外伝23話~ラストランその4~
《有終の美か! 世代交代か! 外国馬が全てを持っていくのか! 全ての想いを愛馬に込めて! 直線コースに出てきます!》
俺は大歓声に迎えられながら最後の直線へと向かっていく。3馬身ほどのリードを保ち、横川さんの合図を受けて逃げ切り体制を整えた。
レースがスタートして最初の1000mは59秒台で通過。その後もペースを緩めることなく、常に1ハロン12秒を切らずに走り続けた。
慣れない逃げと、2500mで考えると驚異的なハイペースの連続。俺の疲労は蓄積されて、既に体力は10%を切る所まで来ていたと分かる。
そんなペースでなお、俺を捉えるために後ろで構えて着いてきた奴らがいる。最後の直線で俺を差し切るために脚を伸ばしている奴らがいる。だから! 絶対に負けられない!
『俺は……ステイファートムなんだぁぁあぁ!!!』
***
「命なんて安いもんです」
ファーに乗る直前、僕は荻野さんにそう言った。ファーのラストランを有終の美で飾るためなら死んでもいい。
レースが終わった後なら腕の健が切れてもいい。力尽きて落馬しても良い。二度と騎手が出来なくなっても良い。それほどまでに僕はステイファートムの勝利を渇望している。
負けたなら、例え自分が無事でも二度と笑うことはしない。ただ無為に時間を浪費する人生なんていらない。
僕にとってはこの子を、ファーを最後まで勝たせてあげられたら、それだけで良い。それが全てだ。だから競馬の神様……ステイファートムに、運命に微笑んでください。
***
《ラストラン! 全ての想いを込めて横川勤とステイファートム先頭! 2番手ワナビアヒーロー! 真ん中マイネルクラウン!》
俺を先頭にして迎えた最後の直線。2番手との差は3馬身。サザンプールとワナビアヒーローは少し伸び足が見えない。
『行くぞ! 最強への道!』
変わって2頭に並びかけてきたのは3歳2冠馬マイネルクラウンだ。2人より勢いはありそうだが……甘いな。
《しかしまだ3馬身のリードを保ってステイファートム先頭だ! 外から一気に押し寄せてくる中! 抜けてきたのはオーソレミオとコンディルムの2頭!
さらに1番外からドゥラスチェソーレも飛んできている! 残り200を切った! 頑張りきれるかステイファートム!》
『はっはー! まだまだ余裕だわ! ほらほら、全員まとめてかかって来やがれ!』
『ぐぅっ!』
マイネルクラウンがサザンプールとワナビアヒーローを交わして2番手に上がってきた。しかし依然リードは3馬身ある。
どうだマイネルクラウン。世代戦でしか戦ってこなかったお前には想像もつかなかったか? これが古馬の壁だよ。精々覚えてその脳裏に刻みやがれ。
『クラウン! そしてファートムさん! そこで待ってろください!』
『ファートムの兄貴……さすがの強さです。唯一俺が認めた男。惚れ惚れします。ですが……最後に勝つのは俺ですよ!』
それと同時に外からコンディルムとオーソレミオの奴が突っ込んできた。お前ら確か後方に居たはず。いや、位置取りを向こう正面で捲って上げてきたんだったな!
『忘れてもらっちゃ困りますよ! 俺だって居るんです!』
『ドゥラスチェソーレか! はは、やっぱり来たな! 来い!』
オーソレミオ達をマークする形で大外から突っ込んできたのはドゥラスチェソーレだった。向こうもラストラン。しかも今まで勝ったことがない奴が相手だ。相当の覚悟を持って挑んできてるんだろう。
洗練され、見事に練り上げられた馬体から繰り出されるその末脚はかつてのロードクレイアスを彷彿とさせる。
無論、それを直接伝えたらクレイアスもドゥラスチェソーレもお互いが嫌がるだろうな。それでもドゥラスチェソーレ、今のお前は今まででいっちばん強いと確信できるぞ!
はは、それよりも残り200mを切ったが……脚が、上手く上がらねぇように感じる。横川さんの鞭は飛んでいる。
全く負担にならない、最高の騎乗を横川さんは見せている。それでも……このペースは今の俺にはキツかったようだ。ここが俺の限界……なのか?
