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漂流した冒険者  作者: 三幸 奨励
絶海孤島編
21/41

第21話 一人の日

北西に向かったのは、朝の早い時間だった。


拠点を出るとき、シロが「どこへ行く」と聞いた。


「北西を見てきます。まだ白紙のままなので」


「一人か」


「全員連れていくには、今日は都合が悪い。ファルはテオたちの訓練がありますし、ドナンとレイスは西壁の補強を今日中にやりたいと言ってましたし。ゴブリンたちにもそれぞれ役割がある」


「俺は」


「シロには拠点の守りをお願いしたいです。僕がいないとき、万が一のことがある」


シロが少し間を置いた。「……遠くへは行くな」


「半日で戻ります」


「半日」


「もし夕方までに戻らなかったら、迎えに来てください」


シロが短く鼻を鳴らした。「その前に戻れ」


「努力します」


シロがもう一度鼻を鳴らした。それから、入口から動かなかった。見送るつもりなのか、ただ立っているのか、シロのことなのでどちらか分からなかった。


振り返らずに歩き始めた。



北西の地形は、これまで探索した場所と違った。


地面が緩やかに上っている。岩が多い。木は少なく、背の低い草が岩の隙間から生えている。日当たりが良くて、視界が開けている。


風が横から来る。草の匂いがする。空が広い。開けた場所を歩くのは、思ったより気持ちが良かった。


——案内人、周囲の反応は。


『小型の魔物が複数、遠距離に。接近傾向なし』


地図を開いた。北西エリアの大部分はまだ空白だ。今日は少しでも埋めたい。


岩場を登りながら、地形を確認した。崖になっているところ、谷になっているところ、平地が続くところ。少しずつ書き加えていく。


一時間ほど歩いたところで、大きな岩の塊が見えてきた。


巨岩が複数、不規則に積み重なっている。自然に積まれたとは思えない大きさのものが、まるで投げ捨てられたように並んでいる。


近づいた。岩の表面に、焦げた跡がある。古い。高温にさらされた痕跡が、風化しながら残っている。


——案内人、これは。


『熱変性が確認されます。通常の火では達しない温度です。少なくとも数十年以上前と推測されます』


数十年。この島に、昔から何かがいた。


地図に「焦げた巨岩群」と記した。


それから先に進もうとして——


《波長理解》が、引っかかった。


「……いる」


『大型の反応です。岩の影に静止しています。距離は約四十メートル。岩で遮蔽されていたため、先ほどまで検出されていませんでした』


最初からいた。僕が近づいたことで、波長が漏れ出した。


《慧眼》を向けた。岩の向こうに大きな何かがいる。魔力が膨らんでいる。まだ動いていない。


そのとき、岩の向こうから音がした。低い、腹に響く音だった。唸り声ではない。圧力のこもった、機械的な音だ。


岩が吹き飛んだ。魔力が一点に収束して、一気に解放された。岩が砕けて、破片が四方に散った。


《高速移動》で横に跳んだ。岩の破片が頬をかすった。


その向こうに、それが立っていた。



体長は三メートルほど。四足歩行で、前肢が太く、地面をつかむように指が広がっている。全身が暗い紫色の鱗で覆われていて、鱗の隙間から赤みがかった光が漏れている。熔けかけた金属のような光り方だった。


