プロローグ⑤虐げられてきたとしても
突如現れたジルに男達は引き攣った表情で彼を取り囲み、攻撃態勢に入った。
魔族と思われる格上の不法侵入者を相手にしなくてはいけないとあって、中々攻撃を仕掛けられない。
この世界では人間の他に魔族や魔物といった別種族が存在している。
魔物は姿形、強さに個体差があり、レベル次第では一般的な人間でも倒せる種だ。
対して魔族は人型。そのほとんどが人間を遥かに凌駕する魔力量と質を持ち、仮に魔族の中で弱い個体だったとしても一つの領地を滅ぼせるくらいには人間にとっては恐ろしい、災害のような相手なのだ。
ジルから溢れ出る魔力。深い底に沈み込むような真っ暗な闇。禍々しく、そこに存在するだけで肌が粟立ち、酸素が薄くなったような錯覚に陥る。その強さは計り知れず比べるのも烏滸がましいほど。
そんなジルの強さを真正面から感じ取ってしまったらしい1人が泡を吹いて倒れた。
白目を剥き痙攣している。この場にいる人間の誰よりも魔力に敏感な体質だったようだ。
「お、お、おまえ…!」
「おやおや。これでも抑えてるんですが。まだ怖いんですね」
やれやれと大袈裟にため息を吐き出すジル。
昼間の彼とは態度が違った。言葉遣いは少々崩れて端々に荒々しさがある。
だけどレーリアは、垣間見たあのときの表情を思い出し、ここでは社交辞令をする必要がないからかと1人納得する。
破られた衣服を体に巻きつけるように縛り、ことの成り行きを静観する。何の力もない自分には、それ以外、選択肢が無いのだ。
怯えを隠しきれない男達はもはや戦意喪失していた。ひぃ…!バケモノ…!と叫んで一斉に逃げ出そうとする。
しかしジルが、くいっと指を動かしただけで彼らはピタリと止まった。
助けてくれ!!死にたくない!!と喚き散らす。
「あー、あー、うるさいですね。お前達の命など欲しくもありません」
剣のような黒い光が現れ、彼らの胸を貫いた。全員呆気なく倒れてゆく。一瞬の出来事だった。
それをつまらなそうに見下ろしたあとジルはアレリィを見据える。
獰猛な獣が狙いを定めたような視線に、アレリィは震え、情けなく尻餅をつく。
「の、望みは…なに…? お、お金が…ほしいの…? お、おとうさまに頼んで、いっぱい、あげる、から」
「ははっ、馬鹿ですか。私が人間じゃないことくらい分かりますよね?ただ食事をしに来ただけですよ」
「食事…?」
アレリィは希望の表情を滲ませた。自分は助かるかもしれないと。
アホらしい想像を察してジルは鼻で笑う。
「ええ、金目的でも殺し目的でもない」
「じゃ、じゃあ、すぐに用意させるわ!よく見たら貴方カッコいいし、私の護衛に仕立てあげてもよくってよ!」
「それは重畳。ゲテモノが喰いたくてね。ノールベルツほど私と相性が悪い血はいないので、ご了承をいただけるなら喰いやすい」
「は…?」
途端に黒いモヤがアレリィの体を覆う。
彼女は、なにこれ、なにこれ、と目に涙を溜め込んで、やっと自分の身が危ないと気づいた。
「いや、いやよ、いや! ちょっと!!そこのメイド以下!!助けなさいよ!!」
「と、言っていますが、どうします?」
ジルはここに来て初めてレーリアと目線を合わせた。柔らかな表情は昼間の彼と被るが、赤黒い瞳は獲物を喰らわんとギラギラ蠢いている。
レーリアは立ち上がり、散らばったキャンディの欠片とジル、そして最後にアレリィを観る。
腹違いの妹が今、その身を脅かされそうとしている。ならば助けることが人としては正しく、倫理観を鑑みても迷う必要はない。
けれどーー
(それが何だと言うの。私はもう母を殺しているのに)
比べてしまえば今の出来事が色褪せた。
思えば、同じ人間である男達が命乞いをし倒れたときも、ジルとアレリィのやり取りも、何も感じなかった。事実だけを受け止めていた。
これまで酷い扱いをされた相手だと言うのに、彼らの生き死に関心が持てない。
いっそ、いい気味だと愉悦に浸れていたら、どれほど良かったか。
(私は狂ってしまったのかも)
それなら、もう開き直るしかない。
一度壊れてしまったものは元の形には戻せないのだから。
レーリアは感情のこもらない顔でジルを見遣った。
「ジルさんの好きにしたらいいのではないかしら」
「このっ!! おまえ!!」
淡々としたレーリアにジルは可笑しそうに、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「お願いよ…たすけて…」
アレリィが弱々しくレーリアに手を伸ばす。
「お姉様、これからは仲良くしてあげるから」と。
それをレーリアが「無理よ」と、一蹴すれば、アレリィは歯噛みして喚き散らした。
「ふざけるな!ふざけるな!お前が死ね!お前だけが死ね!!なんで私がこんなめに遭わなければーー!!」
「そろそろ黙りましょうか」
彼が手の中を握り潰すような仕草をすると、アレリィが断末魔の叫び声を上げる。
体の水分が抜けた老婆のような姿になり、床に力無く倒れた。
黒いモヤは彼の口の中へ一瞬で吸い取られていった。唇の端から血が滴り、ペロリと舐め取る。
「ゲテモノに相応しく、やっぱりクソ不味いですね。体への刺激が中々悪くないのはノールベルツの血だから…ですか。情報は悪くない」
噛み締めるような呟きは昼間、食事について雄弁に語った彼と重なる。全てが真実だとは思わないが、食事に関しての考えは嘘偽りないままだったようだ。
(でもまさか、あの熱量で語っていた食事が人間だったなんて…)
どんな理由であれ、助けてもらった身だ。彼がしたことに嫌悪感こそないが、このまま何もなかったように振る舞うのは難しかった。どうしたって気になってしまう。
「お嬢さんは、色々知りたいご様子ですね」
「……こんなことがあれば、そうなります」
「ご尤もです。まずは場所を変えましょうか」
刹那、グニャリと空間が歪んだ。




