1.
朝靄はいつしか消えてなくなり、晩夏の日差しが木漏れ日となって降り注ぐ。
その下で、リリア、そして再びポールと名乗ることを決めたヴァンパイヤが、岩陰にある小さな墓に手を合わせている。
それを少し離れた木の麓から見守りながら、まだ黒竜姿のロアンがぶおんと大きな尻尾を振った。
「いやー。今回のオレ、頑張ったよ。この姿で村まで行って帰ってきたの、ほんとえらいと思うんだよね。もっと褒めてもらってもいいんじゃないかな」
「……今更ですけど、その姿。早朝とはいえ竜が堂々と空を飛んでいたら、さすがに目立つのではないですか?」
「だいじょーぶ、だいじょうぶ! 東の森はちょうど屋敷の裏側で村の人からは見えづらいし、仮にターニャさんとかに見られたとしても幻だと思って流してくれるわよ」
「そんな都合のいい――いや。竜ですしね。俺が同じ立場なら、誰かに言うより先に自分の正気を疑いますね」
「そうそう、そんなもんだって。というわけで、ミッションコンプリート! 黒竜スタイル解除、いえーい、ドロン!」
軽快な掛け声と共に、黒く凛々しい竜の姿がリボンのようにほどける。次の瞬間、ちまっと小さな体のハリネズミが、ぽん!と宙に浮く。ロアンはそのまま、ちくちくの背中が逆立たないようにして、器用にステラの手のひらの上に着地した。
「ふぃー。落ち着くわー。これで何もかももと通りだー」
「おかえり、ロアンさん。頑張ってくれてありがとうね。よしよし」
「あ、ステラちゃん。そこ、きもちいい。ひゃは。ちょっとこそばゆいけど」
ふわふわのお腹をこしょこしょと指の腹で掻くと、短い脚をチマチマと揺らしてハリネズミが喜ぶ。それがあまりに可愛くてステラは夢中になりかけるが、横からひょいとノクスがロアンを奪ってしまった。
「お遊びはそこまでですよ。一応事件は解決しましたけれども、まだすべてのことに話がついたわけではないんですから」
「えー。いいじゃない。ノクスのケチ。ロアンさんを返してよ」
「ダメです。この人がお嬢さまの近くにいたら話が進まなそうなので、俺が没収します」
「ケチ―!」
ぶーぶー膨れるステラには耳を貸さず、ノクスはロアンを自分の肩に乗せる。
――ちなみに、ロアンが「言っちゃえばいいのに。お嬢さまがロアンと遊んでいると、俺が嫉妬してしまうから無理ですって」と耳元で囁いたのに対し、ノクスが絶対零度の眼差しで睨んで応戦していたのだが、ステラは気が付かなかった。
そんな風に戯れていると、本物のポール・ラプラント、そしてこの地でヴァンパイヤ化したジェフリー・ラプラントに手を合わせ終えたふたりが、ステラたちの下に戻ってきた。
リリアはもう泣いてはいないし、ポールもステラたちが良く知る、理知的で穏やかな雰囲気に戻っている。寄り添うようにやってきたふたりのうち、ポールが代表してステラたちに微笑んだ。
「最後にお時間をいただきありがとうございました。……もう思い残すことはありません。ハンターとして、如何様にも処分を下してください」
「おじさま……っ」
理解はできても、覚悟までは決められなかったのだろう。瞳を揺らして縋りかけるリリアを宥めるように、ポールが優しく頭に手を乗せた。
「言っただろう。僕はヴァンパイヤだ。本来君たち人間とは一緒に生きられない。それに僕は、自分のしてしまったことを償わなければならないんだ」
「……はい」
何か言いたげに身を乗り出したリリアだが、最終的には悲しげに瞼を伏せて下がった。ホッとしたように表情を緩めてから、改めてポールはステラたちに向き合う。
「ステラ・ハーカーさん。ノクス・ウェルゲーツくん。最後にリリアと会わせてくださったことに、心からの感謝を。おふたりに、喜んでこの身を委ねます」
