2–1変化
薄いカーテン越しの窓には日差しが差す。
すでに起きていたレーリアは眩しすぎる朝の光に目を細めた。
一日中夜だった昨日は特別な時間だった。
賑やかな魔法の光も、まるで寄り添うような暗闇も、何もかも。
こうして朝を迎えてしまえば夢と錯覚しそうになるけれど…
レーリアはドレッサーの前に座り、色濃く残る噛み跡をそっと撫でた。
首のそれは痛みこそなかったが、昨日のジルとのことをありありと思い出させる。
肌を突き破った鋭利な牙をーー
(私は、猛毒の花嫁…ジルの食べ物…)
ずっと非常食なのだと思っていた。一度使ったら捨てられる物だと。
しかし実際は異なり、今後も丁重に扱われる。命が尽きるその時まで。
結局、食べ物扱いなのは変わらないが、レーリアの心境は変化したように思う。
妙な焦燥感が消え、やっと地に足が着いた感覚があった。
「レーリア様!おはようございます!」
廊下から元気な声が聞こえてきた。ララの声だとすぐに分かったので、レーリアは立ち上がって「どうぞ」と招く。
部屋に入ってきたララは、早速その小さい体で衣装部屋に続く中央開きの扉を全開にした。「今日のドレスは何にしましょうか?」とくるりと回ってこちらを見上げる。
ララはレーリア付きのメイドとして、かなり板に付いてきたように思う。元々しっかりした子ではあるが、共に過ごす時間が誰よりも多い分、レーリアの静かな性格を理解してくれている。
本当はレーリアを起こすのも役割らしい。だがレーリアがそれよりも早く起きるので、朝は身支度を整えることに全力を注いでくれるようになった。
衣装部屋には様々な色合い、形をしたレーリアの為のドレスがハンガーにかけられ並んでいる。
そこに足を踏み入れたレーリアはその量の多さに圧倒されてばかりだ。
スティンツ島で過ごすようになって毎日見る光景だけれど、未だに慣れない。
ドレスを選ぶのにも苦戦してしまい、見兼ねたララが素早く決めるか、時間をかけて一着を決めるかのどちらかなのだが……
今日のレーリアは迷いなく、あるドレスを手に取る。
「…あ、わたしが持ちます!」
手を伸ばしてきたララにお礼を言って渡せば、彼女は嬉しそうにドレスを眺めた。
「レーリア様がドレス選びで即決するなんて珍しいですね!このドレス、そんなに気に入りましたか?」
「ええ、首が隠れるから」
堅い印象が強いタイトなハイネックは目立つ跡を隠すのに、これ以上なくレーリアの目に留まった。
ネイビーブルーの色味もメイド服を連想させ、とても馴染み深い。比較的、地味ではあるが、だからこそ気に入ったとも言える。
ララはレーリアの首を見やり「ジル様の噛み跡ですね!」と頷く。
「確かに隠したほうが良さそうです。メイドの皆、はしゃいじゃうと思いますし」
「はしゃぐって、どういうこと?」
(噛み跡があるだけで…?)
「ロマンスを感じるからですかね?わたしもなんだかテンションが上がってしまいそうです!」
(ロマンス??)
ますます意味が分からなくなったレーリアだったが、ララに背中を押されて衣装部屋から退室し、姿見の前で止まる。
ララは慣れた手つきでドレスの留め具を外していき「今日も任せください!」と橙の瞳をキラキラさせ張り切った。
髪を結ぶか、そのままにするかが悩ましいらしい。眉間にシワを寄せる。
そんな彼女をレーリアは微笑ましく思い、話題は自然と流れていく。
髪はそのまま流すことに決めて朝の身支度を済ませる。
その頃合いでジルが部屋を訪ねてきた。
いつものように片手で朝食が乗ったトレイを運び、ティーテーブルの上に置く。
今日もそのままレーリアの正面に座り、監視という名の見守りがあると思ったのだが…
「すみません、お嬢さん。急ぎの仕事ができてしまいまして。不本意ながら本日はこのまま失礼いたします…」
しょんぼりと肩を落とすジル。
貴重な時間だというのに…と呟き、昨日の怪しくも美しい彼とは別人のよう。
緩慢な動きで廊下へと続く扉の前まで移動する。
宰相の彼が、急ぎの仕事…なんだか不穏だ。
レーリアは表情を強張らせてジルの近くに立った。
「ああ、不安がらせてしまいましたね、お嬢さん。急ぎなのは魔王様にせっつかれているせいなので特に問題はありませんよ」
「……そうなの?大変だから行くのが億劫になってるとばかり…」
「仕事自体に不満はないですよ、必要なことですから。ただ、貴方との細やかな時間を共に過ごせないのが残念で仕方ない。いっそ皆の見送りを省略してでもレーリアと過ごしたいところですが、そうもいきませんから」
(急いでいても、そこは変えないのね)
毎朝欠かさず部屋を訪ねてくる彼の移動手段は転移魔法がほとんどだ。だが屋敷の中では使わず、エントランスから外に出たあとに行使する。
主が屋敷を留守にすることを一度で多くのメイドや執事達に知ってもらう為に少しだけ手間をかけているんだ。
