第22話 炎のかたち
「右手を見せろ」
朝、ファルが開口一番にそう言った。手を差し出すと、指先から手首にかけてをじっと確認した。昨日の爆裂型魔物との戦いで赤くなっていた皮膚は、一晩経ってだいぶ落ち着いている。
「焼けた跡がある」ファルは手を放した。「《炎舞剣》を使ったときに自分の熱で傷めたか」
「少し。制御が甘かったと思います」
「制御できていないスキルは自分を傷つける。まずそこから直す」ファルは岩壁の前に立った。「やってみろ。ゆっくりでいい」
テオ、ガンズ、ウルジが少し離れた場所で見ていた。ドグロとバルチもいる。少し後ろにネグルが陣取っていた。
「見るなら前に来い」ファルが振り返らずに言った。
五人がぞろぞろと前に出た。ネグルだけが「俺は見るだけだ」という顔で立っている。
「《炎舞剣》」
右手に意識を集中させた。魔力を手のひらに引き込む。前回は形を固めることに必死で、熱の制御が後回しになった。今日は順番を逆にする。まず熱の範囲を決める。手のひらの、どこからどこまでが炎の領域かを確定させてから、形を作る。
じわじわと、刃の形が出来上がっていった。前回より時間がかかった。でも、手が熱くない。
「どうだ」
「熱くない」
「見せろ」ファルが近づいた。炎の刃を横から見た。「密度が低い。まだ揺れている。魔力量を絞りながら形を固める練習をしろ。威力は後でいい。今は形だ」
《威力補正》を重ねた。魔力の量を少し落とす。炎の刃が小さくなった。でも、揺れが減った。
「そっちの方がいい」ファルは腕を組んだ。「大きければいいわけじゃない。安定した刃の方が、当たったときの威力は出る。分かるか」
「分かります」
テオが前に出た。「俺も触っていいか」
「触るな。燃えるぞ」
テオが「そうか」と言って引いた。それでも目は刃から離さなかった。
「次は高速移動と組み合わせる」ファルが岩壁から少し離れた。「走りながら形を維持できるか確認する」
《高速移動》を発動した。魔力を脚に集中させながら、右手の炎の刃も保ちつづける。
走った。刃が揺れた。着地の衝撃で形が崩れかけた。建て直した。また崩れた。
「止まれ」ファルが言った。「走っているときに右手に意識が向いていない。どこを見ている」
「前を」
「前を見ながら右手も意識しろ。二つ同時にやれ」
「難しいですね」
「難しくなければ特訓する必要がない」ファルの声は淡々としていた。責めていない。ただ、正確だった。「もう一度」
ガンズが小声でドグロに言った。「カルドでも難しいのか」
「スキル一個でも気を使う。二個三個同時は神経を相当使うだろう」
もう一度走った。今度は、右手ではなく炎の「形」に意識を置くことにした。手ではなく、空間の中に刃があると思う。走りながら、その形が崩れないように空気を押さえるイメージで。
着地した。刃が揺れた。でも、崩れなかった。
「今のは保った」ファルが言った。「何が違った」
「意識の置き方を変えました。手ではなく、空間に形があると思った」
ファルが少し間を置いた。「……なるほど」腕を組んだまま、何かを考えている。「それは正しいかもしれない。剣も同じだ。刃を意識するより、切る空間を意識した方が安定する。お前は剣を持たずにそこに辿り着いた」
「偶然です」
「偶然でも、正しければいい」ファルは岩壁の方へ歩いた。「その感覚を体に叩き込め。形が崩れたら最初からやり直し」
テオが「俺たちは」と言った。
「見て覚えろ。自分の訓練に置き換えて」
テオは頷いて、カルドの動きを目で追い始めた。
*
午前中、繰り返した。
走って、形を維持して、踏み込んで放つ。走って、維持して、放つ。何度も繰り返すうちに、考えなくても形が出てくるようになってきた。
「踏み込みながら放てるか」とファルが言った。
「試します」
