国王陛下は専属侍女にお仕え溺愛執心中
――人生はいったい、どのように転ぶかはわからない。
恵まれた豊かな大地によって栄えるアドリア王国。その王国を統べるのは若き国王。先代の国王とその后が不幸な事故で崩御してから若くして王座につくが、その手腕とその人柄、そして圧倒的な君主としてのカリスマ性により国民に慕われていた。貴族として王宮に仕えることこそ名誉ある職。そんな中、王宮で一介のメイドとして働いてきたリゼナ。特に力もない男爵家の令嬢だったが、運良く王宮で仕える事ができ、仕事をする事を本当に誇りに思っていた。そう、ここ数年と働いてきて、本当に。
国王とは直接は関わらないし言葉も交わすこともなかったが、柔らかな金髪に美しいブルーサファイヤのような瞳、その酷く端麗な容姿は誰もが目を奪われるほどで、国民誰もが知る事だった。
そして偶然にも、その国王へ直接拝謁する仕事がリゼナに回ってきた。近々大きなパーティーを宮中で開くため、人手が足りなかったからだ。仕事ぶりが評価され選ばれたリゼナだったが、初見の顔合わせでやらかして――その目の前で転んでしまうという失態をおかした。
終わった。そう思った。それでも陛下はとても優しく無礼なこのメイドにも手を差し伸べてくれた。取るか迷うもその申し出を断るのもむしろ無礼に当たる。不敬と思いながらもその大きく節だった手にそっと触れたその時だった。
「――っ」
触れた瞬間ビリビリっと何かを感じた。突然脳内に知らない情報がものすごい量でどっと流れ込んでくる。一瞬何が起きたかわからないほどに。そしてハッと顔を上げる。
「――ロイド?!」
「――リリアナお嬢様ッ!」
それは国王陛下も同じようで――
二人して呆然と、信じられないようにただお互いに顔を見つめていた。――間違いない、この人は、そうだ。
『私』は公爵令嬢だった。そしてこの男――『ロイド』は私の侍従だった。
控えていた従者やメイドが驚きどよめき慌てる中、そこで私は自分が転生していたのだと、気づいた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
前世の記憶――リゼナがまだリリアナという名であった頃、彼女は国随一の権力をもつ公爵家の令嬢だった。しかしその国は安定しておらず、反乱を起こした王政権反対派勢力によるクーデターに巻き込まれ、燃えさかる宮中で息を絶えた。なんて無念な最後だろう。しかしその国の名は、どこを調べても載ってはいない。それどころか逆に思い出してもアドリア王国なんてものはあの頃存在しなかった。ここまで長く、大きく栄えた国家なら知っていたはずだ。前世の世界とは全く歴史も違かった。前世で知る歴史を語っても、作り話だと誰も取り合ってはくれないだろう。そうしてリゼナは一つの結論へ辿り着く。何度か前世で読んだことがあった。
これは、異世界転生とかいうやつではなかろうか。
そして何より問題なのは――
「お嬢様の好きだったハーブティーでございます」
この国で最も高貴で尊ばれる国王が、ゆったりと優雅に美しい完璧な動作でお茶を出しながら優しく微笑み、甲斐甲斐しくリゼナの周りで世話を焼く。それはまるで長く使えてきた従順で恭しい侍従の鏡のような姿だった。そんなリゼナは座り心地のいいふかふかなクッションの椅子に座らされている。どう考えても玉座である。
「――もうやめて! 貴方はこの国の国王なのよ?! しがない侍女に仕えるこの姿……他に見られたら一体どうするの……!」
「構いませんよ。私はお嬢様の侍従です」
「違うわ! 貴方は――陛下はこんな事をする身分じゃないでしょう……!?」
わっと耐えきれなくなって喚いたリゼナは頭を抱える。
どうやら転生したのはリゼナだけでなく、同時にあの頃従者だったロイドも一緒に転生してきたらしい。それも彼の身分は国王として。
仕える者と従える者が見事に逆転した。互いに、あの時手に触れた事で何故かその存在がわかってしまった。その時の感覚とは不思議でなんとも形容しがたいものだったけれど。そして最初は衝撃だったものの、リゼナはここで生きてきた記憶もある。国民として有能な王に敬意もある。このまま前世は忘れ、変わりなく王宮で働いて彼のため国のため、過ごしていければいいと思っていた。その方が楽だろう。それぞれ新しい道へ歩んでいっているからとリゼナは思っていた。
