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プロローグ②彼との出会い

 レーリアはメイド達に押し付けられた水回りの掃除をしたあと、暇なく、お使いを言いつけられる。

 治安の悪い平民区での買い物らしいが、なぜ公爵家の使用人が、このエリアで。


 何を買うのかメモ用紙を確認すると、5冊の本が箇条書きで書いてあった。

どのタイトルも酷く卑猥で、この中でマシなのが<ふしだらな夜は人妻のあの人と>だろうか。


(嫌がらせがしたいのね)


 斜め横の壁際には、ニヤニヤと笑う執事とメイド達。

 珍しいことじゃなかったので、メモ用紙をスカートのポケットに入れ、エプロンだけは自室の、ソファのようなベッドに置いていく。

 カゴを持って大きな鉄製の門扉から外へ出た。


 周りからは「赤髪が…」と疎む声が聞こえてくる。

毎回飽きもせず怯える住人達にレーリアは目を合わせないようにして、ひたすら進んでいき、石造りの地区から舗装されていない砂利道に差し掛かる。ここからが平民区だ。


 ノールベルツ公爵家の領地には、裕福な人間が暮らす貴人区と、日々忙しなく働き生活費を稼ぐ平民区が存在する。

 貴人区には高級店が点在し、静かでゆっくりとした雰囲気が漂う。

対して平民区は商店や露店が建ち並ぶ雑多な街並みだ。ときには怒号が飛び交うことも。


 どちらも行き来が可能だ。ただし平民区には治安の悪いエリアがあり、そこは魔物の巣窟だとか吸血鬼が出ただとか怖い噂が絶えない。

一般人は寄りつかず、ノールベルツ公爵家も長年放置している。


 レーリアは怖いとは思わなかった。魔物や吸血鬼などより人間の方が余程、恐ろしいと感じているからだ。


(初めて行くから緊張はするけれど)


 裏通りに入ると魔物の巣窟と呼ばれるエリアに着く。

辺りを簡単に見回してみたが、噂に聞くような怖い魔物の姿は無い。


 こちらの露店街もとても賑わっている。むしろ平民区より、もっと人が多いくらいだ。


「そこのお嬢さん!新鮮なお肉はいかがー?」


「ふっふっふ、この首飾りで意中のあの人も虜になるであろう!ぜひお試しあれ!」


「薬〜、薬はいらんかね〜 腰痛、便秘、なんでも揃ってるよ〜」


 レーリアは目を丸くする。

賑わってるなとは思ったが予想以上に活気があり明るい。

 治安がいいとされる平民区のエリアにも似たような露店街はあるが、どこか忙しなく余裕がなかった。どちらも日々を生きる為に働いてるはずなのに。


魔物の巣窟では人々は温かく、キラキラしてる。


(ここが本当に?こんな、楽しそうな場所が…)


 心の奥に閉じ込めてた何かで胸が騒ぐ。


 チラチラと目移りしながら密集する人と人の隙間を通り抜ける。

 押し潰されそうになり、空いた空間に思い切って飛び出すと真正面から誰かにぶつかってしまった。

貧弱な体は、それだけで後ろに倒れてゆくが、咄嗟に癖になった「ごめんなさい」を言葉にし、この先は硬い地面に叩きつけられるのだと悟る。

 しかしグイッと腕を引っ張られて、おでこは高級感のある衣装を着た誰かの胸に当たった。


 おでこにも、肩にも、後頭部にも、拍子抜けするほど痛みはなくーー


たった数秒の出来事にレーリアの思考は追いつかない。


「お嬢さん?お怪我はないかと思いますが驚かれてしまわれましたか?」


 頭の上から低い声が聞こえ、レーリアはハッとして顔を上げ、息を呑んだ。


 ドロドロとした血のような赤黒い瞳。

眼鏡をかけた二十代半ばくらいの男性だ。

その長身に似合う、金と銀の刺繍を誂えた紺色のジャケットと白のスラックス。

艶やかな黒髪がさらさらと風になびき、シミひとつない美しい肌は陶器のようで作り物めいている。


 その瞳が、その魔性が、彼女を映す。

 レーリアは恐ろしくも怪しい雰囲気に魅入られてしまいそうだった。


 彼は殊更優しそうな笑みを浮かべる。


「あなたのような方に見つめていただけるとは光栄です」


 薄汚れた赤に口付けされる。

 我に返ったレーリアは慌てて離れ「大変ご無礼をいたしました…!」と勢いよく頭を下げる。

4年ぶりに大きめな声を出したので咳き込みそうになったが堪えた。

 見ず知らずの男性に見惚れて密着したまま固まるなど。


(私はなんて失礼なことを…)


