1−1可愛い花にも棘はある
ぎゅんっ、ぎゅんっ、と濁声とソプラノが混じった生き物の鳴き声が聴覚を刺激する。
お日様の香りに誘惑されながらもレーリア・ノールベルツは重たい瞼をゆっくり開け、上体を起こす。
(ここは…)
キングサイズの、ふかふかなベッドの心地よさ。
視界に映るのは彫刻が彫られたドレッサーや、5人掛けのティーテーブルなどの木製の家具。壁には戦う女性が描かれた絵画が飾られている。
大理石の床の上には白、桃色、赤のパンジーのような花を生けた大きな花瓶があり、ベッドサイドには水差しとコップなども置かれていた。
全体的な部屋の色味は白で統一されている過ごしやすそうな部屋だ。
日差しがカーテンの隙間から差し込む。
起きてすぐに光を浴びる日が来るなんて、レーリアは想像することすら放棄していた。4年前から。
(私、あの後どうしたのだっけ…)
ぼんやりしていた頭が少しずつクリアになったが、ジルの手を取ったところまでしか思い出せない。
この部屋に入った記憶は無いし、ましてや長袖でロング丈のネグリジェを着た覚えも無かった。
「疲れてるのかしら…」
「あのぉ…大丈夫ですか…?」
部屋の中で知らない女の子の声が聞こえてきた。
すかさず左右を見回して見たが、誰もいない。
(あんなにハッキリ聞こえたのに)
これが世に聞く心霊現象というものなのだろうか。まさか昼間に居合わせるとは。
コンコンとノックの音がドアの外から耳に届いたので「どうぞ」と促す。
扉を開けたのは眼鏡をかけたジル。
2本の角は無く、獰猛さは鳴りを潜めて、落ち着いた雰囲気の人間の男性に見える。
その左手が支えるトレイにはお皿が乗っている。レーリアの朝食だろうが、本性は吸血鬼だというのに違和感なく溶け込んでいた。
「気分はいかがですか?お嬢さん」
「大丈夫ですけど……もしかして私……」
「倒れられたのです。色々とありましたからね、無理もありません。食事はできそうですか?」
「はい、いただきま……いただくわ」
ティーテーブルの椅子に腰掛け、台の上に置かれた朝食には、スープやサラダ、ローストビーフ、バケットが並べられている。
朝のメニューとしては充分な量だ。レーリアには少し多いかもしれない。
「おかわりもありますから。これから食事は絶対に疎かにはさせません。もし他に食べたい料理などがありましたら遠慮なくお伝えくださいね」
ジルはレーリアの正面に腰掛けて真剣な表情をする。
なぜだろう、暗にいっぱい食べろと圧をかけられているような気がするのは。
このままレーリアが食べ終わるまで見守るつもりなのだろうか。
「ちゃんと食べるわ」
「ええ、どうぞ」
ニコッと笑ったが、見守ることは継続するつもりらしい。
レーリアは気まずい思いをしながらも、まずはスープを飲む。温かい料理は十数年ぶりで、とてもホッとするような。
一度食べ始めたら止まらなくて更に二口目、三口目と食べ進める。
そんな彼女にジルは優しい笑顔を向けたあと一転、呆れの表情で部屋の一カ所を見やる。
「ララ、何をやっているのです。早く挨拶なさい」
「? ララ…?」
食べる手が止まらないレーリアもジルの視線の先を見つめた。
大きな花瓶に飾られた白、桃色、赤のパンジーのような花だ。
ひとりでにゴトゴトと動き出し、ポンっと橙のモヤを放って人型に変わる。
レーリアは食べる手を止めて固まった。
10代前半くらいの女の子が姿を現した。
きっちりとメイド服を着ているが、愛らしいクリっとしたオレンジの瞳をウルウルさせている。
身長は頭一個分ほどレーリアより低く、細身。
これだけなら人間の女の子なのだが、頭に生えているのは髪の毛ではなく、花瓶に飾られていた花が数本生えている。頭部を大きな花で埋め尽くし、茎の部分はなく、葉っぱが肩まで伸びていた。
(人?花? あ、魔族?)
変身魔法を扱える人間の魔法使いもいるが、ごく少数で、しかも人から人へ化けるのがせいぜいだろう。魔物は、そもそも人型になれないので魔族だと判断するのが妥当だ。
(花の魔族なんているのね)
つい見続けてしまうくらいには愛らしい。
初めて会ったのがジルだったので、魔族は怖い人ばかりなのかと思っていた。
「ごめんなさい!ジル様!すごく緊張しちゃって!」
「私にはではなくレーリアに謝りなさい。彼女は貴方の主人になるのですよ?」
「そうでした!レーリア様、ごめんなさい!」
ララと呼ばれた女の子は無邪気に、ぴょんっと飛び跳ねるようにお辞儀をする。
「初めまして!レーリア様!私、ララって言います!本日からレーリア様付けのメイドとしてお仕えすることになりました!よろしくお願いします!」
「メイド…?私に…?」
「お嬢さんには、これからこの屋敷で暮らしてもらおうかと思いまして。その為には身の周りを世話する者が必要でしょう?」
話がいきなり飛躍した。
行く当てはないので、この屋敷に住まわせてもらえるなら有難いが、だからといって「身の周りを世話する者」までなんて。
「そこまでしてもらわなくても。むしろ私がメイドとして…」
「駄目です」
「でも、お世話になりっぱなしになるのは…」
「お嬢さんは私にノールベルツの者と同じ輩になれとおっしゃるんですね…なんとご無体な……」
悲しげに、とても悲しげに言うので、もうレーリアが折れるしかなかった。
だけどメイドの仕事をしないのであれば、一日中何をすればいいのだろう?
