プロローグ⑥薄汚れた赤髪に惹かれる吸血鬼
気づけばレーリアは知らない場所にジルと一緒に立っていた。
どこかの屋敷のバルコニー。
程よく明るいのは会場の照明が付いているおかげだ。
話をするために移動したとあって、中に人はおらず静か。小さな虫の音だけが聴覚をくすぐる。
庭園は暗く、その草花の彩りは月の柔らかな光に照らされていた。
(頭の傷が…)
ピンヒールが当たったところ、前髪の生え際辺りの痛みが消えている。触っても血が付かないのでジルが治してくれたのだろう。
更に言えば衣装は破れたメイド服から桃色がかった薄紫のドレスに。靴も変わっていた。彼女の瞳と同じ色だ。
肩から手首はシースルーを使った透ける布地で、首周りはハイネック、スカートはメイド服と同じくらいストンとした形をしている。
その布地を引っ張ってみると破れる気配がない新品で、動きやすそうなドレスだった。
一瞬で転移、治癒、衣装の変化が完了している。こんな高等魔法を実現させたのは質の高い魔力あってこそ。とても人間には扱えない。
「ありがとうございます。ジルさんは魔族なのですね」
「ええ、人間からは吸血鬼とも呼ばれますが…」
吸血鬼というと、人の首筋を噛んで血を吸い取る印象が、子供の頃に読んだ童話のおかげでレーリアの中にもあった。
先ほどのあれで血を吸っているようにみえたので、創作と現実は違うということだろうか。
疑問は尽きないが、いくら気になるからといってアレコレ質問攻めにするのは、あまりお行儀がよくない。一つ二つ程度に留めなくては。
(だけど、まず私が伝えたいのは…)
粉々に砕かれた御守りが胸をズキズキと刺した。
「キャンディ、壊してしまいました。せっかく頂いたのに…ごめんなさい」
「お嬢さんは律儀ですね。不可抗力だったのでしょう?」
もちろん望んで壊したわけではないが本当は大切にしたかった。
守れなかったのが悔しくてレーリアは唇を噛む。
「ああ、そんなに強く噛んではいけませんよ、血が出てしまう」
どこか、うっとりとした表情でジルはレーリアの下唇に指先で触れた。
その気配は獰猛な獣がご馳走を前にして舌舐めずりしているような、それでいて触れる手つきは壊れものを扱うほど繊細だった。
"また会いましょう"と彼は言っていた。
別れた時は社交辞令だと思っていたけれど、これまでの言動から、事前にノールベルツ公爵家を調べていたのは想像に難くない。
最初から、この日この時間に訪れて獲物を狩ろうと決めていたんだ。レーリアのことも知っていたはず。
「ジルさんは、私をどうしたいんですか?」
1番気になっていたことだ。
優しくしてくれて助けてくれたんだ。見返りを求められても不思議ではない。
(私も食べるつもりなのかしら)
先ほどの視線は明らかに捕食しようとしていた。あんな繊細に触っておいて。
(ノールベルツはジルさんと相性が悪い血…)
血筋だけならレーリアにも当てはまるが……
「また顔色が悪いですね、お嬢さん。質問に答える前に、こちらをどうぞ」
ジルは懐から全く同じキャンディを取り出して橙の包装紙を開ける。
中は黄色のキャンディ。
唇の前に差し出されたのでレーリアはゆっくりと開いて入ってきたそれを舌に転がす。
「お味は?」
「えっ…と、甘いです」
(この味は蜂蜜?)
朧げな記憶にはホットケーキに垂らしたあのシロップの味。
庭園のティーテーブル、緩やかな風と陽だまり、微笑む父と母。
今では、とても遠い場所ーー
「美味しいですか?」
「ええ、美味しい…」
「では美味しすぎて泣いているのでしょうか?」
ハッとしてレーリアは自分の頬に触れた。
指先も濡らす、この雫は何の感情から来るものなのか。喜びも悲しみも両方あるような、そのどちらでもないような…これまで我慢し続けてきたせいで自分のことなのに分からなかった。
キャンディが口の中で少しずつ溶けてゆく。
甘くて美味しい小さな贅沢品を最後まで堪能したあと、その真意を伺うように彼へ向き合った。
ジルは微笑を崩さないままレーリアの髪をひと束、手に持ち、唇を寄せた。
幻覚として片付けたあのときと、自分の髪を咀嚼したような不快な感覚を同時に思い出し、この人は人間ではないのだと強く実感する。
(薄汚れた赤髪に惹かれる吸血鬼…)
「私がお嬢さんに何を望んでいるのか、でしたね? まずは私に攫われてください」
「え?」
「実は最初から、そのつもりでした。嫌だと言われても攫ってやろうかと」
(もしかして保存食のつもりで…?)