 しばらく頭を下げたまま両手を強く握り締めていると、男が膝を曲げてしゃがんだ。


バッチリ目が合い、レーリアはビクついて頭を上げた。


 愉快そうに、ふふ、と笑った彼は立ち上がる。ずれそうな眼鏡をクイっと上げて居住まいを整えた。


「そう謝られては、私が謝る機会がなくなってしまいます。注意力散漫になっていたのはこちらでしたから」

「す、すみ…」


 レーリアは慌てて口をつぐむ。謝るなと言われたのに謝っていては本末転倒だ。


 彼は良くできましたと言わんばかりにニッコリとした笑みを作った。良いことなのだろうが笑顔のバリエーションがやたら多い。


「では改めて」


 優雅に一礼をする。その所作には貴族階級の品がある。

 周りの女性からは感嘆なため息が漏れた。


「大変申し訳ございませんでした。つい心惹かれる色に気を取られ、反応が鈍ってしまったようです。以後気をつけます」

「いいえ、助けて頂いてありがとうございます」

「当然のことをしたまでですよ。ところで…」


 伺うような視線を向けられ、レーリアは顔をこわばらせた。

 貴族に対する礼儀作法は、まともに習ったことがないのだ。

 公爵家に来客があるときは自室から出るなと鍵をかけられるので最低限な振る舞いすら思いつかない。

 ぶつかったことは許してくれた。光栄だと言い、礼儀知らずに目を瞑ってくれた。

けれど3度目があったら?知らないうちに他にも誤った対応をしていたら、どう謝罪すれば…


「もしかしてお嬢さんは、こちらは初めてですか?よろしければ、お詫びも兼ねて案内しますが」


(案内?)


レーリアの予想に反して彼は態度を崩さなかった。不慣れな彼女を気遣ってくれる。


 『こちら』というのは魔物の巣窟と呼ばれるこのエリアだろう。口振りから目の前の彼は何度か来たことがあるらしい。


(ここは素敵な場所だけれど、噂を間に受けずに何度も訪れるなんて。そういう人もいるのね)


 変わった人なのは確かだ。レーリアの赤毛は目立つが、その分、気味悪がられることのほうが多いし薄汚れている。肌もガサガサ。

なるべく清潔を保っていても環境のせいで、どうしたって美しくはならない。


 案内はとても有難いと思うが、そこまでしてもらえる価値が自分にはないのだ。

 先ほど赤髪に彼の唇が当たっていたような気もしたが、きっと幻覚でも見えていたのだろう。


(何を浮かれていたのかしら。そんな資格ないのに)


「お手を煩わせてしまいますので大丈夫です。すみませんが失礼しま…」


 レーリアが言い終わる前に、男は小さい紙を指先で広げた。


とても見覚えがある紙というかメモ用紙で、彼女の頬がジワジワと赤く染まってゆく。


「そ、それ…」

「慣れない買い物を頼まれたのではと思いまして。ですがもし、こういった本に、ご興味がおありなら不躾でしたね。見なかったことにして、このまま立ち去ります」


 レーリアは真っ赤な顔を両手で隠し、うたなだれる。


 タチが悪いのが断ろうものなら「こういう趣味がある」と思われることだろう。

何も感じなかった嫌がらせが、ちゃんと嫌がらせとして機能してしまった。善意によって。


「ああ、すみません。親切心のつもりだったのですが、どうやら私は、女心というものに疎いようでして」


女心ではなく羞恥心に疎そうだ。


「ご案内しましょうか?」

「……よろしくお願いします」


レーリアは、か細い声で呟いた。

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