口が、開いた。腹の光が膨らんだ。


「来る——」


跳んだ。爆発が、さっきまでいた場所を吹き飛ばした。地面が抉れた。直径二メートル近い穴が生まれた。


熱い。余波が腕をなめた。


——案内人。


『体内に魔力を溜めて爆発させる魔物です。解放後は魔力が落ちます。その間が隙です。ただし間隔は短い。十五秒から二十秒程度』


——十五秒か。接近するしかない。


爆発の予兆は読める。腹の光が膨らむ前に動けばいい。


動いた。魔物が向きを変えた。光が膨らみ始める。左に跳んだ。爆発が右を吹き飛ばした。


着地と同時に《高速移動》で前に出た。十メートル、縮まった。まだ遠い。


魔物が追ってくる。四足の動きが速い。次の爆発を待ちながら距離を取る。


光が膨らんだ。今度は前方への連続爆発だった。跳んで、着地して、また跳んだ。三回でようやく外れた。


足が岩を踏んだ瞬間、滑った。


体勢を崩した。


魔物が正面にいた。光が膨らんでいた。


間に合わない——


爆発が頭上を通った。でも衝撃が来た。吹き飛ばされた。岩に背中を打ちつけた。視界が揺れた。


立ち上がれない。魔物が近づいてくる。腹の光が、また膨らんでいる。


光が膨らむ。膨らむ。膨らむ。


弾けた。



気づいたとき、地面に膝をついていた。


『スキル《死に戻り》を使用しました。エネルギー残量、少』

『スキル《認識転写》を使用します。15秒間のみ、1つの追加スキルの取得が可能です』


視界の端に、淡い光が浮かぶ。


『取得候補を提示します』

『爆発感知:爆発型魔力の予兆を精度高く感知する』

『魔力障壁:魔力で一時的な盾を生成する』

『炎舞剣:魔力を炎の刃として生成し、高速移動と組み合わせて放つ』


「《炎舞剣》」


迷わなかった。高速移動で間合いを詰めながら叩き込む。爆発の隙間に差し込む。今の状況に一番嚙み合う。


選んだ。時間が戻った。



魔物が正面にいた。爆発の直後だ。腹の光が薄い。隙がある。


「《炎舞剣》——」


発動した。右手に熱が集まった。炎ではなく、炎の形をした魔力の塊だ。初めて使うスキルは不安定で、刃の形に収束しきれない。《威力補正》と組み合わせて魔力の量を調整しながら形を固定した。長さ五十センチほどの、薄いが密度のある刃が手の中で落ち着いた。


