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漂流した冒険者  作者: 三幸 奨励
絶海孤島編
11/43

第11話 黒鱗蜥蜴の群れ

朝、ファルが地図を広げた。


「東側がまだほとんど白紙だ。今日はここを潰したい」


指先が、地図の右側を叩く。川の先、森が深くなる方向。昨夜、気配がした方角だ。


「賛成」と言った。「昨夜の気配も、東だったから」


ファルが少し目を細めた。「今朝は感じたか」


「《波長理解》で確認したけど、遠くに薄く残ってる程度だった」


「行くなら早い方がいい。戻りに時間がかかるようなら引き返す」


「了解」


シロがすでに立ち上がっていた。「先行する」


ドナンが作業の手を止めずに言った。「何かあれば戻れ」


レイスが設計図から顔を上げた。「壁の一面は今日中に終わらせる。夕飯までには帰ってきてくれ」


「了解です」


三人と一匹で、東へ向かった。



森が深くなるにつれて、空気が変わった。


じんわりと重い感覚。魔力が濃い。


「《波長理解》に引っかかってくる」


「私も感じる」とファルが言った。「地面が違う。踏み心地が重い」


探索者の感覚だ。足裏で地面を読んでいる。


シロが低く言った。「魔力が溜まっている場所がある。近い」


「どっちだ」


「……まっすぐ」


木々の密度が増す。光が届きにくくなる。


そして、開けた。


崖の手前に出た。高さ十メートルほどの岩壁。その根元に、暗い口が開いていた。


洞窟だ。


ただの洞窟じゃない。入口から、魔力が漏れ出している。石柱の丘で感じたものに似ているが、密度が違う。錆びた鉄と鋳造した鉄ほどの差があった。


《波長理解》を向けると、揺らぎが重なり合って見えた。


「……すごい濃度だ」


『高濃度魔力空間を確認。内部の構造は不明。通常の洞窟とは異なる魔力の流れを検知します』


「ダンジョンだ」とファルが言った。声が、少し変わった。探索者の目になっている。


「見たことあるんですか」


「数度。ただ、これほど濃度の高いものは初めて見る」ファルが入口を観察しながら言った。「魔力が外に漏れているということは、内部は相当の密度だ。無策で入れるものじゃない」


