11話 揺れる心
渡辺が深く息を吐き、重い荷を下ろしたかのように肩を落とす。青白かった顔色は少し戻り、瞳の焦点も定まっていた。
先ほどまで、彼は紋章の暴走に呑まれ、仲間の声も届かないほどだった。
――だが、蓮と心優が力を重ねた瞬間。
光が駆け抜け、渡辺を覆う黒い紋様は薄れ、痛みに歪んでいた表情は和らいだ。彼はようやく目を開いた。
「……ふぅ。死ぬかと思った」
弱々しく笑う渡辺に、仲間たちの肩の力が一気に抜ける。
「よかったぁ! 本当に心配したんだから!」
声の主は明るい女子、美咲だ。快活な笑顔で場を照らし、涙目になりながら渡辺の肩を叩き、冗談めかして「もう倒れないでよね!」と怒る。
その様子に、場の緊張は少しずつ解けていく。
――しかし、注目の視線は自然と二人に集まった。
「……やっぱり、すごいな。蓮と心優の二人」
誰かがぽつりと呟き、続けて別の仲間が真剣な表情で言う。
「紋章の共鳴、だよな……二人の力が重なって、渡辺を救った」
自然と中心に置かれるのは、蓮と心優。
心優は静かに俯き、余計な言葉を出さない。
蓮は皆の視線が自分に向けられていることに、少し居心地の悪さを覚える。
すると美咲が勢いよく蓮の腕を掴んだ。
「蓮! 本当にありがとう! あんたがいなかったら渡辺、危なかったんだから!」
その瞳は純粋な感謝と、無邪気な憧れで輝いている。
蓮は慌てて返す。
「い、いや……俺だけじゃない。心優がいたから……」
だが美咲は聞かず、さらに腕を強く握る。
「でもやっぱり、蓮って頼れるよね。クラスの男子で一番だと思う!」
耳が熱くなる。
その瞬間、心優の胸に冷たい波が立つ。
彼女は感情を顔に出さず、落ち着いた表情のまま静かに立っている。
だが握りしめた拳が、微かに震えていた。
(……やっぱり、蓮は誰かに特別に思われている……)
胸の奥で、理性と独占心がせめぎ合う。
――蓮は、私だけを見ていてほしい。
その思いが、喉の奥に絡みつく。だが言葉に出すことはできない。
「冷静で優秀な心優」という仮面を壊すわけにはいかない。
「心優?」
蓮が振り返る。美咲が腕を掴む姿に気づき、慌てて振りほどこうとする。
心優はただ、静かに視線を返した。
その眼差しは冷ややかに、美咲に向けられる。
一瞬、美咲がぎょっとして手を放す。
しかし彼女はすぐに明るい笑顔を取り戻し、「ごめんごめん!」と場を取り繕う。
だが、空気は確かに揺れていた。
「蓮と心優の特別さ」
「美咲の無邪気な好意」
「心優の静かに燃える独占心」
それらが絡み合い、グループ内に微かなざわめきを生む。
蓮はその空気の変化に気づき、胸がざわつく。
仲間の信頼や好意は嬉しい――
だが、心優が少し沈んだ目をしていることが、胸に引っかかった。
(……どんなことがあっても、心優の隣にいるのは俺だけだ)
その決意を、蓮は静かに胸の奥に刻む。
美咲の笑い声が響き、心優の胸の奥には、ひそやかな炎が揺れていた。
――二人の絆は強くなった。
しかし同時に、周囲の心の動きが、微かな歪みを生み始めていたのだった。