しかしあれからロイド――ロナルド陛下はリゼナを自身の専属侍女として近くに置くように命じ、それから一国の国王が侍女を甲斐甲斐しく世話するというこのような摩訶不思議な構図が生まれるようになったのだ。
本当にリゼナの侍従のように世話する彼のその姿は嬉しそうにも見えて、高貴な国王である身であるのにちょっと引く。まるで生き甲斐だとでもいうようだった。
「ああ、お嬢様が好きそうなクッキーを取り寄せました。今もベリーはお好きでしょうか?」
彼の忠誠心は酷く高かった。リリアナだった時は、ロイドとはお互い幼い頃からの仲だった。ロイドはリリアナを慕い、尽くし、リリアナもロイドを誰よりも信頼していた。どんな友人や、まして親よりも近い存在だったかもしれない。そんな彼は、転生前の記憶が戻ってからはすっかり『ロイド』として『リリアナ』であるリゼナの侍従であるような振る舞いをしている。
彼の過ぎた行動はこれだけでない。公爵令嬢だった頃のようにアクセサリーなどで着飾ってリゼナにドレスなんて着せようとするものだから、流石にそれは全力で止めなんとか侍女服までは死守した。この部屋でこんな待遇でドレスまで着て国王に仕えさせていたら、本当に不敬罪で捕まりそうだ。王宮内でどんな噂が立つかたまったものじゃない。
「貴方他にする事はないの? 何で嬉々として茶菓子なんて給仕してるのよ」
「お嬢様に仕えることこそが、私の喜びです」
「ああもう、そもそも今世でも私に仕えてどうするつもりよ?」
そうですね、とロイドは考える。
「存分に甘やかしてお世話をして、私なしでは、生きられなくなってほしい」
「なっ……」
なんてことを言い出すのだ、しかもその顔で。しれっと言いながら酷く整う真剣で、憂うような乞うような顔に、思わず条件反射でかぁっと赤くなってしまうリゼナ。
そんな時、部屋の扉がトントンと叩かれ、一人の男性が入ってくる。その濃紺の髪色の綺麗な顔立ちをした彼は、国王の最側近であり優秀な右腕である侯爵家の嫡男、ジャスパー卿だ。国王であるロナルドとも幼い頃から知り合いで仲も良く、友人関係でもあると聞く。しかしジャスパーの姿を視線で見た彼は眉を顰め不機嫌そうに低く口を開く。
「……なんだ」
「頼まれていた資料と書類をお持ちしました。ご確認ください」
リゼナを伺うような姿で跪いていた彼は、ジャスパーに向き直りすっとゆっくりと立ち上がった。
「勝手に入ってくるな。そこに置いておけ。後で確認する」
「承知いたしました。よろしくお願いいたします」
礼を尽くし頭を下げ、出ていく寸前ちらりとリゼナを見るジャスパーは冷ややかな目つきだ。リゼナは椅子の上で固まったまま。冷や汗も出る。国王にこんな事をさせてるなんてと言うような顔だ。リゼナもそう思う。どうにかしてほしいのはこっちだ。
扉がぱたんと閉められて、凍りつくような空気が緩和されるとリゼナは再び彼へと向き直る。
「もう本当にやめて。ジャスパー様にすごい目で見られたじゃない! このせいで私あの方によく思われてないわ」
「あんなやつに敬称など不要です。それにお嬢様が気にすることもないです」
彼は気に入らないというようにムッと顔を歪める。その姿にリゼナははあと息を吐く。
「お嬢様と呼ぶのもやめて。私はもう男爵家の令嬢なの。それにジャスパー様は男爵家の私にとっては雲の上のような存在なの。敬称を使うのは当たり前よ」
「そんな事はありません。貴女は誰より高貴な方です」
そうまっすぐ見つめる彼に、リゼナは呆れも感じる。どうしてこんなに彼は頑固なのだろうか。
「……あのねロイド。もう私は『リリアナ』じゃないの。この国の王宮で働くメイドなの。貴方ももう『ロイド』じゃない。この国の王、ロナルド陛下なのよ」
じっと彼を見る。そしてすっと立ち上がって頭を下げる。
「私はきっちり線を引きたいと思っています。過去はどうであれ、今を生きている私達は身分が違うのです。陛下」
