4.
「ジェフリーが戻ってきたとき、初めは警戒しました。彼は早くに家を出たといえ、本物のポールとは血が繋がっています。加えて前回、彼とポールの関係を掴み切る前に、ジェフリーは村を出て行ってしまいました」
だが心配に反して、ジェフリーが偽ポールを疑うことはなかった。兄の違和感に気づく間もないほど、彼はリリアにアプローチするので忙しかったのである。
だからポールも安心していた。一緒にいるうちにジェフリーとの距離感も掴めてきたし、このまま穏便に、正体に気づかれることなく済むだろうと。
けれども、運命の悪戯が、事態を思わぬ方向へと転ばせる。きっかけは本当に、本当に些細なことだった。
「ジェフリーはどうにか、リリアの気を惹きたかったのでしょう。ある日、私は彼に聞かれました」
"なあ、兄さん。俺の記憶が正しければ、今度リリアの誕生日だろ。彼女は何をもらったら喜ぶかな。何かいいアイディアはない?"
「私は返事に窮しました。リリアは欲のない娘ですし、そもそもジェフリーに協力するつもりもさらさらありませんでしたからね」
それで答えをはぐらかしていると、ジェフリーから言い出したのだ。リリアがよく大事そうに眺めているしおり。あれは、11年前に一緒に森に入った時に摘んで帰った、鈴百合の花だろうかと。
「私がそうだと答えると、ジェフリーは何やら考え込んだ様子でした。思えばあの時、この結末に向けて道は決したのでしょう」
そして事件当日。ジェフリーは酒場に行くと言って、いつもの通り屋敷を出て行った。特に不審を抱かず、ポールもそれを見送った。
嫌な予感がしたのは、その後だ。
"おじさま……その。鈴百合のしおりを、どこかで見かけませんでしたか?"
"あれかい? いや。いつも日記に挟んで使っているよね。自分の部屋の机の周りか、本棚の近くには落ちてなかったのかい?"
"いえ……。たしかに、昨晩まではあったはずなのに"
もう一度探してみますと。表情を曇らせたまま、リリアは立ち去って行った。その時になって初めて、ポールは嫌な胸騒ぎを覚えた。
「勘違いかもしれない。いや。仮にジェフリーがあの場所に行ったとして、本物のポールの墓に気づくわけがない。--そう、冷静に自分を宥めてみても、いてもたってもいられませんでした」
だから彼は、普段は温存しているヴァンパイヤの身体能力を解放し、いそぎ鈴百合の群生地へと向かった。
そこで彼は見つけてしまった。本物のポールが眠る、墓と呼ぶにはあまりに小さな石積みを前に、亡霊を見たかのような顔をして青ざめるジェフリーの姿を。
「……私が甘かったのです。リリアも屋敷の使用人も、村人も。誰も死にかけのポールを見ていない。だから誰も、私という存在に疑問を抱かなかった。けれどもジェフリーは違う。唯一あの日、瀕死のポール見た彼だけは、この墓が示す真実にたどり着けてしまった。その可能性に、もっと早く気づくべきだったんです」
動揺した彼は、思わず茂みを揺らしてしまい、ジェフリーに己の存在を教えてしまった。
仕方なく姿を表した彼に、ジェフリーは唇を震わせて問いかけた。
"ずっと不思議だった。崖から落ちた兄さんを見た時、俺はもう、兄さんはダメだと思ったんだ。なのに村人を連れてこの場所に戻った時、あんたは死にかけには見えなかった……。よかったと思った。奇跡が起きて、神様が兄さんを助けてくれたんだと喜んでいたんだ。けど、そうじゃなかったのか……?"
"ジェフリー。落ち着いて話を聞いてくれ、頼む……!"
"その顔と声で、俺を呼ぶな!!"