……いや、最初から今この瞬間まで俺が主役だった。残り200m先頭を守りきれば良い。だから限界ギリギリ? そんなもの……今すぐ超えてみせろ!
《そしてやはりオーソレミオ来たァ!!! マイネルクラウンと並んで! 交わした交わした交わした! 外国馬がグランプリを持っていくのか!
外ドゥラスチェソーレ来る! ドゥラスチェソーレも来る! 頑張れ不屈の三冠馬! 現在前から3番手! 残り100m!》
マイネルクラウンをオーソレミオが交わす。そしてドゥラスチェソーレの奴も物凄い末脚で伸びてきた。僅かにオーソレミオの方が前に出ているだろうか。
すごい気迫だ。比べるわけじゃねぇが、一匹狼だった凱旋門賞の時の、周りを切り裂くような雰囲気と遜色ない。
ドゥラスチェソーレも同様だ。2年前の有馬記念、1年半前の宝塚記念……あの時とは比べるまでもない。
俺の知る限りだが、世界最強候補の2頭が俺を見て、俺を差し切るために全力を尽くしている。
『あんたに勝ってないのに貰った世界一の称号なんて要らない! 俺はただ、ファートムの兄貴……あんたを超えて、名実とともに真の最強を世界に知らしめる! 俺は、オーソレミオだッッッ!』
『今までの敗戦なんざ、そんな過去はどうでもいい。何度破れてもいい! 挫けてもいい! だが……諦めることだけは絶対にしない! 俺は……俺は継承者、ドゥラスチェソーレだぁぁ!』
そう言って2頭が抜ける。そしてさらに加速する。逃げる俺を目標に追いかけ、並び立ち、追い越すために。死力を尽くして必死にもがいている。
その時、オーソレミオとドゥラスチェソーレ。この2頭以外の脚音が聞こえた。
俺より弱くて、力強さも感じられない。けれども諦めないで、並ぼうと必死に迫る音。
それはすごく、懐かしいと感じる音だった。
『そっか……お前、そこに居たのか』
俺が3年前に敗れたあいつの、懸命に脚を伸ばす姿が見えた気がした。
悪いけど、今度は勝たせてもらうぜ?
限界を超えたこの脚が横川さんの鞭に応える。
その刹那、ターフ上の4年半の思い出が駆け巡る。その全てに浸りながら、俺はゴールを目指した。
「楽しかったよ、ファー」
『あぁ……俺もだよ』
4年半前、ディープゼロス、ロードクレイアス、タマモクラウンとの出会い。そこから俺の旅は幕を開けた。
その旅は悔しくて、苦しくて、けれど光り輝き、とても楽しかった日々だ。
だが終わりはある。
けれども、終わりがあるからその日々は光り輝いて見え、楽しく感じることが出来たのだろう。
さぁ、俺の旅の終着点はすぐそこだ。行こう、みんな……。
《しかし! しかしステイファートムだ!
世界最強と三冠馬をねじ伏せて!
その背中を見せつけて!
これが旅のフィナーレだ!
運命旅程! ステイファートムだァァァァァァァァァァァああああああああぁぁぁあああ!!!!》
ワァァァアアァァァァアァァァァァァァァァァァァアアアアアアァ!!!!!!!!!!!!
先頭でゴール板を駆け抜けた瞬間、観客席からものすごい声援が発せられた。いや、その前からずっと声援はあったはずだけど、俺の耳には届いてなかったんだと思う。それほどまでに熱中してたと言う事だ。
《これで日本競馬歴代新記録となる! GI10勝目! これが4年半の旅路の終着点! 競走馬として私達にくれる最後のお土産!
新たな旅路へ最高の門出となりました! そしてなんとぉぉぉぉ! タイムは2分28秒7!!!!!!
信じられない!!! 2004年のゼンノロブロイが記録したアンタッチャブルレコードが! 30年近くの時を経て! 今更新されました!
とてつもないペースで逃げたステイファートム! GI10勝目だけではなく! レコードのおまけ付き!?
頑張ったオーソレミオとドゥラスチェソーレの2番手争いを尻目に! 3馬身ほど差をつけての圧勝! ラストランに相応しい黄金級の走りです!》
……はは、そうか。俺はレコードを出したのか。確か春天と、宝塚記念ぶりだから……1年半ぶり3回目か?