「やめてください。だとしても私の心は変わりません」
頑なな彼の姿に今日何度目かのため息を吐くリゼナは、彼に諭すよう訴える。
「貴方はもうロイドじゃないし、国王が一人の人に、ましてや侍女なんかに仕えるなんて有り得ない。許される事じゃない。それに私は国王の名前を呼ぶことさえできる立場ではないの」
「呼び名はロイドのままで構いません。愛称でもいいので」
バカヤロウ。それが問題なんじゃないか
愛称で呼ぶのは恋人か家族だ。一介の侍女が国王を愛称で呼ぶなどあってはならない。それ以前に使用人でもあり爵位も低い令嬢相手にこんな接し方をしている事が問題だ。
これまで何度も抗議してきた訳だが、一向に話は通じない。
「……ロイド」
「今も昔も、私が忠誠を誓って仕える者は変わりません」
疲れたように口を開いたリゼナに、彼は真剣にグッと顔を近づけてそう言う。
とてつもなく顔がいい。転生前も彼は整ってはいた方だったが、ケタ違いだ。無駄にキラキラしているし、オーラがすごい。無闇矢鱈に気安く近づかないでほしい。たじろぎそうになるリゼナは後ろへ距離を取りながら彼を見つめる。
「……だ、だとしても……」
「あの最後の時、もし生まれ変われるとしたらまたお嬢様の傍で支え、もう二度と失わせない。お嬢様を守ると誓ったんです」
「っ……」
その真剣な視線に射抜かれて、思わず息を呑む。
「だから私は今世でも何があろうと貴女の傍にいます」
真っ直ぐな想いに、リゼナは頬と胸が熱くなるのを感じる。いけないと、気づかないふりをしながら話をすり替えた。
「――でも、これだけはもう保留にできないわ。そろそろ本当に后を迎えてはどう? 次のパーティーで揃ったご令嬢の中から決めてください」
そう、この国の王、ロナルドには未だ后はおろか、相手となる婚約者さえいなかった。世継ぎの問題としても早急に解決しなければならぬ事態で、宰相達含め宮中の心配の種であり焦っていた。ここの所側近たちが彼の元へ訪れては催促している事も知っている。リゼナとしても、この国の行く末が不安だ。王にはきちんと身を固めてもらいたい。しかし彼は一向に自身の結婚について考えることもしない。
「……またそれですか」
彼は小さく呟く。
「言っとくけど、貴方だけの問題じゃないのよ。貴方はこの国の王なんだからわかってるでしょ?」
それに、とリゼナも息を吐く。
「私も近々見合いをする予定だし」
「え?」
「私ももう23だもの。むしろ遅いくらいよ。このままじゃいき遅れて一生独身でいる事になっちゃうもの」
その言葉に固まったロナルドにそう話すと、リゼナはふうと息を吐く。すると俯いた彼が呟いた。
「……いけません」
「え?」
低く聞こえた声にリゼナは顔を上げて眉を顰め怪訝に聞き返す。
「そんなどこの馬の骨ともわからない男にお嬢様は渡せません!」
「相手は伯爵家で騎士団のレノン卿よ。むしろしがない男爵令嬢の私にはもったいないくらい、申し分ない身分の方だわ」
「いえ、とてもじゃありませんがお嬢様には不相応です。言うなればこの国のどこを探しても高貴なお嬢様に見合うお相手はいません」
「それじゃ私結婚できないじゃない‼」
何だその暴論は。私に結婚させないつもりかと怒りもあるも、まずは国王の伴侶探しだ。自身の結婚については彼に落ち着いてもらって考えよう。そうすれば興味はそっちに逸れる。
「とにかく、私のことは置いておいて、まずは貴方の結婚からよ」
痛くなる頭を押さえて話題を変えるリゼナに、彼は毅然としてきっぱりと答える。
「正直今のままで何不自由なく満足していて、結婚や婚約などに興味はないのです。それにお嬢様がいるのに私が身を固めるわけにはいきません。一生独身を貫こうと思っています」
「それは駄目よ! この国を従えていく君主が伴侶を迎えないだなんて」
「生涯私の仕える唯一の主君はお嬢様一人だけです」
「いや……」
貴方は一国の君主――!
どんなに優秀で素晴らしい名君でも、後継者がいなければこの国が滅ぶ。この数百年とこの国を収めてきた長きに続く王家の血も途絶えてしまうのだ。彼はそのことをちゃんと考えているのだろうか?
