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プロローグ①レーリア・ノールベルツの人生

 パシンッ!と頬に強い痛みが走り、体はその衝撃に耐えられず床に打ちつけられる、と同時に陶器の割れる音が耳に響いた。

 廊下敷きのメダリオン柄がグラッと歪み、口の中からは鉄の味がする。自身の赤毛がぱらぱらと視界の端に映り、まるで自分の髪を咀嚼したような錯覚に陥って吐き気を覚えた。


 運んでいたティーカップセットは、その形の面影もなく飛び散ってしまった。中身が空だったのは幸いか。

 

 こちらを見下ろす瞳は憎悪に満ちていて、愛情など無いのだと、現実を突きつけてくる。


(私はまた失礼なことをしてしまったのね…)


「あんたね!!私の視界に入るなって何回も言ったわよね!?どうしてこんなこともできないのかしら!?」

「申しわけ…」

「被害者ぶって謝らないでくれる!?あんたの声なんて聞きたくもない!!ほんと朝から気分悪い!!」


 大きな宝石を飾り付けた長い髪をひるがえして、この屋敷のお嬢様、アレリィ・ノールベルツは、自室へと続く廊下を歩いていく。


 その怒りを買ってしまった女性は隈のひどい桃色がかった薄紫の瞳を伏見がちにするだけで涙を流さなかった。

 叩かれた拍子に千切れてしまった髪ゴムを拾い、端と端をきつく結んだあと、もう一度広がる赤髪を一つに括る。

 身につけているメイド服のエプロンに飛び散った破片を大きい物から拾い集めていき、溢さないよう立ち上がった。


(残りは箒ね…)


 慣れた様子で淡々と与えられた役目をこなす、その姿。傍から見れば、度が過ぎるプロ意識を持ったメイドにも見えるのだろう。


しかし実態は随分と異なる。


 彼女が廊下を歩いているだけで、他のメイド達や執事はそそくさと遠巻きにする。ヒソヒソと何事かを話す。

哀れに思う者も、見下している者もいるようだが誰も絶対に近づかない。

関わりたくないのだろう。


(だからなんだと言うの。気にしてはいけない。こんなことで傷付いてはいけない)


これまで、そう言い聞かせて生きてきた。


レーリア・ノールベルツの人生は小さな希望さえ抱いてはならないのだからーー



***



 ノールベルツ公爵家。この国の名家の一つにして聖女を代々、輩出する大貴族の家だ。


 この国、ロミスティ王国では一般魔法を使う魔法使いと、一般魔法のみならず光魔法を操る聖女・聖人が国の発展や防衛を担う。


 光魔法は通常の火、水、風、雷、土魔法と異なり、一代で習得した力は弱いが、二代目三代目と受け継いでいくことで強さを発揮する特殊な魔法だ。

 なのでノールベルツ公爵家は王族であっても手出しできない権力を年々強めている。


 三六代目聖人、ログノ・ノールベルツ公爵。

国の防衛に大きく貢献する現代当主。レーリアの実の父だ。

 前妻のアウレーリアはレーリアの母で、平民出身でありながら勉学ができる頭のいい女性だった。

貴族御用達の洋服店に勤めていたところ、ログノに見初められ、大恋愛のすえ結婚した。

 ログノにとってアウレーリアは1番愛してる女性で、アウレーリアにとってログノとレーリアは最愛だった。そんな父と母がレーリアは好きだった。

家族3人で、とても幸せだったんだ。


しかし、その幸せはレーリアが6歳のときまでだ。アウレーリアが亡くなってしまったから。


 死因は馬車の転落による事故死。

一緒にいた娘を庇ったことで、遺体は損傷が激しく、惨い状態で発見されている。


『何故おまえのような母親殺しが生き、私の妻は死んだ?!この疫病神がっ!』


 責め立てる父の声が14年経った今でもレーリアの頭の中で響く。


 「ごめんなさい」と、か細い声で呟く。謝ったって許されないのに。


母は自分のせいで死んだ。母を殺したのは私。


まるで呪いのように、こびりつく懺悔だ。


 ログノはアウレーリアが亡くなってから娘を遠ざけるようになり、後妻にヴィルジーという子爵の女性を娶った。

 その2人の娘、アレリィはどうやら隠し子だったらしい。レーリアとは1つしか歳が離れていない。

 アレリィを甘やかし可愛がるログノはレーリアへの態度を一層、酷くして、いつしかメイドとして扱うようになった。


いや、メイド以下の奴隷としてだ。


 もう何度も繕ったメイド服も小綺麗にはしているが、布が傷んでいて、すぐに破れてしまう。髪は薄汚れ、肌はガサガサ。

食事は1日1食で残飯処理として使われる。当然、私物も、ほとんど与えられない。

機嫌が悪ければ殴られる。あるはずの残飯さえ、もらえなくなるんだ。


『この穀潰し!生かしてあげてるのだから感謝なさい!』


 他のメイドの掃除が甘かったという理不尽な理由でレーリアが折檻を受けるとき、義母は蔑んだ笑みを浮かべた。

面白いのだろう。彼女にとって義理の娘は憂さ晴らしできるオモチャにすぎないのだから。


(自由の身を、幸福を、夢見たときもあったけれど)


どんなに苦しんでも後悔しても過去はもう変えられない。


だから望まない。


望んでは、いけないんだ…

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