3.
☆ ★ ☆
「本当に残るつもり?」
夜霧の漂う裏庭で、黒を身に纏うヒースが静かに問う。
神出鬼没な彼らしく、旅立ちの荷物は少ない。普段と同じ、ふらりとどこかへ出かけるような装いだが、それでも遠くに行くつもりなのだとノクスは理解する。
灰色の瞳でノクスを見下ろし、彼は言い聞かせるように続ける。
「君はいずれ、後悔するだろう。人間とヴァンパイヤは一緒に生きられない。血を呑むという性質だけじゃない。身体能力も、怪我への耐性も、ひととヴァンパイヤはあまりに違うから。失う痛みも、恐さも。その身をもって、知ることになる」
――それは果たして、誰に向けた言葉だったのだろう。ヒースの瞳は、ノクスを見ているようで、見ていない。
薄い色素に浮かぶのは後悔か、寂寥か。初めて見る表情のヒースに、ノクスは一瞬呑まれそうになる。
けれども次の瞬間、彼の頭には、太陽に輝く少女の笑みが浮かんだ。
「おれは残るよ。そう決めたんだ」
青い瞳でまっすぐ見上げれば、ヒースが微かに息を呑んだ。静かに続きを待つヒースに、ノクスは一歩踏み出して訴える。
「ステラがおれと、一緒にいたいと言ってくれた。おれも、それに応えたい。……ううん。おれが、ステラと一緒に生きていきたいんだ。それが、おれの出した答えだから」
もしもノクスがそのとき鏡を見ていたら、自分が幼馴染そっくりの表情をしていることに気付いただろう。
出来る出来ないじゃなくて、やる。叶えたい願いがあればこそ、すべてを懸けて全力で。
そういう強さを、彼女からもらった。そういう願いを、胸に宿した。
だからノクスは逃げない。この地に残り、足を踏みしめ生きていく。
ヒースはしばらく何も答えなかった。呆れたような、憐れむような――その逆に、どこかうらやむような複雑な表情を浮かべて、じっとこちらを見下ろしている。
やがて彼は、美しく整った顔をわずかに緩める。それから黒く艶やかな髪をなびかせて、くるりと背中を向けた。
「そこまで言うなら、好きにするといいよ。俺はもう行く。君が一緒に来ないなら、留まる理由もなくなったから」
「みんなに挨拶しなくていいの? エイベルおじさんも、ウォルフレッドさんも。ヒースがいなくなったら、寂しがると思うよ」
「いいんだよ。これくらい気軽に、別れるくらいで」
夜霧に半分呑まれたまま、ヒースは少しだけこちらを振り返り、形の良い唇に人差し指を当てた。
「だってヴァンパイヤって、そういうものでしょ?」
そうしてヒースは、ハーカー家から姿を消したのだった。
★ ☆ ★
ハーカー家の本邸に戻るため、カントリーハウスを後にする。
その日は、雲一つない秋晴れとなった。
「すまないね、リリア。僕がいない間、色々と面倒をかけてしまうと思うけれど。村のみんなを、僕らの家を、どうかよろしく頼んだよ」
出発の日、ポールを見送るために村から駆けつけたリリアに、ポールは微笑みかけた。その眼差しも、言葉の節々からにじみ出る温かさも、やはり彼こそがまぎれもなく、11年間村を守り続けてきた村長なのだと、ステラに実感させる。
そんな養父に、リリアも気丈に微笑んだ。
「任せてください。おじさまが安心して養生できるよう、私、頑張ります。だからきっと、きっとすぐに戻ってきてくださいね。私、ずっと待っていますから」
「頼りにしているよ。心から」
柔らかく目を細めてから、ポールは不意に車椅子の上で困ったように頬を掻いた。
「しかし、失敗したな。大事な娘を取られるみたいで嫌で、リリアの旦那さん探しを本気でやってこなかったけれど。君をひとりにさせてしまうくらいなら、村のみんなが紹介してくれるお見合い話を、きちんと聞いておくべきだったな」
「おじさまっ」
リリアが驚いたように目を見開く。それから、いつも柔和で穏やかな彼女らしくもなく、ぷくりと頬を膨らませて怒りだした。
「ほんとうに、おじさまってば私の気持ちも知らないで……」
「え、あれ? どうしたんだい、リリア?」
「そんなおじさまには、私からのお仕置きです」
戸惑うポールと目線を合わせるように、リリアがしゃがみ込む。そして、ポールに逃げる隙を与えないまま、ちゅっと、その頬に口付けた。
「……っ!? り、リリア!?」
「これが、私の気持ちです」
一拍遅れて、頬を押さえて狼狽し始めたポールに、リリアがにこりと微笑む。日焼けのない白い頬を赤くそめて、リリアは愛おしげに告げた。
「戻ってきたら、続きをしましょうね。愛してます、おじさま」
――ここまでの一連の流れを、少し離れた箇所から見守っていたステラは、感心して両手を握りしめた。
「なるほどぉ。一向に想いに気付いてくれない鈍い片想い相手には、ちょっと強引な手を使ってでも意識してもらうのが吉と。すっごく勉強になったわ!」
「いい子ですから、真似しようだなんて思わないでくださいね。ていうか、既にお嬢さまは色々と強引ですから、特に参考になる箇所はなかったのでは」
「なになに? 実はとっても意識しちゃってる? ドキドキしてる? いっそこのまま、結婚しちゃう?」
「しませんし、お嬢さまくらい大胆続きだともう慣れました」
「ひどい!」
そんな風に軽口を叩きあっていたら、ポールが車椅子をころころさせながらこちらにやってきた。
「お待たせしました。いやはや、とんだところをお見せして……」