通じないと判断して疲れたようにはあと息をつく。もう諦めた。疲れた。リゼナは再び柔らかなクッションの椅子に倒れるように座り込む。
「――本当に、幸せでした。貴女と出会えて、仕えられて」
その彼の言葉に顔を上げる。彼の顔が見えた。
「お嬢様は私の全てでした」
ロイドは言う。遠く思いを馳せるように。
――確かに、ロイドにとっては忠誠を誓っていた主君を守れなかった事は悔やんでも悔みきれなかったのだろう。ずっと、長いこと一緒だったのだ。楽しい時も、悲しい時も、いつもロイドが一緒だった。リリアナと共に過ごしてきてくれた。しかし最期はあのクーデターによる火災に巻き込まれ、あの日二人で息絶えた。彼は最後までリリアナを守ろうとした。必死に庇いながらもその腕の中で亡くなった主君に、忠誠心の高いロイドは無念さがずっと残っているのだろう。
しかし、その言葉にトクンと胸が騒いでしまう。知らないふりをして、リゼナは小さく頭を振る。
「……国を治めるものが次の世へ世継ぎを残すのは義務よ。ううん、貴族だって同じ。知っているでしょう」
小さく落とすようにつぶやいたリゼナに、彼はそうだ、と真っ直ぐに見つめた。
「お嬢様が伴侶になってくださるのはどうでしょう?」
「は?!」
「どうか王妃になってください」
何をまた突然言い出すかと思えば――頭おかしいんじゃないのか?! リゼナは混乱する。
「そうすれば私はお嬢様に仕えることができます」
「馬鹿言わないでよ王妃になったからって許されるわけじゃないし、国王が王妃に仕えるだなんてそんな事聞いたことないわよ!?」
声を荒らげるリゼナに対し、彼は下手で真摯に乞うように訴える。
「もちろん私なんぞの伴侶としてお嬢様に嫁いでもらうなど烏滸がましい事ですが、そうすればこの国も貴女のものになります。むしろ喜んで国をさしだします。もちろん邪な感情などはございません。しかしそうすれば立場も今より対等になり、これで晴れて私は貴女に仕えられる事になるかと――」
「無理よ! 今は名も通らない男爵令嬢なのよ? 后選びは慎重に、身分や家柄を鑑みてしなくちゃならないの。この国の未来に関わることなんだから」
そもそもどうしてろくに力もない男爵家の私が王妃の座につけるというのか。この元侍従の言う事は理解できない。もっと聡明で賢く理性的で、少なくともこんな突拍子もないことを言い出す男ではなかったはずだが。
とにかくこれ以上いたら埒が明かない上に、面倒事になりそうな気がする。早急に戻ろう。不敬罪など知るものか。リゼナは髪をかきあげる。
「これ以上いてもすることがないから仕事に戻るわ」
「お嬢様……」
去り際にはたと気づいて振り返る。
「そうだ、私明日いないからね」
「どうされたんですか?」
「休みだから街に出るのよ。買い物」
仕事だというのに業務もまともにさせてもらえず、リゼナを呼び出して勝手に『世話をする』なんて職権乱用もいいところなんだから、休日くらい一人で好きにさせて欲しい。
「それでしたら私もお供いたします」
「はぁ?! どういうこと?」
再び声を上げるリゼナ。
「お嬢様お一人では危ないですし、侍従としてついていかせて頂きます」
「ちょっと私お休みなんだけど?!」
「もちろんです。私が勝手にお供させて頂くだけですから。お嬢様はお休みをご満喫ください」
政務はどうするのよ――
そんなリゼナの訴えもお構いなしに、勝手に決定してしまう。ちょっと、本当に国王を侍従にしたつもりはないのだが――?!