ライトブラウンの髪が揺れる下、穏やかな緑の瞳がこちらを見下ろしている。
それを正面から受け止めながら、ステラは一歩踏み出した。
「ポールさん。これだけははっきりさせておきたいことがあるの」
「もはや逃げ隠れいたしません。なんでも正直に答えましょう」
「その宣言、信じるわよ」
明るいライムグリーンの瞳が、強い光をたたえてきらりと輝く。凛とした眼差しでポールを見つめ、ステラはぱしりと言い切った。
「あなたはジェフリーさんを襲ってなんかいない。あれは不幸な事故だったのね」
「えっ!?」
この場にいる者の中で、ロアンだけが驚いて声をあげた。ポールは悲しげに目を伏せただけだし、ノクスは静かに先を待っている。……正確に言えば、リリアだけは「あのときの、しゃべるハリネズミさん……?」と動揺を見せたが、理由は全く関係ないだろう。
誰一人として驚かない彼らに、ロアンは鼻をぴくぴくとさせて反論した。
「いや、みんな反応薄! ポールさんがジェフリーさんを襲っていないってどういうこと? ジェフリーさんは間違いなくグールになっていたでしょ? まさか、まだほかにヴァンパイヤがこの村にいるっていうの?」
「いいえ。ジェフリーさんをヴァンパイヤにしたのはポールさんよ」
「だったら、襲っていないっていうのは……?」
「前提が違ったんですよ」
ステラに代わり、ノクスが後を引き継ぐ。腕を組んで、ノクスは淡々と先を続けた。
「俺たちは当初、正体を見破られたポールさんが、口封じのためにジェフリーさんを襲い殺してしまったのだと思っていました。けれども逆だったんです。彼はジェフリーさんの命を救おうとして、不幸にも彼をグール化させてしまったんですよ」
「ええ……?」
「お二人の仰る通りです」
目を伏せたまま、ポールはぽつりぽつりと真実を語り出す。その眼差しは、どこか悔しげであった。
「……先ほど話した内容は、少し脚色をしていました。私が崖上に到着したとき、ちょうどジェフリーも崖を上って戻ってきたところでした」
ある意味、最悪のタイミングで鉢合わせたと言えるだろう。ジェフリーは真実を知ったうえで取り乱しながら屋敷に戻ろうとするところ。そこに、疑惑の相手であるポールが待ち受けていた。
足場の悪い最悪の場所で、ジェフリー・ラプラントはパニックに陥った。
「11年前の真相について、ジェフリーに詰問されたのは同じです。ですが、私が弁明する間もなくジェフリーはその場を逃げ出そうとし……足を滑らせました」
そして彼は、崖下に落ちた。11年前にポール・ラプラントの命を奪ったのと同じ、大岩に不幸にも頭を打ち付けて。
「あとはご想像の通りですよ。ヴァンパイヤの身体能力をもってすれば、ジェフリーを街に連れて帰ることは出来ました。ですが医者に見せたところで、彼は救えなかった。……愚かにも私は、ジェフリーを同族に変えることで、彼を救おうとしたのです」
「いやいやいや! それっておかしくない? ジェフリーさんに血を与えたってことでしょ?」
ロアンが困惑するのも無理はない。他人に変身できるという鮮血魔術もさることながら、ノクスと交戦したときの動きの俊敏さ。あれほどの強さを見せつけておきながら、ポールのヴァンパイヤの等級が低いなんてことはありえない。
「君、間違いなく血が濃い、下手したら上級クラスのヴァンパイヤでしょ? なのに血を分けた相手がグールにまで落ちちゃうなんて、ちょっと考えられないよ」
「仰る通り、ポールさんが万全の状態でしたら、考えられない事態でしたね」
「万全の状態だったら……?」
考え込んだロアンが「あっ!」と叫ぶ。それに、ステラも頷いた。
「そう。ポールさんは11年間、獣の血だけで凌いできた。そのせいで、ヴァンパイヤとしてはひどく弱ってしまったのよ」




