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第16話~関係者たちの思い~

「……ふぅ」



 皐月賞を明日に控えた土曜日、まだ少し冷たさが残る春風が吹く夜の中、僕は薄目でベッドに潜り込んでいた。



「眠れない……」



 早く寝て明日に備えないといけないのに、既に時刻は11時を過ぎている。競馬関係者にとっては深夜の夜更かしも同然だ。



「ファーは強い。それは間違いない……」



 新馬戦でレコード勝ちしたディープゼロスと同タイムで走り抜け、最後方からでも先頭に届く瞬発力、スタートの上手さ、囲まれても掛かることなく動じない精神力など、本当に歴戦の古馬のように乗りやすい。


 全てにおいて一線級の実力を持っている。それこそ三冠すら目指せるほどに……でも、自分はその器じゃない。馬が強いだけで、自分はまだ実績が全然無い。


 唯一のGI勝ちも有力馬が直前で回避して、1番人気の馬は前日に騎手が落馬で乗り替わり。さらに展開が向いた上での勝利。自分の実力だと、誇れるような乗り方じゃなかった。



「荻野さんは大丈夫だって言ってくれたけど……」



 調教師の荻野さんからファーは肉体的にも精神的にも絶好調だと聞いている。そして僕自身も太鼓判を頂いた。ただ、それは間違いだ。


 僕はただ強がりなだけだ。周りからは大抵の事じゃ動じない神経の太い奴って思われてるようだけど、内心じゃいつもビビりまくってる。


 ネットでも横川家の三男と言えば、1番下手な奴って印象が強い。父さんはGIを2桁勝ってるし、1番上の兄はGIを4つも勝ってるし、2番目の兄は調教師だけど、僕が結果的に1番下なんだ。


 家じゃ皆優しいけど、競馬に関することになったら目付きが変わる。特にステイファートムなんて何回「俺が代わりに乗ってやろうか?」と結構真面目に言われたもんか。


 そりゃ有力馬に乗りたいのは分かるけどさ。でも僕に何かあったら多分、本当に乗れると思う。……うわぁ、ダメだ前日になんて嫌な想像を。




「……水」



 喉が乾いたので口を潤すためにミネラルウォーターを口に含んだ。スマホで弥生賞を見返す。いきなりシラガネギがぶつかってきた時は落馬しなくて良かったとヒヤヒヤしたな。


 そんで慌てたファーを落ち着かせたっけ。僕も結構焦ってたけど、いつも冷静なファーがあれだけ動揺してて僕の方が急に頭が冷えた。


 そんでゆっくり上がっていこうとしても結構マークがキツくて……最後の直線は届くかどうか内心焦ってたし。



「うん、ファーは強い」



 明日、どんな結末が待っているのかは分からない。ただ僕は僕の全力を尽くして、ステイファートムを勝たせる。それだけだ。


 スッキリしたのか、突如として強い眠気が襲ってきた。そのままベッドの中で深い眠りにつく。そして夢の中、僕はステイファートムと共に菊花賞を走って、三冠を達成していた。



***



 明日、私の愛馬がクラシックのターフを駆け巡るのか。私がプリモールに一目惚れしてからはや10年程が経つ。その初子が皐月賞に……。



「緊張して眠れない」



 明日は少し嫌だが馬主席で盛大にファーの応援をしようと思う。仕事も落ち着いてきたしな。この前の弥生賞後なんか声を上げすぎて喉が潰れた。



「あー、このまま徹夜するのも……さすがにダメだ」



 徹夜して皐月賞前に眠気なんかと戦っていてはいけない。戦うのはファーであって、私では無いからな。



***



 ステイファートムが皐月賞で走る。GI馬が1頭出しただけの小さい生産牧場にとっては快挙に等しい。しかも、唯一のGI馬の息子なら尚更だ。


 思えば生まれた時からファーは凄かった。すぐに立ち上がってあの凶暴なプリモールから愛情を一身に受ける。走るのが大好きなようで、ずっと放牧場の中を駆け回っていた。


 そして賢い。トイレは端の同じところでしかしないし、どんなにお腹が空いても寝藁を口にしたりはしない。綺麗に整えたり、たまに遊んだりはしてるけど。


 新しく出来た妹にも優しくし、その時のグルーミングの動画がSNSでプチバズり。YouTubeの動画も細々と伸びている。


 それとテイオーステップだ。これは何百頭もの殺処分を見送ってきた自分も奮い立たずにはいられない。だって元々私たちは競馬のファンなのだから。



「夢を託す……か。ファー、頑張れ」



 こうしてそれぞれの夜が明け、クラシック競走第1冠目、皐月賞がやってくる。



***



 皐月賞当日、いつもより早めに目覚めた俺はすぐにステイファートムの元に向かう。



「よっ、今日も元気だな」



 検温などを済ませて体調の良さを確認する。トモにも蹄にも違和感を感じさせない……ベストコンディションだと俺も思う。


 パドックではディープゼロス、ロードクレイアスに視線が釘付けだな。やっぱこの2頭がライバルだって分かってるのか。


 ただ逆に向こうから来るタイプは苦手なようだ。タマモクラウンが絡んできた時にはちょっと後ずさってて面白い。



「厩務員になってお前が今までで1番世話してて楽しいよファー、頑張れよ」



 今日のレースに俺は役立てない。だから精一杯、声援を送ろうと思う。



***



 最高だ。ファーの馬体はこの時期で受け持ったどの競走馬よりも良い。調教師史上最高のデキだと自信を持って言える。



「……これで負けたら、俺はお前の責任にするぞ横川」


「うーわ、今からGIに挑む騎手にかける言葉じゃない。それにオッズも見てくださいよ。負けるかもと思わされる2頭が居ますよ」



1番人気ロードクレイアス2.4倍

2番人気ステイファートム2.9倍

3番人気ディープゼロス3.2倍

4番人気ドゥラブレイズ19.3倍

5番人気タマモクラウン21.7倍

6番人気ジェミニリスト35.8倍

7番人気ナベリウス47.1倍

以下続く



「オッズなんぞ当てにするな。そんなもん1つの指標にしかならんわ。私が太鼓判を推しとるんだ。さっさと1冠目を取ってこんか」


「へーい」


「……はぁ」



 横川が去った後、私は再びライバルとなるだろう2頭の姿を見にしてため息をつく。全くもって素晴らしいデキだ。これがラストランだと言われても信じるレベルに。


 しかしここが終着点ではない。まだ1冠目なんだ。私の厩舎初のGI制覇がかかってるとはいえ、日本ダービーに合わせてさらに磨きをかけなかればな。



「目指すは三冠馬」



 誰しもが夢見る最強馬を、私はここにいる誰よりも強く望んだ。

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