どうやら休みも、リゼナは心休めないようだ。にこりと美しい顔で微笑む国王に、愕然としたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
姿鏡に映る自身を見る。薄らベージュにも見えるくすんだピンクブロンドの髪。薄紅色の瞳。多少は整っているとは思うも、輝かしいブロンドの髪を靡かせていたはっきりとした顔立ちだったリリアナとは対象的な落ち着いた容姿。姿かたちも、あの頃とは全く違う。
そして古い記憶の片隅の、黒髪の碧眼の男を思い出す。
――彼だって、似ているのはあのブルーサファイヤの深い青い瞳だけ。自分たちは記憶さえあれど、もう全くの別人なのだ。彼が縋るのも、ただ単に最後の別れに悔いが残っているだけに違いない。彼女は視線を落とした。
「お嬢様、お入りしてもよろしいでしょうか?」
その時トントン、と部屋のドアがノックされ、その声が響く。本当に来るつもりなのか。半ば諦めに近い感情で入室を許可すると、彼女はその姿に目を見開いた。
「っ……ロイ、ド……」
艶めく真っ黒な髪。二つに分けた前髪から覗くのは真っ直ぐな青い瞳。それ一瞬過去の記憶のロイドと重なって、本物に見まごうた。しかしよく見れば顔立ちは違う。どちらもキリッと整ってはいるが、今の姿の方が華やかさがある。
「変装をするならと、以前に容姿を寄せてみました。この方がお嬢様も慣れていて気が楽になるかと思いまして」
そう恭しく微笑むロイドに、内心とまどいながら平静を保ってリゼナは言う。
「……国王陛下がこんな事しないでよ。それに容姿を変えただけじゃ、結局何も変わらないもの」
それでも彼はリゼナに拒否されない事が嬉しいようだった。なんだかんだと受け入れてしまう彼女の甘さか優しさに、小さく笑みを浮かべて。
「本日はお嬢様の侍従として、お供いたします」
あの頃と何も変わらない完璧な礼を彼女に送った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「何をお求めなんですか?」
半歩下がってついてくるロイドがリゼナに問いかける。二人がやってきたのは国王のお膝元である王都の城下町だ。
「どうってことない生活用品よ。城からの支給もあるけど、嗜好品もあるし。あと本もほしいの」
「では次回からはお申し付けください。外商を呼びましょう」
「本当そういうのいらないからやめて……」
当然のように手配しそうな彼に頭を抱える。そりゃ公爵家ではそうしていたけれど、それは権力も財力も国随一な家紋だったからこそのこと。公爵令嬢とは違うのだ。
それにわざわざ侍女にために外商まで呼び寄せるなんて、あの侍女を寵愛しているとこれ以上噂にでもなったらたまったものじゃない。そう思っていたその時ふと脇道へ視線を向けると、ある物が目に入る。
あ、可愛い……
店のウィンドウに並んでいた、そのガラス製の見事な宝石加工が施された髪留め。真ん中についていた赤いルビー以外の周りの宝飾は宝石ではないが、その技術で宝石やそれ以上にキラキラと輝いて見えた。
しかし今の自分は王城の侍女をしている。パーティーや夜会に出席する事はほとんどないし、つける場所がない。公爵令嬢で、かつては王太子の婚約者に名が挙がっていたリリアナだった頃とは違い、華やかな社交界とは縁遠い。
そんな諦めのような自嘲をしてリゼナは振り切って目当ての店へと歩いた。
その後つつがなく無事にリゼナの買い物は終えられた。想定外の存在はあったが、彼は従者らしく彼女の行く先へ口を挟むこともなくついて回った。それ故ナチュラルに買い物した荷物も彼が持つのを容認してしまっていたのだが、気がついて言ってもなお彼は頑なにその荷物は手放さなかった。もういい、それで彼の気が済むのならとリゼナは半ば悟りを開き始めていた。
「さて、帰りましょうか」
そう彼へ告げると、ロイドは一歩前へ出る。なんだと思うと、彼はポケットからとある箱を取り出した。
「主人へ贈るなど差し出がましいのですが、本日お供させて頂いた私から細やかな贈り物です」
「これは……」
差し出されて受け取った物にリゼナは驚く。箱に入っていたのはリゼナが街で見かけていいなと思ったあの髪留めだった。
「お嬢様は昔から、高価な宝石だけを見て好むのではなく、その技術や美しさの本質を見て好む方でしたね」
ロイドを見ると、そう優しく微笑んでいた。
「その美しい心と審美眼も、やはりお変わりないようですね」
嬉しそうに、安心したような柔らかな陽だまりのような笑みにその姿が重なって、面影を感じる。『彼』もいつだってそう寄り添っていてくれた。見守るように、彼女を想い誠心誠意仕える侍従だった。思い出されて、胸がきゅっと締まるような感覚になる。