悲鳴に近い声に『彼』は動けなくなった。金縛りにあったように固まる『彼』に、ジェフリーは懐から取り出したナイフを突き出した。
"あんたは誰だ? その土の下に眠るのが本当の兄さんなのか? だったら、どうしてあんたが兄さんの顔をしているんだ?"
声が出てこない。何から話せば、どう伝えればこの場をおさめられるのか、検討がつかない。
血の気を失い凍りつく『彼』に、ジェフリーは錯乱した様子でナイフを振りかざした。
"この、化け物め----!"
「だから殺したんです」
朝日を靄が覆い隠し、曇天のような重苦しさが崖下に充ちる。
俯き、表情を奥に隠したまま、初めてその声に自嘲的な響きをのせて『ポール』は告白する。
「ジェフリーに正体を見抜かれたのは、あの村に潜伏するのに不都合でしたからね。まさか、死体がグール化するとは思いませんでしたよ。それもよりによって、あなた方ハンターの注意を引く騒ぎを起こすだなんて」
「……本当に? あなたは間違いなく、ジェフリーさんを手にかけたの?」
「そう言ったではありませんか」
ハッと乾いた笑いを漏らして『彼』は歪んだ笑みを浮かべた。それはステラの知る『ポール』のものではなく、リリアが愛した『彼』のものでもなかった。
「最後まで迷惑な男でしたよ。大人しく土に還ってくれれば、まだ可愛げもあったものを。あなた方の足下に眠る、本物のポール・ラプラントのようにね!」
「私が知るあなたは、そんなことをしない!」
思わず叫び返せば、『彼』はびくりと目を瞠った。探るような眼差しに、ステラは必死に訴えかける。
「リリアさんが信じたあなたも、きっと同じです。……あなたがリスター村で過ごした時間の全てが、嘘だったとは思えません。本当に、ジェフリーさんを殺めたんですか? 何か、まだ私たちに隠していることがあるんじゃないんですか?」
「しつこいですよ!」
叫んだ『ポール』が地面を蹴って飛び出すのと、ノクスが間に割って入るのとがほぼ同時だった。
ガキンと金属がぶつかり合うような音が響いて、衝撃波が空気を揺さぶる。風に暴れる髪を押さえて前を見れば、まるで刃のような形に変形した『ポール』の腕と、ノクスの青の荊棘がギチギチと火花を散らしていた。
「ノクス!」
「お嬢さまは下がっていてください!」
防御する荊棘を弱めることなく、ノクスが鋭い棘の合間から『ポール』を見据える。対する『ポール』も、見たこともない猟奇的な色を瞳に宿して、ノクスを見た。
「.……おや。てっきり君もハンターだと思っていたけれど、その力、ヴァンパイヤのものですか。まさか優秀なハンターの血筋として名高いウェルゲーツ家の生き残りが、僕らと同種になっていたとはね」
「俺たちとやり合うつもりですか?」
「当然ですよ。正体を知られた以上、君たちを生かしておくわけにはいかない。邪魔者は残らず排除させてもらう。ジェフリー・ラプラントの息の根を止めたように!」
鋭い刃が一閃し、青の荊棘が断ち切られる。けれども次の瞬間、次なる荊棘が地面から飛び出し、尖った切先が『ポール』に襲いかかった。
「待って! ノクス、お願い!」
「ダメだ、ステラちゃん!」
ノクスに手を伸ばしかけたステラを止めたのは、意外にもロアンだった。ステラを庇うように前に躍り出ると、毛を逆立てて『ポール』を威嚇する。
「車椅子生活を貫いてきたのは、体力を温存するためだったんだ。今の彼は、ヴァンパイヤの力をすべて解放している。……この迫力、おそらく本来の実力は、ウォル爺さんとタイマン張れるくらいだよ。手加減してやれるような相手じゃない!」
「けど!」
「ロアンさんの言う通りです!」