踏み込んで、岩壁に向けて炎の刃を叩きつけた。岩壁に熱の跡が残った。
「形を保ちながらできてはいるが、威力が低い。次は《魔力圧縮》と同時に」
「消耗が大きくなりますよ」
「分かっている。一回だけやれ。感覚を掴む」
《炎舞剣》に《魔力圧縮》を通した。刃の密度が上がった。熱が増した。踏み込んで岩壁に叩きつけた。今度は、深い跡が残った。
「それだ」ファルは岩壁の跡を指でなぞった。「これが本来の威力だ。《魔力圧縮》は仕留めに行く一撃に使え。乱用すると後半に響く」
「なるほど」
ファルがカルドを見た。「昨日より明らかに安定している」
褒め言葉ではなかった。ただの事実だ。でも、ファルがそう言うのは珍しい。
「ありがとうございます」
「礼はいい。続きをやれ」
ガンズが「俺たちの訓練は」と言った。
「今から始める。カルドは一人で大丈夫そうだ。お前たちは付き合え」
テオが「やっと」という顔をして立ち上がった。
——案内人、《炎舞剣》の安定度は。
『前回使用時より制御精度が向上しています。長時間の連続使用では揺れが生じる可能性がありますが、使用間隔を置くことで改善されます』
——分かった。
*
昼前、ファルが「休憩」と言った。
全員が倒れるように地面に座った。バルチが「足が言うことを聞かない」と言った。
「明日には少し楽になる」ファルは水を飲みながら言った。「お前は走り方が悪い。つま先で蹴りすぎている。かかとから着地して前に転がせ」
テオが「俺の走り方は」と聞いた。「悪くない。腕の振りが少し大きい」
ガンズが「俺は」と聞いた。「問題ない」
ガンズが「そうか」と満足そうにした。
ネグルの隣に座った。ネグルは訓練に参加せず、ずっと観察していた。
「ネグルは走らないのですか」
「見ている方が分かることがある」ネグルは前を向いたまま言った。「テオは走りながら周りを見るとき、目が右から左に動く。左から右には動かない。癖だと思う」
それをファルに伝えた。
ファルは少し目を細めた。「……気づいていたか」ネグルの方を見た。「お前は偵察に向いている」
ネグルは「知っている」という顔をした。
*
午後、シロが戻ってきた。
「拠点の北側に弱い魔物の群れがいる。小型が十五匹ほど。数が増えている。放置すると拠点に近づく可能性がある」
ファルがこちらを見た。「やるか」
「やります。《炎舞剣》の実戦確認にもなりますし」
「ゴブリン組は来るか」ファルはテオたちを見た。
テオが「行く」と即答した。ウルジだけが「足がまだ痛い」と言ってから「でも行く」と続けた。
「無理なら残れ」ファルがウルジを見た。
「動ける」
「後衛で全体を見ろ。前には出るな」
全員で北側へ向かった。
*
小型魔物の群れは、岩場の窪みに固まっていた。体長は膝くらいの高さ。爪が長く、地面を引っ掻く音が絶えず聞こえていた。単体では大した脅威にならないが、数が多い。
「先頭を仕留めれば残りが散る可能性がありますね」
「そうだな」ファルが言った。「《炎舞剣》で先頭を一気に潰せ。残りは私とシロで対処する。ゴブリン組は外周を固めろ。逃がすな」
《炎舞剣》を出した。午前中の練習で体が覚えた形が、すぐに出てきた。安定している。揺れていない。
「行きます」
《高速移動》を発動した。岩場を三歩で駆け抜け、群れの先頭に向けて踏み込んだ。炎の刃を叩き込んだ。先頭の三匹が吹き飛んだ。
群れが反応した。バラけた。いくつかが逃げようとした。
「テオ、右」
一瞬、間があった。テオが動いたのは、声をかけてから半歩遅れた。逃げようとした二匹のうち一匹が、岩の隙間に滑り込んだ。
「逃げた」テオが舌打ちした。
「追うな」ファルが言った。「外に出たら追い返す」
シロが左側に飛び込んだ。二匹を仕留めた。ファルが正面から三匹を押さえた。剣を使わず、柄で打った。訓練の延長として扱っている。