(暇を持て余してしまいそうよ)
「難しい顔をされていますが簡単なことですよ。たくさん食べて、たくさん寝て、たくさん遊んでくれればいい。特に食べることは何より大切です」
最後だけ念が込められていた。もう強制的だ。
ジルは「ララ」と彼女を呼んで、何事か指示を出す。
レーリアの元へ来て髪を撫で「行ってきますね」と口付けして部屋を後にした。
そのやり取りを見守っていたララはウキウキとレーリアの横の椅子に腰掛けて、はしゃぐ。
「あんなジル様、初めて見ました!レーリア様って、すごい方なんですね!」
「え?私は全然そんなんじゃ……ジルって普段は違うの?」
初めて会った時から親切な人だった。未だ何を考えているのかは分からないけれど。
「ジル様、優しいんですけど厳しいんですよね。宰相様だし。怒らせたら怖いのが伝わってくるというか…」
(宰相様…やっぱりそうなのね…)
「でも、さっきのジル様は甘々というか。ジル様があんなに特別扱いするの見たことないんですよ!女の人からのアプローチだって沢山あるのに上手にあしらって!でもそれが女心に火をつけちゃったりして!たまにこっちにまで飛び火するから大変なんですよね〜!」
まぁ、好意を寄せられることのほうが多いだろうなとレーリアも思う。
ただでさえ美しい容姿なのに物腰柔らかで、どこかミステリアスな雰囲気なら女性は放っておかないだろう。
実際レーリアも初めて会ったときは見惚れてしまった。
(特別か。この髪を気に入ってくれてるから、そう見えるだけではないかしら)
それ以上の理由などレーリアには見当たらない。そもそも会ったばかりで、知らないことが多すぎるのだ。
(非常食、なのよね?だから優しくしてくれる)
あそこまで食べろと圧をかけているのも、丸々と太ったあと食べる為なのでは…と勘ぐりたくなるが、食事に対する熱量は本物だ。
本人のこだわりから、つい口酸っぱく言ってしまうのだろう。
「レーリア様、食事が終わったら、どうします?来たばかりですし町の散策でもしますか?」
「勝手に屋敷から出ていいの?」
「当然ですよ!むしろジル様からご指示をいただきましたから!レーリア様の為になることは勿論、好きなことをさせるようにって!」
レーリアは呆気に取られる。
いくら何でも破格の対応過ぎるのではないだろうか。
(ほんとに変な人)
それでも他でもない貴方が、そう望むというのなら、たくさん食べて、たくさん寝て、たくさん遊ぼうと思う。
***
食事を終えたレーリアは、ララとお出かけするため白緑のドレスに着替えた。
鎖骨部分が横広がりに大きく開いたボートネック、フリル袖、ネックラインからスカートの裾までレースが繊細に編み込まれいる。
(綺麗なドレス。これもジルが用意したのかしら)
メイド服で日々を過ごしていたので、まともなドレスは子供の頃以来だ。
バルコニーにいたときは自分の衣装に一喜一憂する余裕がなかったのだが、こうやって姿見でドレスを着た自分を見ると、むず痒さを覚える。
私が着ていいのだろうか、と問いかけたくなる気持ちとは裏腹に胸が高鳴るのだ。
薄汚れていたはずの赤髪も綺麗に洗ってもらったおかげで少々艶が出て編み込んでもらいアップにしている。別人のようだった。
そんなレーリアの身支度を整えたのはララだったが何故がワンワンと泣き始めた。
「ララ、どうしたの?」
「だって、だって…!」
大粒の涙は滝のように流れ、レーリアがララにハンカチを渡すと「ずみばぜん…!」と鼻水をかむ。
「わたし!ジル様からレーリア様のご事情を聞いてて!だから何を見ても絶対に泣かないって決めてたんです!だけど実際にお体を見たら…」
「ララ……」
傷は鎖骨より下の、胸周りやお腹、そして背中に濃く残っている。
(ララに見せるべきではなかった…)
自分にとっての当たり前が、他人を悲しませることになるなんて。
ララは乱暴に涙を拭い、レーリアの両手をギュッと握った。
「わたし、領地全体に50年くらい鼻水が止まらない魔法をかけれます!今からでも行ってきましょうか!?」
純粋なララからは信じられない過激な提案をされる。50年も鼻水が止まらない魔法…しかも領地全体に…
どんなに可愛らしくても、彼女も魔族なのだとレーリアは納得して「一緒に町の散策をお願いしたいわ」と伝えた。