こちらには目を向けず、声だけでノクスも同調する。その隙にも、ノクスの青の荊棘が幾本も伸び、『ポール』と一進一退の攻防を繰り広げている。
「ハンターとヴァンパイヤの関係は、本来は喰うか喰われるかというもの。こうして戦闘が始まってしまった以上、彼はここで仕留めます!」
「交戦中に相談事とは余裕ですね!」
一気に間合いを詰めた『ポール』が、大きく腕を薙ぎ払う。とっさに防御に徹した青の荊棘を分断し、鋭い切っ先がノクスの頬を掠った。
「っ、ちっ!」
「ノクス!!!!」
悲鳴をあげるステラの視線の先で、舌打ちをしながらノクスが跳び退る。
絹のように滑らかな頬に赤い線が走り、そこから血がにじみ出る。頬を拭いながら顔をしかめるノクスをあざ笑い、『ポール』は硬い刃と化した己の腕を見せつけた。
「私を止めたいなら、全力でかかってきなさい。ヴァンパイヤを殺すのが、あなた方ハンターの役目でしょう!」
――その挑発するような物言いに、最後のピースがかちりとハマる心地がした。
ジェフリー・ラプラントがヴァンパイヤになった理由。正体を暴かれたあとも、『ポール』がリスター村に留まった理由。ステラたちをハンターだと疑いながらも、屋敷に招き入れた理由。今ここで、逃げ出さずに姿を見せた理由。
霞がかっていた視界が、ようやく開けていく心地がする。なんてことはない。わかってしまえば、すべての謎はひとつの答えに帰着する。
ならば、この状態を打開する道はひとつしかない。彼が望む、あまりに悲しい結末を変えるには。
「ロアンさん、飛んで! 私を乗せて、最速で!」
いまだ牙を見せて警戒するロアンに呼び掛ければ、彼はギョッとしたように鼻面を向けた。
「ステラちゃんを乗せるって、まさかアレ!? あのフォームは安定しないし、なにより目立ちすぎるよ!?」
「すぐに行かなきゃならないところがあるの。早く!」
「え〜〜〜?」
目の前の戦闘も忘れたように、ロアンはしばし尻尾をキュッとお腹につけて逡巡する。やがて「ええい、ままよ!」と叫ぶと、しゅるりと糸が解けるように変身を始めた。
「どうなっても知らないからね!」
――ロアンの変身魔術は、『ポール』と違って自由だ。人間以外の動物であればなんでも、頭の中に鮮明にイメージすることさえすれば、姿を変えることができる。
だが、逆に言えばロアンの変身魔術は不安定だ。ようは想像の産物なので、よく知らない動物をベースにすると途中で変身が解けてしまったりする。
だから詳細を思い浮かべるのが難しい――それも伝説上の生き物に変身するのは、周囲を楽しませるための戯れか、よほどの緊急事態くらいだ。
「ガアアアアアッッッ!!」
空気を震わす咆哮が、崖下に響いた。
バサリと大きな翼が広がり、風圧が木々を揺らす。ゴツゴツした鱗に覆われた長い首をもたげた姿を見た時、『ポール』は一瞬何もかもを忘れた表情で目を丸くした。
「まさか、竜!?」
「ロアンさん、お願い!」
「あいよ!」
ステラがひらりと背に飛び乗ったのを合図に、ロアンがバサリと大きな翼を振るう。その一振りで黒い竜の巨体が持ち上がり、あっという間に木々の遥か上へと飛翔した。
「んで!? オレはどこに向かえばいい!?」
鋭い牙の合間から、ロアンの声が漏れる。こちらを見上げるノクス、そして驚きに目を見開く『ポール』を見つめながら、ステラはロアンの硬い首にしがみつく。
そうして行き先を告げると、ロアンは金色の瞳を瞠って驚いた。
「……OK。なんだかよくわかんないけど、了解したよ!」
そう長い尾を一振りしてから、ロアンが変身した黒い竜は、ステラを乗せたままその場を飛び去った。