通りでこんなにも疲れるわけだ。疲労が半端ない。立っているのだってやっとさ。横川さんも肩で息をしている。
一体どれだけの緊張感と覚悟を持って、この人はこのレースに挑んだんだろうか。信じられないほどのプレッシャーを、重圧を背負った中で、俺を導き勝ちきってくれた。まずはその事に深い感謝を示さねば。
あれ、脚が言うことを聞かない。やばい、子鹿のようにプルプルしてきやがった。さっきまで気づかなかったが、走りきったことでそれまで蓄積されていた極度の疲労が一気に襲ってきたのだ。
「ファー、大丈夫か!?」
有終の美を飾ったことに浸っていた横川さんも俺の様子に気づく。普通に今までで1番辛い競馬をしたのだ。その反動も大きかったんだろう。
だが、まだだ。まだ倒れちゃいけない。観客のみんなに挨拶を、ウイニングランを、そして表彰式もある。引退式もあるし、俺はまだ倒れる訳にはいかない!
『兄貴、支えます。行きましょう』
『ファートムさんに倒れられちゃ困ります』
その時、左右にオーソレミオとドゥラスチェソーレが現れた。俺がいつ倒れても直接地面に叩きつけられないよう、左右を固めて軽い壁のような役割を自ら果たしてきたのだ。
『お前ら……』
『さすが兄貴でした。あのペースで逃げられちゃ、追いつくために脚を伸ばしたけど、脚が残ってなかったです』
『俺もです。オーソレミオより遅く仕掛けて脚が止まった所を差し切る予定でしたが……まんまと逃げ切られてしまいました』
『お陰で2着争いなんてするハメっすよ』
『今までの完勝劇どこいったんでしょうねー?』
『あぁ?』
『あぁぁ?』
お前らやめい。喧嘩すんなバカ……はは、ドゥラスチェソーレ。お前、最後の最後でオーソレミオの奴に並べたかもしれない訳か。
掲示板を見れば、そこには2着3着を決めるランプは点滅しており、写真判定であることが伺える。本当に接戦だったんだろうな。
俺達の上の方じゃ横川さん達騎手の人らが話し合う。そしてオーソレミオとドゥラスチェソーレに離れてターフを去るように促すが、どちらも意に介さないという姿勢を見せた。
『ファートムさん、無事っすか?』
『あぁ。コンディルム、そっちは?』
『俺レースの数もこなしてますし、結構丈夫なんで』
5着に入り込んだ後輩のコンディルムもしれっと俺の後ろに周りながら話しかけてくる。ん……?
『お前ら……全員着いてきてんじゃねぇか!?』
『そうよ。悪い? 私には見届ける責務があるもの』
『俺も……お前のラストラン、良かったから……。長い間、ありがとう』
『けっ、1回ぐらい勝たせろや! なんだよあの逃げは。……覚えとけよファートム』
ペルツォフカ、ドゥラブライズ、サザンプールが。
『惚れ惚れする逃げでした。俺が勝ったJCを思い出すぐらい。……俺が、やりたかったなぁ』
『ひゃはははは! 負けたけど楽しかったから全て良しだな!』
『……強かったです。あなたを目標に、そして超えてみせます』
ワナビアヒーロー、バーストインパクト、そしてマイネルクラウンが。他にも今回走った全頭が俺を囲むように集まった。
はは、泣かせに来るじゃねぇかおまえら。ありがとうよ。少しの間、俺はみんなに囲まれてワイワイとした雰囲気を楽しんだ。
『ん……助かった。でも、もう大丈夫だ』
『ん、では兄貴。改めておめでとうございます』
『勝つことはできませんでしたが、貴方と戦えたことを光栄に思います』
俺の言葉にオーソレミオとドゥラスチェソーレがそう言葉を紡ぐ。脚の震えはもう止まった。今すぐ走れって言われたら厳しいが、横川さんを乗せて歩くぐらいはいけるさ。
『……兄貴、最後に戦えて良かったです。また会いましょう』
オーソレミオが代表してそう言い残し、他の馬達は先に帰っていった。ほっとした様子の横川さんを乗せて、俺は遅くなった最後のウイニングランを始める。