1−7終わりを望む
眠気が少しずつ引いてゆくのを感じながら、レーリアはベッドから降りた。
危なかった。もう少しで完全に寝てしまうところだった。面倒をかけたくなくて抗ったけれど、すでにベッドへ運ばれた後だ。ジルには寝不足を見抜かれてしまったので、このまま寝たほうがいいのかもしれないが。
(私、せっかく作ってくれた朝食を残してしまったのよね…)
料理長が、あんなに喜んでくれていたのに。せめて謝りに行かなくては。寝るのは、その後でもいいだろう。
厨房に向かおうと扉を開ければ、廊下に魔法の光が、いくつも浮遊していた。
(建物の中にまで…)
光の一つ一つが作られた闇を照らし、ふわふわと舞っている。
照明は機能していなかった。
ジルの魔法の影響なのかもしれない。
空から眺めたときも思ったが魔法陣によるものにも関わらず、まるで生きているみたいだ。
光が沢山集まって眩しすぎる所、全く光が無い暗い所。
その明暗の差があるおかげで音がなくても賑やかに感じられた。
これならジルの言う通り、人間は はしゃぎたくもなるだろう。特に子供は元気に追いかけていそうだ。
レーリアは階段を降りる。
すれ違う3人程のメイド達が丁寧に一礼してくれたので会釈で返し、しばらく廊下を歩いたあとに彼女らの後ろ姿をぼんやりと見た。
ノールベルツ公爵家とは真逆の友好的な態度だ。誰もがレーリアに優しい。所詮はジルの食べ物に過ぎないというのに。
『あなたは、どんな味がするのでしょうね。レーリア』
不意に頭の中で響くのは獲物を見定める吸血鬼の声。
アレリィ・ノールベルツの変わり果てた姿が目に浮かんだ。
(私はジルに食べられて死ぬ…)
怖いとは思わなかった。抗おうと思うほど自分の生に執着はないから。
(むしろ、私は…)
早く終わりにしたいのかもしれない。
屋敷の人達は皆、レーリアに良くしてくれる。その度に、母親殺しだから、保存食だからと何度も言い聞かせてきた。心乱されないよう。
穀潰し、疫病神、メイド以下の奴隷……
いくらでも自分を貶めてきたというのに。
(消えない、希望が消えてくれないの…)
それは微かな望み、まだ生まれたばかりの小さな光だ。意識しなければ気づけなかったくらい弱い光なのに確かにレーリアの中で灯っている。
もし、これまで通りスティンツ島で、そのときを待てば、非常食としての役割を拒絶してしまう…そんな予感を感じさせられるのだ。
レーリアは唇を強く噛む。ぷつりと傷がつき、鉄の味が舌まで届いた。
『血が流れてしまう』と触れたジルの繊細な指先とドロドロとした赤黒い瞳。
あのときから彼はレーリアを獲物として認識していた。
(ジルは私を食べたがっている。それなら、もう待たなくたっていいじゃない)
我儘な願いだけれど。
自らで命を断つこともできない癖にジルに縋り付く人間だけれど。
真の絶望に叩き下ろされるその前に全て終わらせなくては。
レーリアは辿り着いた厨房の前で頭を下げ「ごめんなさい」と、か細い声で呟く。
誰に聞かれるでもない自己満足の謝罪だと理解はしていた。
踵を返し、屋敷の主の元へ。
真っ直ぐ歩く。暗い決意を抱きながら。
***
メイド仲間の女の子と一緒にいたララにジルはどこに居るのかを聞き出し、レーリアは初めて彼の自室を訪ねた。
仕事をしてる最中ではなくて内心、ホッとしつつ、この場所にもノールベルツとは違うやり方があると気づいた。
主が休む部屋の前だというのに衛兵の配置がされていない。
そもそも、この屋敷では警護を担当する人間は門番くらいなものだ。屋敷の規模に合わせて在籍しているメイドや執事の人数に比べたら圧倒的に少ない。
果たして、これは貴族の普通なのか、魔族の普通なのか。彼女には判断が難しかった。
レーリアが扉をノックをすると「どうぞ」とジルの低い声が聞こえた。
中に入れば、想像よりも家具が少ない様が目に映る。
来客用にも使うのであろうテーブルとソファ。そして奥にキングサイズのベッドがあるだけ。飾りは一切ない無駄のない空間だ。
カーテンは閉められており照明の明かりは淡く薄暗い。
そんな中、ソファに腰掛けていた彼が立ち上がる。レーリアに微笑みながらも僅かに瞳の赤が鋭くなった。
次の瞬間には綺麗に取り繕われ、ニッコリと笑う。
「まさか、お嬢さんが私の部屋へいらっしゃるとは…少々驚いています」
そう言う彼はとても驚いているようには見えない。少なくとも扉を開ける前からレーリアが来ていると気づいていたのでは…と思う。
「突然の訪問、ごめんなさい。ベッドに運んでくれたのも。眠気が収まったから起きたのだけど…」
「私は当然のことをしただけですから、お気になさらず。それと、お嬢さんならいつでも歓迎しますよ。私がいない時も入っていただいて構いません」
「それは遠慮しておくわ…」
いつでも、と言われても、終わらせるために来たのだ。社交辞令を言ってる場合じゃない。
「あの、ジルにお願いがあって…」
「お嬢さんが私に?」
キョトンとした顔をされる。今の方が余程驚いて見える。
レーリアは何かまずいことを言ってしまったのかと身構えたが「すみません」と謝るジルから即座に否定された。
「意外だったもので。ぜひ聞かせてください」
ソファに座るよう促され、レーリアはジルの向かい側に腰掛ける。
ふわりと笑う彼に淡々と向き合った。
「一つだけ確認させて。ジルは私を食べようとしているわよね?」
「おや、気づいていましたか…」
「そこまで鈍くないの。あからさまだったし」
「それは大変失礼をいたしました。どうにもお嬢さん相手だと欲求を隠しきれないようで。私もまだまだ未熟ですね」
眉を下げたジルは自分に対して呆れているような印象だ。
少なくとも悪意は感じない。レーリアを食べることは彼の中で決まっていて、レーリア自身もそれを望んでいる。
躊躇いなど、お互いに必要ないのだ。
「お願い。いつか食べるつもりがあるのなら、今、私を食べてほしい…もう待ちたくないの」
本気が伝わるように彼の目から逸らさず、ストレートに望みを伝えた。
食に対して、拘りがある彼だから断られるかもしれない。分かっていたって、もう耐え難いのだ。
いつか来る終わりを待ち続けるのは。
そんなレーリアにジルは頬を紅潮させ、恍惚とした表情を浮かばせた。
「まさか貴方の口から、そのような口説き文句を聞けるなんて…」
はぁ…と静かに吐息を吐き出し、呼応するように黒いモヤが部屋全体に漂う。
モヤの中の更なる闇がジルを覆い、その姿は吸血鬼の本性を顕にした。
角が2本生え、耳が尖り、眼鏡を外した赤黒い瞳……恐ろしい力を持った魔族だ。
ソファに腰掛けるレーリアの横で片膝を地面につけて跪き、彼女の左手に唇を寄せる。
ニッと嗜虐的に笑い、その凶暴さを秘めることなく、赤黒い瞳はドロドロと、ただ彼女だけを見つめた。
「レーリア、私だけの猛毒の花嫁…その味をどうか堪能させてください」
ジルはレーリアをソファに押し倒し、鋭く凶悪な牙を細い首に当てがった。
次の投稿も1週間後くらいになるかと思います。お待たせしてすみませんが、ゆるゆると待っていただけると嬉しいです!