でも何故、この髪留めが気になっていたことを知っていたのだろうか。
「どうして……」
「お嬢様のお顔を見ればわかりますよ。これが目に入った時、気に入ったような顔をされていました」
あの時リゼナは立ち止まる事などはしなかった。通り過ぎただけだ。そんな些細な一瞬を見ていたというのか。表情だって出していなかったはず。
「そんなわけ……」
「長い間、お仕えさせて頂いておりますから。貴女の機微な変化でもわかります」
そう話す彼は、確かに長く連れ添った信頼なる侍従の姿だった。リゼナは無意識に視線を外すように落とした。
チリっと、胸がやけに焦がれたような気がしたのはきっと、懐かしさにあてられたのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
国王の伴侶を探す夜会。
前々から決められていて準備していたそれに、あるお達しが通った。
国中の適齢の未婚者の貴族を集めて夜会を開く。もちろん王宮に使える侍女たちも例外なく、既婚者と現時点で既に婚約者がいる者以外の貴族は全て出席を命じられた。
してやられた……
もちろん未婚でまだ婚約者が決まっていなかったリゼナも例外ではなく、出席を余儀なくされる。
ここまでしてリゼナをその場に出させるなんて。目まぐるしく想定外の事ばかり起きるここ最近に、考えるのも疲れてくる。仕方なしに今夜の夜会の準備で身支度をするリゼナ。
本当に彼は自分を伴侶にするつもりなのだろうか。
ぼうっと考える。その視界に鏡に映る自分が見える。実家からかろうじて持ってきていた薄紫色の一着のドレスに控えめな装飾品。
ドレスを着て着飾るなんて、久しぶりだ。
あの頃は毎日そうして過ごしていた。新しいドレスについて感想を聞けば、隣のロイドはいつも「今日もお美しいですね」と笑った。それじゃドレスの感想にならないと、彼にいつも言っていたっけ。
小さい頃に一人寂しく過ごす時も、失敗して泣いた時も、お父様と言い合いになった時だって、いつだって彼は味方になってくれた。傍で寄り添っていてくれた。当たり前のように傍にいてくれたのだ。自分にとって、侍従の彼は特別な存在だった。
そう言えば昔、傍から離れるんじゃないわよと冗談めかして言ったことがある。彼は自分が満足するように微笑んで答えたんだっけ。
『――はい。私は一生、お嬢様の侍従です』
でもそれは、全て過去の遺物よ
思い出す日々を、グッと呑み込む。公爵令嬢であった、『リリアナ』は今の自分ではない。そう思いながら、鏡の中で髪にひっそりとつけた、あのルビーとガラスが光るのが視界に入った。
深い意味はない。ドレスに合っていたし、他につける装飾もなかった。ただそれだけ。
もうすぐ夜会が始まる時間だ。人がもう既にホールへ集まっている頃だろう。リゼナも遅れて目立つことのないよう、会場へと向かった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
国中の未婚者が集まったのだ。会場は人が多く賑わっていた。そしてその誰もが、国王に見初められるようにと気合を入れているのがわかる。
ホールには男性の姿も見受けられた。国王の相手が決まれば、その後は未婚者同士の交流会にもなると見込んでの事らしい。若い男女としては一石二鳥だ。
そう言えば自分の見合いはどうしよう。来週の休みあたりにでも一度会ってみようか。もしかしたら今日の夜会にも来ているかもしれない。そう思って会場を見渡すも、いかんせん人が多い。これは大人しく夜会が終わるのを会場の隅にでも待っていたほうが良さそうだ。下手に目立って彼に捕まりたくはない。
キラキラとシャンデリアが輝く舞踏会ホールには、着飾った人々が談笑している。その姿を見た。
美しい女性たちは沢山いる。その上身分も高貴で、それこそ王族に見合うご令嬢は多くいるのだ。本来なら、自分がこの場にいるのが場違いなくらい。
「ぁっ――」
その時ドンッと人にぶつかってしまう。すみません、と頭を下げながら、リゼナはこれ以上夜会の邪魔にならぬよう、広いホールの隅に向かう。その途中、人々がざわめき出したのが聞こえた。――ロイドが現れたのだ。不味い、見つからないように早く逃げなくては。
そう思って髪を耳にかけ直した時、髪留めがないことに気づく。リゼナはサッと顔色を変えた。どこで落としたんだろう。
すぐに周りを見渡す。しかし見覚えのあるような輝きは見られない。もしかしてあの時ぶつかったときに――
