プロローグ③キャンディ
「では、お会計を」
「宰相様もお好きですねぇ!ぜひ今後ともご贔屓に!」
景気のいい店主の声に、レーリアはハラハラしながら隣の男性を見やる。
あのあとジル・フィンセントと名乗った彼に案内してもらった場所は住宅街に佇む小さい本屋だった。
レーリア達以外にも客はちらほら出入りしているが、皆、静かに本棚から選んで買い物を済ましている。
そんな中、ジルは真っ先に店主にメモ用紙を渡して、5冊全て揃えた。どうやら棚に並んでいない代物だったらしい。
もしレーリアが1人で買い物をしていたら、どれほど時間がかかっていたのか…
(ジルさんはそのことを把握していたのかしら)
店主とは顔馴染みらしい。
ジルが宰相と呼ばれた時は耳を疑ったが、彼に、しーっと人差し指でお願いされてしまい詳しくは聞けていない。
宰相(?)と呼ばれたジルは態度を崩さない。
「ええ、また機会があれば」と社交辞令を口にして本を5冊受け取る。
ここまで堂々してると、いっそ清々しい。
店を出たあとに「どうぞ」と5冊差し出され、レーリアはお礼を言いながらカゴに収めた。タイトルは見えないようにしておくことも忘れない。
これで買い物は終わった。あとは屋敷に帰って渡すだけ。
いつも通り。何も変わらない。それなのに胸がザワザワする。
(早く戻らなきゃ……)
「お嬢さん?」
「……はい」
「大変言いづらいのですが、元々悪い顔色が更に悪くなっていると申しますか……普段、食事はしっかり取っていますか?」
「え…?」
まさか顔色を指摘されると思わなかったのでレーリアは反応に困る。
1日1食、残飯処理、など頭に浮かんで、現状の何を伝えても不穏しかない。
ジルは大真面目にレーリアの両肩を掴んだ。
「食事は生きる上でとても大事ですよ。疎かにするだけで人生の9割ぐらい損をすると言ってもいい」
常に笑みを浮かべている美形が真顔になると妙な迫力がある。レーリアは圧倒されるばかりだ。
「最近の若者は腹を満たせれば味に拘らない奴ばかりなのです。何でもいいなど食に対する無礼に等しい。何を食べたいのか時間をかけて調べ尽くし自分と向き合うことの大切さは何ものにも得難い尊ぶべき時間というのに。実に嘆かわしい」
「最近の若者? あの…食事の話ですよね?」
「そうですよ。時にはゲテモノを食べたくなるときもありません?」
ゲテモノというのは昆虫や蛇の類いだろうか。レーリアも嫌がらせで食べたことはあるが、進んで味わいたいものではなかった。
ジルには悪いが、お腹を満たせればいいという"最近の若者"にこそ共感してしまう。
「すみません、私には難しいです。情熱は、伝わってきましたけど」
「それで充分ですよ。まだまだ語り足りないですが今日はこの辺にしておきます」
"今日は"と言われて鼓動が早まる。
この領地で仲良くしてくれる人は、もういないと、そう思っていたのに。
(変わってるけど優しい人。巻き込んじゃいけない)
ノールベルツ公爵家を敵に回したら、どうなるかレーリア自身もよく知っているのだから。
「ジルさん、今日は本当にありがとうございました」
「礼には及びませんよ、役得でしたから。そうそう帰る前にこちらを受け取っていただけますか?」
ジルは懐から何かを取り出してレーリアの手にそっと乗せる。
彼の大きい手が離れてゆくと、橙の包装紙に包まれたキャンディがあった。
お菓子など、母が亡くなってから縁が無く、胸がギュッと締め付けられる。
「これ…」
レーリアがジルを見つめれば、ジルはニッとイタズラっぽく笑った。
紳士的な態度を崩さなかった彼の素が垣間見れた気がして心臓が跳ねる。
「頑張るあなたに細やかなご褒美です。屋敷に戻るまでに食べておいてくださいね?」
レーリアは両手でキャンディを握り締め、泣きそうになるのを堪えながら笑顔でありがとうを伝える。
最後に「また会いましょう」と言う彼とお別れした。
きっとニ度と会うことはないだろうけど。それでも屋敷に向かう足並みは軽やかだった。
***
自室で過ごしていたアレリィ・ノールベルツはイライラと親指を噛んだ。
綺麗に磨かれた大理石の床に、天蓋付きのベッド。3つの窓にはカーテンがかかっていて、シャンデリアの光で室内を照らしている。
ティーテーブルとは別に設置されたローテーブルにはビリビリに破れた手紙の残骸が散らばったまま放置されていた。
(私はノールベルツ公爵の"1人娘"なのよ!?なんで格下の伯爵に断られなきゃいけないわけ!?)
アレリィは19歳。
本来なら公爵令嬢ともなると早い段階で結婚相手を決めておくことが多い。
彼女もまた例に漏れず、まだ10にも満たないうちに縁談話があった。だが破局はこれで3回目。
皆、口を揃えて言うのだ。ノールベルツ公爵家は自分には荷が重いと。
(腰抜けばっかりじゃないの!!そんなの、こっちから願い下げだわ!!)
ノールベルツ公爵家は王族にも勝るとも劣らない権力者だ。その気になれば圧力をかけて従わせることも可能である。
しかし家の重責に耐えられる者でなければ長く続く血を絶えさせてしまう恐れがあった。代々光の魔法を受け継いでいかなければいけない家系なので慎重にならざる負えない。
父のログノは「焦ることはない。おまえは可愛い子なのだから直ぐに見つかる」と宥めてきたが、そんなの気休めにもならなかった。
アレリィは知っているのだ。父が1番愛しているのはアレリィでもなく母親のヴィルジーでもなく。
あのメイド以下の女の母、アウレーリアであることを。
"アレリィ"という名前こそがその証拠だ。
(そうよ、全部全部あのメイド以下が悪いのよ。ノールベルツの血を引いているからって生かしてやってるんでしょうけど、もっと酷い目にあえばいいのよ。あんな女…)
殴る蹴るだけでは物足りない。惨めで卑しい女に未練たらしく生きていることを後悔させてやりたい。でなければ、この怒りは収まらない。
(ああ、いいことを思いついたわ…)
丁度良く屋敷には、たくさん手駒がいる。事を起こすのに、そう手間はかからないだろう。
歪んだ笑みを浮かべたアレリィはベルを鳴らして、複数の使用人を呼び寄せた。