「今日は入らない方がいいか」


「絶対に入るな」ファルが断言した。「準備なしでここに入ったら、魔力酔いを起こす。最悪、出られなくなる」


「魔力酔い、とは」


「空気中の魔力が濃すぎると、体が制御できなくなる。スキルが暴走したり、判断力が落ちたりする。探索者なら基本中の基本だ」


「……知らなかった」


「お前は冒険者だろ。習わなかったのか」


「底辺冒険者だったので」


ファルが少し間を置いた。「……なるほど」それ以上は言わなかった。優しい人だと思った。


シロが入口の傍で鼻を利かせていた。「中に魔物はいるか」


「いる。ただ、奥だ。入口付近は今のところ静かだ」


「濃度が高い場所の魔物は強い。ここから先は別の話になる」とファルが言った。「準備を整えてから来よう。今日は場所を把握するだけでいい」


地図を広げた。崖の位置。洞窟の入口。周囲の地形。丁寧に書き加える。


「ファルさんって、ダンジョンに入るとき何を準備するんですか」


「魔力遮断の道具。解毒薬。光源。それと、必ず複数人で入る。一人では絶対に行かない」


「そういうルールがあるんですか」


「私が決めたルールだ」ファルが静かに言った。「一度、仲間を亡くしてから」


誰も何も言わなかった。風が吹いて、洞窟の入口から魔力の流れが揺れた。


「……行こう」とファルが言った。「情報は十分だ」


地図を折りたたんで、来た道を戻り始めた。



帰り道の途中だった。


《波長理解》が、左側で揺れた。


複数。かなり多い。


「シロ」


「知ってる。七、いや八つ」


ファルが剣に手をかけた。「どんな魔物だ」


「中型。魔力は中程度。ただ、数が多い」


草むらが揺れた。


現れたのは、蜥蜴に似た魔物だった。直立して歩き、爪が長く鋭い。鱗が黒光りしている。一匹、二匹——気づけば八匹が半円を描いて囲んでいた。


『警告。黒鱗蜥蜴型魔物。群れで行動し、連携攻撃を得意とします。個体の強さより、数と連携が脅威です』


「囲まれた」と言った。


「見れば分かる」とファルが静かに答えた。声は落ち着いている。


シロが前に出た。「後ろを守れ」


「うん」


ファルが剣を抜いた。音がなかった。鞘から剣が出る音すら、消えていた。


「カルド。弱点は」


「《慧眼》で確認します」


八匹を順番に見る。首の付け根、左側。脇腹の鱗が逆立っている場所。刃の薄い部分を探すように、弱点が見えた。


「首の左側と、脇腹の鱗が逆立ってる場所。そこが薄い」


「了解」


魔物が動いた。三匹がファルへ。二匹がシロへ。三匹が僕へ。


《高速移動》で横に跳ぶ。一匹をやり過ごして、火球を脇腹に叩き込む。命中。鱗が割れた。一匹が怯む。


シロが向かってきた二匹の間をすり抜けた。速い。魔物が反応できていない。振り返りながら、一匹の首に牙を当てる。正確に、弱点を狙った。一匹、動かなくなった。


ファルの方を見た。


三匹を相手に、まったく後退していない。


剣が、光の軌跡を描く。一匹の攻撃を流して、そのまま体を回転させて別の一匹の首を払う。流れるような動作だった。止まっていない。常に動き続けている。水が低いところに流れるような、自然な動き方だった。