「ガンズ、左後ろ」
ガンズが振り返った。一匹が岩の隙間から逃げようとしていた。棒で叩いて追い払った。
《炎舞剣》をもう二度使った。どちらも形は崩れなかった。踏み込みで揺れなかった。昨日とは全然違った。
岩の隙間に逃げた一匹が、外周に出てきた。バルチが棒で叩いた。仕留めた。
最後の一匹が岩の上に逃げた。シロが跳んで仕留めた。
「終わりましたか」
「終わった」シロが岩から降りた。
全員の顔を確認した。擦り傷一つなかった。
ウルジが後ろから来た。「三匹、右の茂みに逃げようとしたのが見えた。でも声に出せなかった」
「次はしっかり報告しろ」ファルが言った。「見えているなら伝える。一人で抱えるな」
「次は声にする」
ファルがテオを見た。「右の判断が遅れていた。声をかけてから動くな。自分で見て動けるようになれ」
テオが「分かった」と言った。悔しそうな顔をしていた。
テオがこちらに近づいた。「《炎舞剣》、今日は崩れていなかった。繰り返すと体が覚える、か」
「テオも同じです。今日の走りは昨日より安定していましたよ」
テオは「そうか」という顔をした。何も言わなかった。でも少し胸を張った。
*
拠点に戻ると、ドナンとレイスが西壁の補強を終えていた。
「終わったか」ドナンがこちらを見た。「どうだった」
「安定してきました。実戦でも崩れなかったです」
「昨日は疲れ果てた顔だったが、今日は違う顔だ」
ドナンが作業場に戻りながら言った。「鍛冶も同じだ。素材を叩き続けると、ある日突然馴染む」
レイスが設計図から顔を上げた。「北側の魔物は」
「片付けました。また増える可能性がありますが」
「ダンジョン周辺の生態系がまだ落ち着いていない。定期的に確認が必要だ」
「そうします」
夕方、ファルがそばに来た。
「今日の《炎舞剣》。午前と午後で別のスキルみたいだったな」
「そんなに変わりましたか」
「だいぶ」ファルは少し間を置いた。「一日でここまで安定させるのは、普通じゃない」
その言葉を、すぐには返せなかった。
「ファルが教え方を変えてくれたおかげですよ。空間に形があるという発想も、ファルの言葉から得ましたし」
ファルは少し目を細めた。「私はそこまで教えていない。お前が自分で辿り着いた」
「きっかけをもらったんですよ」
ファルは何かを言いかけて、止めた。それから「明日も続きをやる」と言って自分の場所に戻った。
背中が、昨日より少し軽そうに見えた。
*
夜、火を囲んだ。
テオが「明日の訓練はまた走るか」と聞いた。「そうだ」ファルは答えた。
テオが「覚悟する」という顔をした。
ガンズが「俺は走りは問題ない」と言った。「お前は別の課題がある。動きながら考えることだ。止まっているときの判断は速い。だが、動きながらになると遅れる」
ガンズが「気づかなかった」と言った。少し意外そうだった。
ドグロが「俺は」と言った。「腕が下がる癖がある。構えたとき、右腕が少し落ちる。意識して保て」
ドグロが「何も言わなかったから気づかれていないと思った」という顔をした。
「全員ちゃんと見ている」ファルはそれだけ言って火を見た。
ネグルがとなりでうとうとしていた。目が半分閉じている。それでも肩がこちらに寄りかかっていた。
コトが遠くから見ていた。目が合った。短く頷いた。
「コトも来ますか」と声をかけた。
コトは少し考えた。「俺は剣じゃない」
「何がしたいですか」
「まだ分からない。でも、分かったときに教える」
「了解です」
コトは頷いて、丸まった。
火が静かに燃えている。川の音が続いている。
右手を開いて、閉じた。
今日覚えたことが、手の内側に収まっている感触があった。
ネグルが肩に寄りかかったまま、完全に眠っていた。
絶海孤島編終了