そう思い返していると、会場の視線とざわめきがこちらに向かっていた事に気づかなかった。下に視線を落とし探していると、上から声が降ってくる。それは酷く耳心地よく、聞き慣れた声。
「捜し物はこちらでしょうか?」
貴族達が好奇な視線で見つめる中、ロイドのその手に差し出されていたのは確かにあの髪飾りだった。それをくれた本人の登場に驚きで固まる。そんな彼女に、柔らかく笑った。
「付けて差し上げます」
そう言ってそっとリゼナの髪に触れ、髪留めを器用に留める。そして完璧だと満足そうに微笑んだ。さらに思いにもよらず、彼はなんとリゼナの前で跪いた。リゼナも驚くが、周囲もざわっとどよめく。
「リゼナ嬢、どうか私と踊ってくださいませんか?」
王から差し出された手を、拒む権利などない。でもだからといってこの手を取れば、もう終わりだ。一択しかない答えをせばまれリゼナは結局その手をとる。
ふわりと柔らかく、愛しそうに笑ったロイドは、流れ出した曲に合わせ、リゼナをホール中央へ手を引いて、リードする。
彼のリードは素晴らしくて、踊りやすい事に驚くも、そのダンスも優雅で見ているものも思わずうっとりと目を奪われるほど。リゼナも昔の感覚を思い出すように踊る。踊りやすいと感じるのは彼がリードが上手いからだけじゃない。何度も、あの頃練習相手になってくれていたからだ。
その懐かしさをまた思い出してしまって、リゼナはまた胸が痛んだ。
曲が終わる。そして彼に手を引かれて、リゼナはホールを後にした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
広いバルコニーに二人、ロイドとリゼナだけ。会場の視線を一身に受けて出てきてしまった。ホールでは今頃一人の女性を連れ去った国王とリゼナの話で持ちきりだろう。この収拾をどう収めるのだろうか。バッチリリゼナの顔も姿も皆に見られている。どこの家紋のものかバレるのも、時間の問題だろう。
「……どうして男爵家の娘なんかの手をとってダンスなんてしたのよ」
やけになっているような口調で、リゼナが問う。
「……貴女が気にするのはずっとそれですね」
ふっと、ロイドが少し困ったように眉を落として笑う。月明かりに照らされる彼の姿も綺麗だ。そしてリゼナに言う。
「今更誰を迎え入れたとて、そんな事で揺らぐような国でも、立場でもありません」
そう力強く、自信を持つ様子で断言するロイド。確かにこの国は安泰で国王への信頼も地盤も十分に強い。それだけ彼が認められた素晴らしい指導者だった。
――……でもだからこそ、見合う人と一緒になってほしいのだ。
「私は貴女に添いたいのです。あの頃とは違っても、想いは同じです」
「貴方が主人として大事に思っているのはリリアナでしょう? それは本当に嬉しかった。今でも貴方はリリアナをただ一人の主だったと想ってくれていて、忠義に真摯だった」
リゼナはロイドを視線で捉える。
「私はもう『リリアナ』じゃない」
「でも貴女は貴女だ。何一つ、変わっていない。仕草や嗜好、真っ直ぐなところも全部、私が知るたった一人の主君でした」
姿形こそ違えど、根本は何一つ変わらない。そう真っ直ぐに答えるロイドに、リゼナは顔を歪めた。
そうだけど、違う
思い出せば思い出すほど、あの頃とは違う事を身に沁みて思い知る。姿形はおろか、立場も全く別物なのだ。本来ならば交わぬ事のない存在。その度に、リゼナはなんだか無性に苦しく、焦燥感を感じた。それは彼に言っているようで、自分自身に対しての言葉でもあった。過去と決別しなければならないのは自分も同じだ。だからちゃんと、ここで線を引かなければ。
「……貴方は囚われてるだけよ。今もあの業火の中を彷徨って、かつての君主を縋ってるだけだわ」
「それは違いますよ」
言葉を挟ませないようロイドは口を開いた。
「――確かに、貴女を守れなかったこと、それは酷く後悔してます。しかし、その最後の一瞬まで、貴女と過ごせたこと、お傍にいれたことは酷く幸運でした」
青い瞳が柔らかく、愛しい温度を乗せる。それは酷く清らかで、愛しさが溢れているようだった。
「命を捧げたいほど、お嬢様は私の大切な人でした」
ストレートなロイドの言葉が、リゼナに突き刺さる。彼のこういう言葉は、どうしていいかわからなくなるのだ。視線を落とし目を泳がせるリゼナ。
「お嬢様こそ、逃げているのではありませんか?」
「え?……」
リゼナは声を漏らす。彼は伺うように問いかける。
「貴女は私と一緒になる事について、身分の事については拒否していましたが、私自身の事については拒否していませんでしたよね?」
その言葉に息をつまらせる。ドクリと、何かが胸に刺さった気がした。
