プロローグ④ジル・フィンセント
買い物から帰ったレーリアは、いつものようにメイドの仕事を淡々とこなした。
主に裏方の掃除がメインだったおかげで、公爵家の人間に会わず、比較的平和に仕事を終わらせることができた。
深夜、倉庫の奥にある地下収納庫を開ける。設置されたハシゴを降り"自室"へと戻った。
元々は防災備蓄品の収納室として使われていたが、
『お前のような疫病神に、わざわざ部屋を与えてやるんだ、感謝しろ』
そう言ってログノ・ノールベルツはレーリアの部屋として当てがった。
ここにあるのはベッド代わりの古びたソファと、カゴに入ったボロの下着類、壊れて使われなくなった掃除道具、そしてこのハシゴだけ。
余分な空間さえもないので、物をギュッと詰め込んだ小さな小さな自分だけの居場所だ。
レーリアは埃まみれの髪と袖が破れてしまったメイド服をそのままに、ベッドに腰掛けてポケットからキャンディを取り出す。
橙の包装紙に包まれたそれは、とても可愛らしい。見ているだけで口元が緩む。
(勿体無くて食べられないわ)
食べたら、あっという間に無くなってしまうのだ。それなら、しばらくこうやって御守り代わりに持っていたい。
(今日も結構汚れたわね。体、拭かなきゃ)
キャンディをポケットにしまい、立ち上がる。
水を溜める為に必要な木のバケツに、拭くときに使うカビだらけのタオルを入れ、腕に抱える。
ハシゴを登って地上に着いたとき、倉庫の引き戸が、ガタッと開いた。
屋敷で見た覚えがある5人の男達だ。深夜には巡回する警備兵がいるが彼らは私服。しかも腰にナイフホルスターを携帯している者までいる。
物騒な状況だ。折檻のときでさえ、こんな夜更けにわざわざしないが今までがそうだったから今回もそうとは限らない。全てはノールベルツ公爵家の機嫌次第なのだから。
男達の1人が「アレリィ様がお呼びだ。来い」と一緒に来るよう、偉そうに促す。
彼女は一言「はい」と了承し、バケツを置いて男達の後に続いた。
倉庫は本館の裏側に位置しており、本館2階のアレリィの部屋はそれなりに遠い。しかし男達がレーリアにお構いなしに歩くので随分と早く着いてしまった。
男の1人がノックをして扉を開ける。
「おらっ!」と乱暴にレーリアを突き飛ばして中へ入れた。
倒れたレーリアはアレリィを見上げる。
ふふっと機嫌よさそうに微笑む この屋敷のお嬢様に、這いつくばったまま拳を強く握った。
「お姉様?お呼び出ししてすみません」
「っ!」
初めてだった。アレリィに姉と呼ばれたのは。
どうしてと問い掛けたくなるのを唇を噛んで思い留める。
聞いたところで無意味だ。どう考えても悪意しかないのだから。
「私ね、あなたにプレゼントをあげたくて。ほら日頃メイド以下のお仕事を頑張っているでしょう? これでも一生懸命考えましたのよ?」
何を言っているんだろう。そんな機嫌よさそうな顔で言われても言葉通りに受け止められるわけがないのに。
どうせ折檻するのならプレゼントとして伝えず、さっさと済ましてほしかった。
(大丈夫、殴られるのも蹴られるのも慣れてる。少しの間、耐えればいい)
心を殺して立ち上がる。
背筋を伸ばせば、髪ゴムが床に落ち、赤髪が緩く肩に流れる。
その粛々とした佇まいはこれから暴力に遭う女性とは思えないほど。
尋常ではないレーリアに周りの男達は、たじろいだ。
アレリィは悔しそうに眉を吊り上げ、歯をギリッと食いしばった。
「メイド以下の分際でっ!あんたは惨めったらしく泣き叫べばいいのよ!!」
男達に「取り押さえなさい!」と命じる。
その内の1人がレーリアを羽交い締めにし、逃げ出さないよう周りを他が取り囲んだ。
彼らはヒヒッと下品に笑ったが、それでもレーリアは一切の感情を吐露しない。アレリィが自身の髪を弄りながら近くに来てもだ。
「ねぇ、いつもいつも殴って蹴るだけって芸がないと思わない?だから今日は魔法攻撃の練習台になってもらおうかなって。あ、もちろん、最後には皆で殴ってあげる、蹴ってあげる。ナイフで、その見窄らしい体を切り刻むのも楽しそうよね?期待しててね、お姉様」
アレリィに「こいつの服を脱がして」と命令された男の1人が首回りの布を強く引っ張った。容易に襟から裾まで破れ、その弾みで落ちたのは橙の包装紙に包まれた御守りで。
「あ…」
無感情を貫いていたレーリアは初めて動揺を見せ、キャンディを取ろうと体を前に動かそうとする。
けれど力で叶うわけもなく、レーリアの異変に気付いたアレリィが指で摘んで拾った。
しばらく それを見つめたあと、まるで汚いものを見せつけるように、ぷらぷらと動かす。
「なぁに?これ。こんなのが大切なの?こんなキャンディ1つを? いやだ、ふふ! 子供みたい!」
「返して!!」
「うるっさいなぁ!別にいらないわよっ、こんなの!」
ポイっと放ってレーリアの目の前に転がる。
レーリアは必死に戒めを解こうとするがーー
嘲笑うかのようにピンヒールがキャンディを踏みつける。ガリっと嫌な音を立てて。
念入りに砕かれ粉々になったキャンディを残して、アレリィはピンヒールをレーリアの頭に向かって投げつけた。
「っ…!」
「汚れちゃったじゃない!あんたがこんなの大切にするからいけないのよ!」
「あ……あ……」
ーー頑張るあなたに細やかなご褒美です。屋敷に戻るまでに食べておいてくださいね?
知らず涙がポロポロと流れる。
御守りだなんて、浮かれて。
こんなこと、いくらでも予想できたはずなのに。なぜ親切なあの人からの贈り物を壊してしまったのだろう。私のせいだ。
「きゃはっ、いい気味〜、攻撃魔法は何にしようかしら。ひと通り習得してるけどぉ、やっぱり火魔法ーー」
その声をかき消すように黒い光がアレリィとレーリアの間で弾けた。
黒い光はモヤのような形に変化して部屋中に広がっていく。
「な、なによこれ!?」
「くそっ、どうなってやがる!?」
皆、身動きが取れない。
レーリアを羽交い締めにしていた者も余裕をなくしたらしい。
彼女を突き飛ばして所持していたナイフを取り出した。
「だ、誰かいるのか!?」と落ち着きなく辺りを見回す。
闇の中にさらなる闇が人の形を取って浮かび上がり、ひぃ!!と悲鳴を上げ、腰を抜かした。
モヤを吸い取るように現れたその姿。
座り込んだままのレーリアは涙の跡が残る桃色がかった紫の瞳を見開く。
(なんで、あなたが…)
長身に似合う金と銀の刺繍を誂えた紺色のジャケットと白のスラックス。
眼鏡を外したドロドロとした赤黒い瞳は鈍く光る。
人間とは明らかに違う尖った耳。
艶やかな黒髪の左右側頭部には曲がった2本の角が生えていた。
ジル・フィンセント。
獣のような獰猛さでニッと牙を見せ、ほくそ笑んだ。