残り五匹。僕が怯ませた一匹にシロが追撃を入れて、二匹目が倒れた。


残り四匹。ファルが三匹のうち一匹を仕留めた。


残り三匹。三匹が一度下がって、また半円を作り直そうとした。


「逃がすな」とファルが言った。


シロが一匹を追って、森の中に消えた。《慧眼》で残り二匹の弱点を確認して、収束した火球を脇腹に叩き込む。一匹、動かなくなった。


残り一匹。


その一匹が、少し距離を取った。仲間が減ったことで、本能が退くよう叫んでいるのかもしれない。


でも、遅かった。


ファルが地面を蹴った。


剣を大きく引いて、弧を描くように振る。風が鳴った。


一撃。


斬撃というより、波だった。剣の軌跡が空気ごと圧縮されて、魔物の鱗を吹き飛ばす。広範囲に、魔力の余波が広がった。


魔物が倒れた。静寂。


シロが森から戻ってきた。「こちらも終わった」


「……ファルさん、今の最後の技」


ファルが剣を鞘に戻した。「《圧剣》だ。魔力を剣に乗せて、広範囲に解放する。消耗が激しいから最後の手段だが」


「あれがスキルなんですか」


「私のスキルだ。一つだけだが、十分だと思っている」


《圧剣》。広範囲の剣技。ファルが探索者として一人でも生き残ってきた、その力の核心だ。


「かっこいいです」


ファルが少し目を逸らした。「……慣れないことを言うな」


シロが「同感だ」と短く言った。ファルの耳が、少し赤くなった気がした。



拠点に戻ると、壁の一面が完成していた。


岩壁と板材が組み合わさって、しっかりとした壁になっている。昨日の屋根に続いて、小屋らしい形になってきた。


「おかえり」とレイスが言った。「何かあったか」


「いくつか」


食事の準備をしながら、今日の報告をした。ダンジョンの発見。魔物との戦闘。


ドナンが「ダンジョンか」と低く言った。「行くつもりか」


「準備してから。ファルさんが必要なものを教えてくれました」


「魔力を通さない鉱石があれば、遮断の道具は作れる」とドナンが言った。「この島にあるかどうか」


「調べてみます」


レイスが「ダンジョンの濃度はどのくらいだったか」と聞いた。


「石柱の丘より高かった」


レイスが少し目を細めた。「この島は、普通じゃないな」


「石柱。高濃度の洞窟。山の頂の存在。東の気配」レイスが静かに並べた。「全部、繋がっているように見える」


「……僕もそう思ってます」


食事が始まった。今日はファルが仕留めた黒鱗蜥蜴の肉を焼いた。脂が多くて、香ばしい匂いが漂う。


「うまい」とドナンが言った。


「鱗を剥ぐのが大変でしたけど」


「鱗は素材になる。捨てるな」


「取っておきます」


食事が進むうちに、会話が広がった。


レイスが「ヴァルク国を出てから各地を見てきたが」と切り出した。「世界は今、穏やかではない」


「魔王の話ですか」


「五年ほど前から、魔王の動きが活発になっている。幹部が各地に現れて、国を脅かしている。ヴァルク国も無関係ではない」


「ヴァルク国にも来たんですか」


「幹部の一人が国境近くまで来た。ただ」レイスが少し間を置いた。「その幹部は、ヴィラが倒した」


「ヴィラ」


「世界最強の魔法使いと呼ばれている人間だ」とファルが言った。「単独で魔王幹部を撃破した。エクストラスキルを持っているという噂がある」


「エクストラスキルって、なんですか」


「複数のスキルが融合して生まれる、上位のスキルだ」とレイスが言った。「魔王や幹部クラスに稀に見られるという話だが、人間でも持てるとヴィラが証明したとも言われている。ただ、確認した者はいない。本人が姿を見せないから」


「どんな人なんですか」


「謎が多い」とファルが言った。「単独行動で、国に属さない。悪意があると思われている節もあるが、実際に害を与えたという話は聞かない」


ドナンが「実は俺はそいつに会ったことがある」と言った。


全員が、ドナンを見た。


「いつですか」


「旅の途中で。一度だけ」


「どんな人でしたか」


ドナンはしばらく考えた。「……静かな人だった。目が、遠くを見ていた」


それ以上は言わなかった。でも、ドナンが「静かな人だった」と言ったことが、何となく印象に残った。


「いつか会ってみたいですね」


「会えるかどうかも分からない」とファルが言った。「でも、お前なら会えるかもしれないな」


「なんでですか」


「変な人間には、変な人間が引き寄せられるから」


シロが短く「同感だ」と言った。少し笑った。「ありがとうございます、たぶん」



夜が深まった。


レイスとドナンが先に寝た。ファルが番をしながら、剣の手入れをしている。


地図に今日の発見を書き加えた。ダンジョンの入口。周囲の地形。帰り道の魔物の生息域。


「ファルさん」


「何だ」


「今日の《圧剣》、本当にかっこよかったです」


ファルが手を止めた。「……さっきも言っただろ」


「もう一回言いたくて」


「……」


ファルが剣の手入れを再開した。「お前は変なところで素直だな」


「そうですか」


「悪いことじゃない」


しばらく沈黙が続いた。


「ファルさんが仲間を亡くした話」


「……聞くな」


「ごめんなさい」


「いや」ファルが短く言った。「いつか話す。今じゃないだけだ」


「分かりました」


「お前は待てる人間か」


「待てます」


ファルが少し息を吐いた。「……変人のくせに珍しいな」


その一言だけだった。でも、何かが決まった気がした。


シロが「寝ろ」と言った。


「もう少し」


「番は私がやる」


「シロも寝ないと」


「眠くない」


そう言いながら、シロは目を閉じた。眠そうだった。


地図を折りたたもうとしたとき、《波長理解》が揺れた。


東だ。


確認する。昨夜より、大きい。昨夜より、近い。まだ遠い。でも、昨夜は感じなかった輪郭がある。


『東方向の高濃度魔力反応、増大を確認。昨夜比、約一・四倍。ただし接近はしていません』


——案内人、これって。


『不明です。ただ——反応のパターンが、ダンジョンの魔力と類似しています』


ダンジョンと、同じパターン。


——関係があるってこと?


『断定できません。ただ、この島の魔力構造に共通点がある可能性があります』


石柱の丘。ダンジョン。東の気配。全部繋がっているのかもしれない。


東の方向を見た。暗い森。その先に何かがいる。


怖いかと聞かれれば、怖い。でも、知りたいとも思う。


「……また明日、考えよう」


地図を折りたたんだ。


火が、静かに燃えている。川の音が続いている。


東の気配は、今夜も消えなかった。

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