「行く」


《高速移動》で地面を蹴った。魔物が反応して光が急速に膨らみ始める。三歩で間合いを詰めた。炎の刃を、鱗の隙間に向けて差し込んだ。


熱が貫いた。


魔物が高く短く鳴いた。腹の光が揺れ、蓄積が乱れた。


後ろに跳んで《炎舞剣》を再形成した。今度は少し安定した。魔物が前肢を上げた。叩き落とそうとしている。同時に光が膨らんでいる。


跳んでかわし、着地と同時に駆けた。今度は喉元に向けた。


炎の刃が、鱗のない部位に刺さった。光が散った。爆発ではなく、溜まっていた魔力が不完全に漏れた。


魔物の動きが鈍った。


三度目を作った。二度の使用でスキルが体に馴染んできた。形成が速くなった。《魔力圧縮》を上乗せして、炎の刃に密度を通す。


《高速移動》。最後の踏み込み。炎の刃を、首の付け根に叩き込んだ。


熱と圧力が、一点に集中した。


魔物が、ゆっくりと崩れた。光が消えた。動かなくなった。


静寂。風の音だけがあった。



しばらく、その場に膝をついていた。


右腕がひどく重い。使い慣れないスキルを無理に動かした反動だ。魔力の消耗も大きい。


地図を開いた。この場所に印をつけた。「爆裂型大型魔物、撃退」と書き、地形を書き加えた。


まだ北西の奥がある。でも今日はここまでにしようと思った。体が正直にそう言っていた。


帰ろう。



拠点への帰り道は、行きより時間がかかった。


途中、岩に腰を下ろした。水を飲んだ。


一人でいる、という感覚が、今になってじわりと来た。


いつもなら、誰かがいる。シロが隣にいる。ファルが前を歩いている。レイスが後ろから全体を見ている。ドナンが無言でそこにいる。ネグルがいつの間にか隣に来ている。


今日は誰もいない。


静かだった。悪くはなかった。ただ、慣れていない。


「……一人でいることに、こんなに慣れていないとは思わなかった」


風が吹いた。立ち上がった。また歩いた。



拠点に戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。


シロが入口にいた。


「遅い」とシロが言った。


「まだ半日経っていませんよ」


「少し過ぎた」


「ほんとですか」


シロが鼻を近づけてきた。匂いを嗅いでいる。それから、「傷があるか」と言った。


「大した傷じゃないですよ。右腕が重いですけど、骨は折れていない」


「魔力の消耗は」


「今回はかなり消費しましたが、時間が解決してくれます」


シロが少し間を置いた。「……何と戦った」


「爆裂型の大型魔物で、強かったですよ。おかげで一度死にましたから」


シロの耳が、わずかに動いた。感情を表に出さない。でも、耳は正直だった。


「……そうか」


「ただそのおかげで《炎舞剣》を取得しました。炎の刃を生成して、高速移動と組み合わせます。まだ安定していないが、使えました」


シロが「見せろ」と言った。


「今は消耗しているので、後で」


「後で」


「はい」


シロがまた鼻を鳴らした。「中に入れ。食事にしろ」


「ありがとうございます」


「礼はいらない。倒れられると困る」


中に入った。


ネグルがいた。すぐに隣に来た。右腕を見た。「重そう」と言った。


「重い」


「無理するな」と言って、水を持ってきた。


コトが遠くから見ていた。目が合った。短く頷いた。それだけだった。


ガンズが「どこへ行っていたか」と聞いた。


「北西を探索してきました」


「一人でか」


「はい」


「強い魔物がいたか」


「いました」


「次は俺たちも連れていけ」


「次は考えます」


「考えるは駄目だ。考えると連れていかない」


「……善処します」


「善処も駄目だ」


「……また今度」


ガンズが「それも微妙だ」と言いながら戻った。



夕方、ファルが訓練を終えて戻ってきた。


カルドを見て「右腕か」と言った。


「分かりますか」


「かばっている。何があった」


「新しいスキルを取得しました。明日見せます」


「明日でいい。使えることと、安全に使えることは違う。制御できていないスキルは、味方を傷つける。最初の段階で丁寧にやれ」


「分かりました」


「明日から特訓に付き合う」


「……ありがとうございます」


「礼はいい。下手なスキルを持った仲間が隣にいると、私も怖い」


「正直な理由ですね」


「正確な理由だ」とファルが言って、自分の場所に戻った。


ドナンが通りがかった。右腕を見た。「焼けたか」


「少し。鱗が剥がれた隙間から、熱が来ました」


ドナンが「見せろ」と言った。腕を出した。皮膚が赤くなっているが、水ぶくれにはなっていない。


「大したことはない」とドナンが言った。行きかけて、止まった。「一人で行ったのか」


「そうです」


「……次は言え」


ドナンがまた歩き出した。振り返らなかった。ただ、それだけだった。


レイスが設計図から顔を上げた。「北西はどうだった」


「焦げた巨岩群がありました。数十年前に高温にさらされたであろう跡があります」


レイスの目が少し変わった。「詳しく聞かせてくれるか」


「明日、みなさんにまとめて報告します」


「明日でいい。記録に残したい」



夜、火を囲んだ。


《炎舞剣》のことを、しばらく一人で整理した。炎の刃。高速移動との組み合わせ。まだ荒削りだ。制御が甘い。ファルが明日から付き合うと言ってくれた。


「カルド」とネグルが言った。


「何ですか」


「今日、一人で行ったのはなぜか」


「みんなに役割があったから」


「俺の役割は」


「今日は拠点にいてもらいたかった」


ネグルが少し考えた。「次は連れていけ」


「ガンズにも同じことを言われました」


「ガンズとは別だ。俺が言っている」


「……分かりました。次に北西へ行くときは、ネグルを連れていきます」


ネグルが満足そうに黙った。


コトが「俺も」と言った。コトが頷いた。それだけで、丸まって眠り始めた。


シロが「お前はすぐ約束を増やす」と言った。


「仕方ないです」


「断れ」


「断るとネグルが怒ります」


「ネグルに断ると言え」


「嫌ですよ。シロが言ってください」


シロが短く息を吐いた。「……寝ろ」


「もう少しだけここにいます」


「毎日それを言う」


「今日は少しやることがありますから」


火が静かに燃えている。川の音が続いている。


右腕がまだ少し重い。でも、動く。


荒削りなスキルは、磨いていくものだ。一人でいた今日は、少し長かった。でも、悪くはなかった。


次は、誰かと来よう。

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