確かに、そうだった。身分の差を盾に、ずっと反論を続けてきたのはリゼナだ。
「つまり、少なからず私の事は雀の涙ほどでも好意的な思いはお持ちであり、嫌ではないのだと受け取りました」
理路整然と並べる彼に言葉には反撃の余地がない。昔からそうだった。彼は頭が回り聡明でいつもいざ敵に回せばリリアナも口では勝てる相手ではない。
「これは驕りではないか、自分でも烏滸がましいと思っていますが、そうだと感じています。そう、なのでしょう……?」
彼の問いかけにぐっと口を噤む。乞うような彼の縋る視線に、顔を逸らしたくなる。
「お嬢様……リゼナ様。ずっと貴女をお慕い申しておりました。どうか私と、共に生きてはくださらないでしょうか?」
でもその時点で負けなのだ。顔を逸らすのは、このままだと受け入れてしまうからだ。それだけ、彼の事をいいと思っている。
「――っ貴方ね――……」
「国王としてこの国の者たちに仕えられる身であるからには、この国の民のために尽くします。しかし、ロナルドとしては、ただの男として貴女にだけ仕えます」
国王を尻に敷くようなとんでもない女のように聞こえる言葉にリゼナは焦るものの、彼のその視線はひどく優しい。愛しい温度が乗っていた。
悔しいけれど、それは嫌じゃない。リゼナは顔を歪めた。
答えはきっと決まっていた。そしてリゼナはゆっくりと、頷いて彼の手をとった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
そのプロポーズは、シンデレラ・ストーリーとして広く世に知れ渡り、話題となり愛された。国王が、しがない男爵家の、しかも王宮の侍女を愛し娶ったのだ。身分差の中、真実の愛を貫いた国王のこの話に女性たちは憧れ、男性たちは賞賛を送り、それから酷く話題となった。
――その後紆余曲折ありながらもトントン拍子に進み、婚約期間も僅かながらいつの間にかすぐに国民の前で婚姻の義を行う事となった。史上例の見ないスピード婚だ。またそれだけ国王の后となる女性への愛が深いのだと噂だてられた。
先程神の前で誓いを立てた二人が国民の前へ現れる。すると王城の前に集まっていた国民たちは一斉に歓声を上げた。
祝福の中、国王ロナルドは王妃となるリゼナに跪く。その姿に側近の騎士たちや侍女たちはおろか、見守る国民もざわっとざわついた。たとえ后となる者にでも、王ならば威厳を保ち、決して跪くことなどあってはならない。側近の一人が彼に、声をかけた時だった。はっきりと彼は周りに宣言するように言う。
「私は愛する人は花のように優しく丁重に、蝶のように大事に扱いたいのだ」
その言葉に女性たちはほうと頬を染め、こんなに思われているなんて羨ましいと胸を打たれる。しかし当のリゼナは気恥ずかしくなっていた。彼はどうも、転生してから振る舞いがオーバーだ。
「皆に宣言する。ここに王家の婚姻を行う。皆がこの婚姻の証人となるのだ」
ワーッと拍手と歓声が上がる。国民に見守られながら、ロイドはリゼナに振り向き直り、跪いたまま面と向かう。そして、言葉を紡いだ。
「リゼナ様――貴女だけを、思い見て、お慕いしておりました。私はきっと、貴女に出会うために生まれてきたのです」
息を呑むような美しく格好いい顔。そんな彼がただ一人、リゼナへ向けて想いを紡ぐ。
「そしてこの生涯、そして死して来世でも、必ず見つけ出して傍でお支えします。どうかその最期まで貴女のお傍にいさせてください」
それは熱烈な侍従からのラブコール。リゼナだけが、その言葉に込められた真意を理解する。前世から紡がれた縁。彼が彼であり続け、リゼナがリゼナであり続ければきっと、この先も続いていくのだろうと思う。そんな気がした。
「私だけのお姫様」
甘く、優しく、心から愛おしさが溢れるように微笑む。その声も酷く甘く温かい。柔らかく風になびく美しい金糸も、吸い込まれてしまいそうなほど深く鮮やかな懐かしい面影を感じる瞳も、くっきりとした整った顔立ちも全て完璧で、かっこよくて何もかも持ち合わせた彼にこんな表情を向けられ、何も感じないような女性はいないだろう。
――嗚呼。彼は本当に、私を愛している
そう、感じざるを得ないくらいに
「リゼナ様……私は死ぬまで、貴女に仕えると誓います」
そう言って彼は頬にでも唇でもなく、彼女の手の甲へ優しく口づけた。それはまるで騎士や侍従の誓いのように。
その日は祝福の歓声が温かく、国中に響いた。
これは一介の侍女が、国王陛下にただ寵愛を受けるでもなく甲斐甲斐しく仕えられお世話される、そんなお話。
END
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