(私もエントランスでジルのこと、お見送りするべきかしら…)
これまでレーリアは見送りなどの挨拶はマトモにしてこなかった。
ノールベルツ公爵家では見送りも出迎えも禁止されていたし、この屋敷ではレーリアの立場は曖昧だったから。
しかし今はちゃんとした役割を与えられている。名ばかりの花嫁だが、その名から行動の連想ができた。
旦那さんが出かけるとき、お嫁さんなら屋敷の外で見送るのでは、と。
昔、アウレーリアとログノもそうしていた。後妻のヴィルジーは…知らないが。
幸せだったあの頃と同じにはならないだろうけど、ジルは一緒にいる時を惜しんでくれている。それなら真似してみようと思うのだ。
「ジル、お願いがあるの…これからジルが外に出かけるとき、私も皆と一緒にエントランスでお見送りがしたくて。できれば帰ってきたときも。……ダメかしら?」
ジルはパチパチと目を丸くした。
彼にお願いをするのはこれで2度目だが、やはり驚かせてしまったようだ。
だが、ほんの数秒後にはふわりと笑ってくれてレーリアは安堵する。
彼の基本の表情は笑みで、おそらく意図して笑っていることも多いだろう。
だけど、これはちゃんと喜んでくれたんだと気づけたから。
「それは嬉しい提案ですね。ぜひお願いしたいです」
「よかったわ。じゃあエントランスに…」
「お嬢さん?食事は冷めないうちに召し上がってください。エントランスで貴方の顔を見るのは今日の夜にとっておきますから」
とても爽やかに告げられてしまった。有無を言わせない凄みがあった。
レーリアは頷き、せめてもと気の利いた言葉で、部屋から見送ろうと思ったが。
(こういう時、なんて言えばいいのかしら)
頑張って、でいいのだろうか。無理しないで、が最適解か。まず行ってらっしゃいを言ってから、それらの言葉を付け加えるべきだろうか。
朝から彼を不快な気持ちにさせたくなくてレーリアはぐるぐると悩んだ。
すると何を思ったのかジルは彼女の首を指の腹で撫でる。
レーリアはビクッと体を震わせて、つい彼から距離を取ってしまった。
「こっ、これは違うの。お、驚いて…」
顔を真っ赤にするレーリアにジルはクスクスと笑い、楽しそう。
どうにも解せない。こちらは真面目に悩んでいたというのに。
レーリアは怪訝な視線をジルに向けた。
「もしかして揶揄っているの?」
「とんでもない。貴方に触れるのに遊びなわけがないでしょう?何やら難しい顔をされていましたので、つい衝動的に」
揶揄うよりもタチが悪いのでは、とレーリアは思ったが、これ以上話が長くなるのは避けたい。
ジルに触れられないように噛み跡があるところを手のひらで覆って、ふいっと視線を逸らす。
今、真正面から彼の赤黒い瞳を受け止める余裕はない。
「もう…構わないで。急ぎの仕事なのよね?」
「私としてはもっと構いたいのですが」
「っ…」
またジルは、ふふっと笑った。満足したと言いたげに穏やかな表情を浮かべ、眼鏡を指先でスイっと上げる。
「そういう貴方の愛らしい姿を見たら、やっと意欲が湧いてきました。行ってきます」
最後には赤髪に軽くキスをしてジルは部屋を出ていった。
急いでいたはずなのに、充分過ぎるほど構い倒されてしまった。こんなグダグダで良いのだろうか。
(愛らしいって…)
うるさい心臓を落ち着かせるべく、ふーーと長めに息を吐く。
ジルに倣うように布越しで、そこへ触れた。
この傷は不思議だ。噛まれた直後はあんなに痛かったのに数分後には無くなり、跡だけがこうやって残っている。濃く色鮮やかに。
普通の傷なら数日でも治らないだろうが、これは吸血鬼の噛み跡なのだ。明日には、それどころか数時間後には、消えてしまう可能性が捨てきれない。
(できれば、ずっと残っていてほしい…)
『猛毒の花嫁』その役割は、今のレーリアにとって生きる意味だ。スティンツ島で暮らす免罪符だ。
噛み跡はそれを直接的に感じさせてくれるから安心できる。自分はここに居ていいのだと。このスティンツ島は自分の居場所なのだと。
「レーリア様?」
ララに顔を覗き込まれてハッと我にかえる。
立ったまま考え込んでしまっていた。
「ごめんなさい。せっかくの料理が冷めてしまうわね」
「今日も美味しそうですよね!あ!わたし食後の紅茶を準備してきますね!急ぎます!」
タカタカと歩いてララは部屋を出ていった。
ゆっくりでいいと伝える暇もなかったので、一足早くレーリアは椅子に腰掛ける。
まずはひと口。温かくて美味しいスープを味わった。
お待たせしました。この話から2章となります。
完成させるつもりで書いていますが、最低限でも自分が納得できる文章にしたいので、これからも投稿頻度は不定期です。
待ってくれている方には申し訳ないですが、気が向いた時にでも読んでもらえたら…と思います。




