第17話 それぞれの朝
朝、拠点が変わっていた。
正確には、数日前から少しずつ変わっていたのだが、今日はっきりそう感じた。
起き上がると、すでに外が騒がしい。
金属を叩く音。木材を組む音。案内人が「ゴブリン語で会話中」と伝えてくる。
外に出ると、ドナンが大きな岩の傍にしゃがんでいた。その隣にゴブリンたちが並んでいる。全員、ドナンの手元を食い入るように見ていた。
グラッグ、ボルク、ズリム。昨日、名前をつけた三匹だ。
全員に名前をつけ終えたのは昨夜のことだった。拠点に来た十五匹、一人ずつ顔を見て、声を聞いて、動きを見て。デルタから「名前はつけた者への誓いだ」と言われていたから、早く済ませようとは思わなかった。時間がかかったが、悪くない夜だった。
「おはようございます」
ドナンが顎でゴブリンたちを示した。「こいつら、夜明け前から来てたぞ」
「早いですね」
「俺が起きたら、もういた」
ドナンはそれだけ言って、また手元の作業に戻った。
グラッグが、ドナンの鑿の動きをじっと追っている。昨夜名前をつけるとき、胸を力強く叩いた。気に入ってくれたらしかった。
「グラッグは筋がいい。石を見る目がある」とドナンが振り返りもせずに言った。
グラッグが誇らしそうに胸を張った。案内人が伝えていなかったのに、ドナンの声のトーンで何かを察したらしかった。
*
レイスは北側の岩壁に向かっていた。
設計図を手に、ゴブリンたちと何かを話し合っている。その中の一匹——キズラが、設計図を指差して何かを言った。
「案内人を通して伝えましょうか」と声をかけた。
「ありがとう。少し頼む」
「ゴブリンの村で使っていた組み方があれば教えてほしい。我々の技術と合わせてより良いものができると思う」
キズラが設計図を指差した。
『「この柱の間隔、広すぎる。岩の重さに負ける」』
「どうして分かる」
『「村の小屋を百年建て続けてきた。岩の重さは体で知っている」』
「なるほど」とレイスが設計図を見直しながら言った。「ゴブリンの経験則は百年分か」
「……賑やかになりましたね」
「賑やかは良いことだ」とレイスが言った。珍しく、少し笑顔になっていた。「知恵が集まるほど、良いものができる」
*
ファルは広場の端にいた。
ガンズが棒を構えていた。昨夜、戦士になりたいと言った目が真剣だったので、その名前をつけた。今も同じ目をしている。
「毎朝来るんですか」
「夜明け前から待っていたこともある」とファルが、視線をガンズから離さずに言った。
ファルが棒を持って、ゆっくりと構えを示す。ガンズがじっと見る。ファルが棒を下ろした。ガンズが自分で同じ動きを試みた。ぎこちないが、さっきよりは似ている。
ファルが何も言わなかった。でも、少しだけ頷いた。
ガンズが目を輝かせた。それだけで十分らしかった。
昼過ぎに通りかかると、ファルが足の運び方を示していた。ガンズの足が広すぎた。ファルが棒の端で足をそっと押して直す。言葉はなかった。
それから、構えから一歩踏み込む。棒を前に突き出す。鍛えた動きだった。
ガンズが口を半開きにして立っていた。
「これが今日の目標だ。帰るまでに、一度だけ同じ速さで動けるようになれ」
案内人が伝えると、ガンズが棒を持ち直した。「見たい」という目ではなく、「やる」という目になっていた。
端でウルジが様子を見ていた。訓練には加わらず、じっと観察している。昨夜、戦士にはなりたくないが、仲間の傍にいたいと言ったゴブリンだ。ファルに伝えると、少し目を細めた。
「……そういう奴が一人いると、全体が強くなる」と、低い声で言った。「隣に来い」
ウルジが静かにファルの隣に立った。
「戦士の目線じゃなく、守る者の目線で見ろ。どこに隙ができるか、見えるようになる」
*
昼になって、全員で食事をした。
ネグルが隣に座ってきた。前日も、その前の日も、気づくと隣にいた。一番小さいゴブリンで、でも昨夜名前をつけるとき一番堂々としていた。
「ネグル、今日も早かったですね」
『「早く起きれば、カルドの隣が空いている」』
「早く起きなくたって僕の隣はガラガラですよ」
ネグルが首を傾けた。何を言われたか分からないが、悪くない反応だと判断したらしく、また食事に戻った。
デルタが向かいに座っていた。
「デルタ、今日の様子はどうですか」
デルタがゆっくりと拠点を見回した。
『「思ったより良い。最初は不安だった。人間と共に暮らすのは初めてのことだ」』
「今は」
『「職人の者たちが、ドナンのそばで朝から夜まで離れない。あれが答えだ」』
「ドナンも嫌がっていない」
『「人間は魔物を恐れると聞いていた。でも、あなたたちは違う」』
「みんなが特別なんだと思います」
デルタが静かに笑った。
『「特別な者たちが集まれば、特別な場所になる」』
「デルタ、一つ。この島に古いもの——ダンジョンの石板のような——思い当たるものはありますか」
デルタがしばらく黙った。食事の手を止めて、遠くを見ている。
『「ある。ゴブリンの間に伝わる話だ。昔々、この島には人間でも魔物でもない者たちがいた。彼らは山の頂まで道を作り、そこで何かをしていた。でも、いつの間にかいなくなった」』
「いなくなった」
『「誰も知らない。ただ、彼らが残したものはある。洞窟の壁の文字。石の構造物。そして——東の声だ」』
「東の声」
『「私たちはそう呼んでいる。夜になると聞こえる気配のことだ。何かが、いつもこちらを見ている。悪いものではないが、正体が分からない」』