すぐに食べなかった理由がそうなら納得できる。
死にたいわけではないが生きる希望もないので逃げようとも思わなかった。
「それとお嬢さん?畏まっていただけるのは有り難いのですが敬語はやめにしません?先ほど、アレリィ・ノールベルツを歯牙にもかけなかったあなたは、とても素敵でした。ぜひ素で接してください」
「ですが…」
(ジルさんだって敬語なのだし…)
「あなたが何を考えているのか察していますがね。私にとって大事なことなのです。お願いします」
そんな風に言われたら素直に要求を呑むしかなくなる。
彼にとって食べ物に過ぎないだろうに、素でいてほしいなんて。
ジルという魔族は恐ろしくもあるが、それ以上にーー
「変な人…」
レーリアは困ったような表情をして呟く。
ふふっ、と笑ったジルは「上出来です、レーリア」と凄く満足げだ。
差し出された その大きな手は、これから彼女に何をもたらすのだろう。
恐怖なのか絶望なのか、はたまた別の何かなのか。
それでもレーリアは躊躇なく、その大きな手を掴んだ。
***
朝、ノールベルツ公爵家は今までに例を見ないほどバタバタと騒がしかった。
アレリィを起こしにきたメイドが、彼女の部屋のドアを開けたら、変わり果てた姿で倒れていたというのだ。
一緒に倒れていた男達はこの屋敷の執事だが、なぜ私服でお嬢様の部屋にいたのか。
起き上がった彼らに尋問して、ことの経緯はすでに掴んでいた。
アレリィは信じられないことに生きていた。
ベッドに横たわる体の奥の心臓は、まるで問題などないのだと主張するように動いている。
医者によれば、そのうち目を覚ますのではないかとの見解だが、一夜で老化するなど、明らかに人間技ではない。
魔族の仕業だ。男達の証言にも上がっている。
「おのれっ!!」
書斎で件の報告書を読んでいたログノ・ノールベルツは、苛立ちのままに拳を机に打ち付けた。
固めた茶髪をグシャグシャと掻いて、報告に来ていた警備兵に「下がっていろ!!」と怒鳴りつける。
警備兵は青い顔をして退室し、ログノは煙管に火をつけた。
(我が公爵家が、このような失態を犯すなど、あり得ぬ!)
本来、この屋敷の敷地は光魔法による強力な結界が張ってあり、魔物はおろか、魔族の侵入さえ許さない。
魔族の生体は人間にとって未知数だが、専門家によればロミスティ王国にとって唯一、この光魔法は魔族に対抗できるのだと言う。実際、今までは侵入されていなかった。
だからこそ国はノールベルツ家を貴族の地位に据えた。
しかし、この体たらく。ログノのプライドはズタズタに壊されてしまった。
(このことが公になれば、王族からも他の貴族からも不信感を抱かれかねん。隠さねば…)
結界は完璧だったのだ。なぜ侵入できたのか。
しかもあの母親殺しの娘、レーリアは行方不明。魔族に連れ去られたのでは…と報告に上がっている。
(見ると怒りが抑えられん。なんと目障りな…)
現時点ではアレリィの魔力に、どの程度影響があるのかも分かっていない。
ノールベルツの光魔法を維持していくためにスペアのレーリアは早急に連れ戻さなくては。
「あの疫病神がっ…」
そうだ。これはきっとあの娘のせいで起きたのだ。でなければ、この身のうちに宿る光魔法が魔族の力に屈するなど有りはしない。
ログノは自身の力を確かめるように手のひらに光魔法を発現させる。
美しい白の光。代々受け継いできた特別な力だ。
「ふん、この魔法さえあれば魔族といえど、ひとたまりもないだろう。く、はははは!」
ログノは凝り固まった自己愛で、勝利を確信する。
その光魔法に、ほんの少し闇の色を漂わせながらーー
長くなりましたがプロローグはこれで終了です。
次は一章となります。
投稿は無理せず、ゆるゆるとやっていこうかと考えていますので、これまでより遅くなります。
最低でも1週間に1回くらいは…たぶん、きっと、できたらいいな。とにかく目安にして楽しく書きます!




