。触れられたら話すと言ったな。約束だ、やってみろ」



全員が後ろに下がった。


カルドとサラマンダーだけが、岩場の中央に残った。


「条件はもう一度確認する」サラマンダーが言った。「お前の炎で、俺に触れろ。ただし、俺の炎を消すな。消した時点で終わりだ」


「分かりました」


「始めろ」


《炎舞剣》を出した。五日間の訓練で安定した形が、すぐに出てきた。揺れが少ない。密度がある。


サラマンダーは動かなかった。ただそこに立っている。炎の体が、静かに揺れている。


踏み込んだ。


刃をサラマンダーの体に向けて差し込んだ。


触れた——と思った瞬間、炎が弾かれた。手に衝撃があった。サラマンダーの炎の表面に、膜のような抵抗がある。刃が滑って、そのまま散った。


——なんだ。何が起こった。


もう一度試みた。《高速移動》を使った。速く踏み込んで、刃を差し込む。


また弾かれた。今度は熱が返ってきた。顔が焦げる感覚がした。視界が一瞬、熱で歪んだ。


「大きくすれば届くと思ったか」サラマンダーが言った。


「思っていません」


「では何が足りない」


一歩引いた。


炎の刃を見た。弾かれた感覚を思い返した。滑った。表面を撫でて、散った。刃として当たっていた。切ろうとしていた。


「……触れることと、切ることは違う」


「続けろ」


《炎舞剣》を消した。もう一度出した。今度は、刃の形にしなかった。形を持たせなかった。ただ、炎を右手の先に集めた。小さく。五日間練習した、十センチほどの大きさに。


攻撃ではなく、接触を目的にする。


《高速移動》を使わずに、ゆっくり近づいた。


サラマンダーが動いた。こちらの炎に向かって、自分の炎の先端を少し伸ばした。


触れそうになった瞬間、炎が揺れた。散った。


少し考えた。


触れた瞬間に、終わらせたくなった。触れたら勝ちだと思った。その瞬間に揺れた。


サラマンダーは何も言わなかった。


もう一度。


炎を出した。ゆっくり近づく。今度は、届くことを考えなかった。届いたらどうなるかも考えなかった。ただ、炎の形を保つことだけを考えた。


サラマンダーの炎が目の前にある。熱い。焦げる感覚がある。


でも、炎は揺れなかった。


先端が、サラマンダーの炎の表面に触れた。


弾かれなかった。滑らなかった。


炎と炎が、重なり始めた。


そのとき、サラマンダーの炎が一瞬大きくなった。熱が増した。空気が重くなった。後ろで全員が息を止めた気配がした。


揺らすな。


形を保て。勝ちを考えるな。ただ、ここにいろ。


炎が、重なった。


どちらがどちらか分からなくなった。境界が曖昧になった。それが、一秒ほど続いた。


息を吐いた。炎が揺れた。境界が戻った。


でも、触れた。


サラマンダーの炎は消えていなかった。


長い沈黙があった。


「合格だ」



全員が動いていなかった。


シロの耳が立っていた。ファルが腕を組んだまま、じっとその場を見ていた。テオが「届いた」と小声で言った。


サラマンダーがカルドを見た。


「お前たちが漂着した時点で、試練の対象になっていた」


「誰が」


「我らが主人だ。頂にいる者が、お前たちを見ていた」


「頂に、いるのか」


「竜は退屈している」サラマンダーが言った。「退屈は、時に残酷だ」


全員がその言葉の重さを感じた。名前は出なかった。それでも、何かが確かにそこにある、という感覚が来た。


「竜に会いに行けばいいのか」


「行けるなら行けばいいさ」サラマンダーが言った。それから少し間を置いた。「一つだけ言っておく」


「炎だけが試練ではない」


それだけだった。


サラマンダーが歩き出した。岩の向こうへ向かう。


「また会えますか」


サラマンダーが止まった。振り返らなかった。「気が乗ればな」


それだけで、また歩き出した。炎の体が岩の陰に消えていった。


熱が、少し引いた。空気が静かになった。



帰り道は、行きより静かだった。


誰も余計なことを言わなかった。でも重くはなかった。何かが変わった感覚が全員にあった。


シロがカルドの隣を歩いた。「届いたな」


「なんとか」


「どんな感じだった」


「自分にもよく分かりませんよ」


シロが「そうか」と言った。


ファルが「あの問いに答えられなかった」と前を向いたまま言った。


「ファルの答えは、悪くなかったですけどね」


「まだ憎んでいると言った。捨てられていないと言った」


「それが今のファルの本当のことだから」


「……お前はそれでいいのか」


「ファルが捨てようとしていると言った。それだけで十分です」


ファルは少し間を置いた。何も言わなかった。でも、歩き方が少し変わった気がした。


テオが「炎だけが試練ではない、か」と前を向いたまま言った。


「そうですね」


「他に何がある」


「分からない。でも、全員に関係するんだと思う」


テオが「そうか」と言って、また黙った。


拠点が見えてきたとき、デルタが入口に立っていた。全員の顔を見て「無事か」と言った。


「無事です」


「どうだった」


「やりました」


デルタがカルドを見た。それから短く頷いた。「そうか」それだけだった。


コトが先に拠点に入っていった。振り返らなかった。でも入口のところで一瞬だけ止まって、空を見上げた。それから中に入った。


何を考えていたのか、分からなかった。



夜、火を囲んだ。


炎を見ていた。


五日前と同じ炎だった。木が燃えている。揺れている。風が来れば傾く。


でも、今日触れた炎のことを思い出すと、この炎がまた少し違って見えた。同じ炎でも、質が違う。それだけのことが、妙に重かった。


ネグルが隣に来た。「届いたな」


「見ていた」ネグルは火を見た。「触れた瞬間、空気が変わった。俺でも分かった」


「ネグルは気づくのが早い」


「見ているから」それだけ言って、丸まった。


ファルが「明日から訓練内容を変える」と言った。


「何に変えますか」


「届いた感覚を体に覚えさせる。一度できたことは、繰り返せる」


「分かりました」


「それと」ファルは少し間を置いた。「炎だけが試練ではない、と言っていた。頂に向かうなら、準備が必要だ」


「急ぎません」


シロが「寝ろ」と言った。


「もう少し」


「今日は特にそれを言うな」


「……そうですね」


火が燃えている。川の音が続いている。


ただ、空気だけが静かに震えていた。

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