「いつから」
『「私が生まれる前から、おそらく。ただ、最近変わった。以前より近い。以前より、はっきりしている」』
「僕もそれを感じている」
デルタがこちらを向いた。
『「お前たちが来てから変わった。ダンジョンをクリアしてから、特に」』
「繋がっているのかもしれない。石板には、試した者は上に還れ、と書いてあった」
デルタが静かに目を閉じた。それから、開けた。
『「ならば、近いうちに何かが起きる。仲間を増やすことだ。何が起きるかは分からない。でも、一人より二人、二人より百人の方が、どんな状況にも対応できる」』
『「それがお前の最初から言っていたことだろう」』
『「強い者も弱い者も関係なく生きていける場所を作ると」』
「忘れません」
*
夜になった。
火を囲む人数が増えた。二十人の輪は、以前の五人のときとは全然違う賑やかさだった。
ガンズが夕食後も棒を握ったまま素振りをしている。グラッグが今日作った石片をドナンに見せていた。ドナンが何かを言うと、グラッグが真剣な顔で頷いた。
ネグルが隣に座ってきた。
「眠くないのか」
少し考えてから答えた。
『「眠い。でも、まだここにいたい。今日も、ドナンがグラッグを褒めた。レイスがキズラの話を一生懸命書き留めていた。ファルがガンズをこっそり見ていた。全部、面白かった」』
「観察が好きなんだな」
『「デルタに言われた。お前は目が良い、と。体は小さいが、見ることは誰にも負けない」』
「いい言葉だな」
ネグルが少し胸を張った。それから、また眠そうな目になった。
「寝ろ」
ネグルが小さく何かを言って、火の近くに丸まった。すぐに寝息を立て始めた。
デルタが隣に来た。
「今日はどうでしたか」
『「良かった。特にキズラが嬉しそうだった。あの子は長い間、自分たちの知恵を誰かに渡したかったのだと思う。受け取る者がいなかっただけで」』
しばらく、火の音だけが続いた。
「他に気になることは」
デルタが少し考えてから言った。
『「村に残った者の一人が、泣いていた。来られないことが悲しかったようだ」』
「デルタはどうしたんですか」
『「村に残ることも、大事な役目だと言った。拠点が大きくなれば、いつか村と拠点の間に道ができる。その道を守る者が必要だ、と」』
「そうしたら」
『「少し、落ち着いた」』
「デルタは村の者も拠点の者も、両方見ているんですね」
『「リーダーとはそういうものだ。全員が向こうを向いているとき、一人だけ後ろを向いている者が必要だ」』
「疲れませんか」
デルタが少し目を細めた。
『「慣れた」』
短い言葉だったが、その中に長い時間が詰まっている気がした。積み上げた年月の重さが、たった一言に収まっていた。
*
夜が深まって、全員が眠り始めた頃、《波長理解》が揺れた。
東だ。
以前より近い。以前より大きい。
でも今夜は、いつもと違う感触があった。「観察している」という静かな気配ではなく、もっと能動的な何かだ。
——案内人。
『感知しています』
——今夜の反応は前と違う。
『パターンが変化しています。今まで一定の距離を保っていましたが、今夜は距離が縮まっています』
——敵対しているのか。
『敵対的な波長は検出されていません。ただ——』
少し間があった。
『石板の文字パターンとの一致が、今まで以上に強く出ています。波長の構造が、問いかけに近い形をしています』
試されている。
向こうは、ただ待っているわけじゃない。こちらを見て、何かを測っている。
——どのくらいの距離だ。
『森の向こうで停止しています。今夜、この位置まで来ました』
来ることはできる距離まで来て、止まっている。
——案内人、向こうに伝えることはできるか。
『波長で返答を送ることは可能です。ただし、相手が理解するかどうかは断定できません』
——試してみる価値はある。明日、会いに行く。それだけ伝えてくれ。
案内人が少し間を置いた。
『送りました』
東の気配が、揺れた。
波長が、一瞬だけ変化した。言葉ではない。でも、何かを返してきた。
——……伝わったか。
『反応がありました。内容は解析できません。ただ——』
また少し間があった。
『問いかけの波長が、強くなっています』
まだ、答えを待っている。
気配がゆっくりと遠ざかった。消えたわけじゃない。少し離れた場所で、また静かになった。
シロがいつの間にか隣に来ていた。
「こんばんは、シロ」
「さっきから感じていた」とシロが、低く静かに言った。「今夜は違う。近い」
「怖いですか」
シロが少し間を置いた。「……分からない。今まで感じていたものより、大きい。でも、悪くない。そのどちらでもある」
「僕も同じですよ」
「お前はどうするつもりだ」
「明日、少し見に行こうかと。みんなにも話すつもりです」
シロが短く息を吐いた。「……また死ぬ気か」
「会うだけなら死なないですよ。殺す気があるなら僕らはとっくに襲われてます」
「お前が『だけ』と言うとき、大抵そうならない」
「今回は本気で『だけ』です」
シロが鼻を鳴らした。「一人では行かせない」
「そうですか、心強いです」
「なら、今は寝ろ。眠れないかもしれないが、目を閉じていろ」
グラッグが石片を手に握ったまま眠っている。ネグルが丸まっている。ガンズがまだ棒を持ったまま、でも目を閉じている。
川の音が続いている。
東の気配は、まだそこにあった。
問いの答えを、待ちながら。