「いえ! むしろいいものを見させていただいて、ほっこりしましたとも!」
「随分と見せつけてくださいましたね。いや。別に羨ましいとは思っていませんが」
思い思いに返答するステラとノクスに、ポールは居心地が悪そうに恐縮する。長い時を養父と娘という関係でいた分、リリア・ラプラントの想いが成就するには、まだ少し時間を要しそうだ。
ある意味で初々しい関係ににまにましつつ、ステラはぱん!と両手を合わせた。
「お別れの挨拶も済んだなら、そろそろ出発しましょっか」
「そうですね。余裕のある旅程を組んでいますが、途中でトラブルが起きないとは限りません。それでは俺は、ウォルフレッドさんたちにも声を掛けて……」
「あ、待ってください!」
踵を返しかけたノクスを、ポールが引き留める。目を瞬かせて振りかえった彼に、ポールは「思い出したことがあるんです」と告げた。
「ノクスくんの屋敷を襲ったかもしれないヴァンパイヤ――〝始まりのイヴ〟については、前に話をしたね。僕に血を分けたヴァンパイヤは、イヴが立ち上げた、ヴァンパイヤだけが住む村から来たと話していた」
ポールの言葉に、ノクスの表情が強張る。心配になったステラはとっさにノクスに手を伸ばしかけたが、ノクスは前のめりにポールに詰め寄った。
「それで? その村はどこにあるんですか?」
「場所は残念ながら……。だけど彼は、その場所を『楽園』と呼んでいた。なんでも、その村は一年中深い霧に覆われた森の奥にあって、普通の人間は立ち入ることも出来ないらしい。始まりのイヴは、その森にヴァンパイヤの楽園を作ったのだと」
ステラは想像した。
人間が誰も寄り付かない、深い深い霧の満ちる、暗い森の奥。そこにひっそりと、小さな村がある。その村の住人は誰も老いず、誰も死なず。静かに密やかに、永遠の時を生きている。
「〝はじまりのイヴ〟は、その名の通り、このあたりのヴァンパイヤの始祖だ。誰に血を与えられるでもなく、誰に血を奪われるでもなく、自らの力でヴァンパイヤに生まれ変わった者。……その彼女について、私に血を分けたヴァンパイヤが、こんなことを言っていたんです」
曰く、〝始まりのイヴ〟はその身をヴァンパイヤとして生まれ変わらせた時、神からヴァンパイヤのすべての啓示を受けた。彼女はヴァンパイヤの始祖であると同時に、叡智を司る知識の女神。ヴァンパイヤの生と死、その終わりに至るまで、すべてを知る者だと。
「すべてを、知る?」
「それって、まさか……!」
「ええ、そうです」
目を丸くして身を乗り出したステラに、ポールは大きく頷く。そして、やや興奮気味に、続きを待つステラたちにこう告げた。
「ステラさんが探す、すべてのヴァンパイヤを人間に戻す方法。〝始まりのイヴ〟なら、その術をも知っているかもしれません」
ステラは、爽やかな風が心の中を駆け抜けて、目の前に広がっていた雲が晴れていくような心地がした。
――ずっとずっと、心の奥底、胸の中の1番大切な場所で信じてきた。
ヴァンパイヤを人間に戻す方法はどこかにある。ノクスの悲しみや苦しみを少しでも軽くする術は、きっと存在すると。
たとえ周りが無理だと言ったって、本当はノクスもとうの昔に諦めていたって。自分だけは諦めない、絶望しない。皆の瞳に諦めが宿るほど、自分だけは信じて胸に火を灯そうと、そう心に決めてきた。
その想いに、ついに道筋が応えてくれた。
「すごいわ、ノクス!! やっと、私たちの願いが……」
興奮に頬を紅潮させて、ステラはノクスを振り返る。けれども、その声は途切れた。
背高のノクスに、強く抱きしめられたからだ。
「の、ノクス?」
ぎゅうと。効果音がつきそうなほど強く腕を回され、ステラはドギマギと幼馴染の様子を伺う。大好きなノクスに抱きしめられるのは大歓迎だが、こんな風に有無を言わさず抱き寄せられるのは初めてだ。
もしかしてこのノクスは、自分が生み出した都合の良い妄想、もしくは夢の中だろうか。そんな風にステラが自分を疑い出した頃、消え入りそうな声でノクスが呟いた。
「いいのかな」
「へ?」
「俺は半分ヴァンパイヤで、完全に人間じゃなくなるまで、あと少ししかなくて。ヴァンパイヤが人間に戻った前例なんかないし、"始まりのイヴ"が本当に答えなのかもわからない。……それでも、信じていいのかな。まだ夢を見ても、――君を、ステラを好きでいても、いいのかな」
ステラは目を見開いた。
それから軽く笑って、ノクスの背中に手を回した。
――人間でもヴァンパイヤでも、ノクスはノクスだよ。そう言ってしまうことは簡単だけど、きっとその答えは逃げだ。ノクスの本当の痛みから身を逸らした、優しい欺瞞。
だからステラは前を向く。空気も読まずに。不可能だと、いつまでも夢を見るなと緩やかに諭してくる諦観を、毅然と無視をし。目には希望の光を宿して堂々と。
「当たり前でしょ?」
身体は大きくなったのに、心はいつまでも、ひとりぼっちになってしまったあの時のまま。そんな幼馴染を丸ごと受け止めるように、ステラは笑う。
「だって私、ノクスを大好きなんだもの!」
これは、ひとりの少女が夢を叶える物語。
そして、ひとりの少年が救われるまでの物語である。
第一部完!お付き合いありがとうございました!
第二部でいつか戻ってきます!




