2.
「ヴァンパイヤはあなただったんですね、ポールさん」
便宜上、彼のことは『ポール』と呼んだ。けれども彼は、ステラの呼びかけに答えなかった。
ここ数日――それどころかステラの記憶があるうちは常に車椅子を使っていたのなど嘘のように、彼はひらりと崖に身を躍らせると、草花のうえに着地する。
ロアンは毛を逆立てて威嚇し、ノクスも身を低くして警戒する。しかし当の『ポール』は、不思議と落ち着いた様子でステラを見た。
「いつからですか? なぜ、私が本物のポール・ラプラントでないとわかったんです?」
「確信を持ったのは、このお墓を見てからです。けれど、あなたに疑惑を抱いたのは昨晩の襲撃事件でした」
「……やっぱりそうか。余計なことはするもんじゃないな」
思い当たる節があったのだろう。『ポール』は苦笑すると、諦観を滲ませて首を振った。
昨晩。ステラがリリアと共に夜の庭に出ている隙に、ポールがヴァンパイヤに魅了をかけられ、血を吸われた事件。あれには、不自然な点があった。
「ハンターはヴァンパイヤが魅了のスキルを発動させた時、そのヴァンパイヤがどこにいるかあらかたの場所を特定することが出来る。――これはハンターの基礎能力だけど、出来ることはそれだけじゃないの」
言うなれば、魔力の残滓というべきか。仮に魅了を使った個体がその場を後にしても、魔力の足跡のようなものが残る。
残滓は長くはもたないから10分と持たず消えてしまうが、あの時はすぐに書斎に飛び込んだから、魔力の足跡が残っていないといけなかったのだ。
けれども書斎や廊下には、それが見当たらなかった。
庭には、ステラたちに遅れて屋敷へと急ぐリリアがいたので、ヴァンパイヤが窓の外に逃げれば目撃したはずだ。だから逃げ道といえば屋敷の中なのに、魔力の残滓がない。
まさか室内のどこかに隠れているのではとも思ったが、こっそり部屋に残って隅々まで調べたロアンが、そうではないと証明してしまった。
庭には出られない。廊下にも逃げていない。室内に隠れてもいない。
では、ポールを襲ったヴァンパイヤはどこに消えたのか。
「考えられる答えはひとつだけ。ジェフリーさんの事件と同じよ。あの時、書斎には被害者も加害者もいなかった。あなたが自作自演で、襲われたフリをしただけだったのよ」
ステラがまっすぐに見据えて告げれば、ポールはぐっと息を呑んだ。やがて彼は、昨晩手当した首の包帯をしゅるりと解く。
露わになった首筋には、事件の後に見られた青痣や刺し傷はない。
当然だ。昨夜の騒ぎは彼が偽装したもので、首の怪我は姿形を変える鮮血魔術を応用してつけたフェイクだったのだろうから。
「……なるほど」
ポールはノクスを見て、ロアンを見て、それからステラに視線を戻した。
「ヴァンパイヤハンター夫妻、ブラム・ウェルゲーツとミア・ウェルゲーツの跡は、二人の親友の子であるステラ・ハーカーとノクス・ウェルゲーツが継いだ。噂は本当だったんですね」
「!」
ポールの言葉に、ステラたちは顔を見合わせた。彼は、ふたりがヴァンパイヤハンターであることを察した上で、自分たちを屋敷に招き入れたということか。
驚愕を露わにするふたりに、ポールはゆっくりと真実を切り出した。
「ご推察の通りです。私は、本当のポール・ラプラントではない。彼と入れ替わったのは11年前の夏。まさにこの場所でした」
ポールは--『彼』は。かつての光景を蘇らせようとするように、小さな墓を見た。
まだ『彼』が、ポール・ラプラントの名を借りる前。
『彼』は何者でもなく、この森を彷徨っていた。
もともとは、リスター村から馬車から1日ほどの距離にある大きな街に『彼』はいた。そこが出身地というわけではなかったけれど、目立たないよう人々に紛れて暮らすのに、大きな街の方が都合が良かった。
そこで『彼』は、何度か顔を変えた。『彼』の鮮血魔術は、血を吸った相手に外見を変えられるというもの。加えて大きな街には、孤独に消えるように亡くなる人間がそこそこいる。
そういう人間の死に際に血を吸い、その者に成り代わって『彼』は暮らした。そうして、100年近くの時を過ごしてきた。
だが、11年前にミスをした。孤独だと思っていた老人に、孫娘がいたのだ。『彼』は正体を見破られる前に再び姿を変え、大事をとって街も後にした。
いくつかの村を、旅人として渡り歩いた。けれども居を据えるには人々の関係が密接すぎて、目立たず中に紛れるのは難しかった。
そうして『彼』は、あの日ここに辿り着いた。
「通りを歩いている時に、風に紛れて仄かな血の匂いを感じました。その匂いにつられて、私は森に足を踏み入れた。そして、鈴百合の中に倒れる男を見つけたのです」
一目見て、手遅れなのがわかった。
目の前にある崖から落ち、不幸にも岩に体を打ちつけたのだろう。足は不自然な方向に曲がり、頭からも血を流している。顔は青白く、既に大量の血を失った後のようだ。
誰も助けはいなかったのだろうか。不幸な事故に、『彼』は顔を顰めた。
身なりは良く、名のある家の人間であることが見て取れた。よく見ると、手に鈴百合の花を握りしめている。これを摘みにきて、怪我をしたのかもしれない。
なんにせよ、この男はもう助からない。吸血により命を奪うやり方は好まないが、ここまで瀕死であれば変わらないだろう。
そう考えて、『彼』は久方ぶりに渇きを癒そうと男に近づいた--
その時。
"り………りあ……"
掠れた声が、耳を打った。
もうまともに目が見えないだろうに、男は『彼』を見つめていた。その瞳に映るのは幻影が、願望か。男は『彼』に、震える手で鈴百合を差し出した。
『彼』が鈴百合を受け取ると、男は静かに息を引き取った。
「私は姿形を変えるだけではなく、血を飲むことで相手の思念を読むことができます。その力で、私は知りました。彼がポール・ラプラントという近くの村の長であること。彼には引き取ったばかりの養女がいること。彼がここにきたのは、その養女に花を贈るためだったということを」
それだけの情報があれば十分だった。
『彼』は目の前の男に成り代わることを決め、遺体を岩陰に埋めた。すべてを隠し終えたとき、ちょうどジェフリーが村人を連れて戻ってきた。
そうして『彼』は、ポールとして救護された。
「幸い怪我人として運び込まれたことで、怪しまれずに周囲の関係性を探り『ポール』として馴染むことは容易でした。あとはご想像の通りですよ。私はポール・ラプラントとして、あの村で11年を過ごしました」
「その間、一度も正体を見破られなかったということ?」
「リリアや、屋敷の面々を見たでしょう。皆、私が本物のポールだと微塵も疑っていないのです」
微笑んで答えたポールに、ロアンが純粋に「すごいな」と呟いた。
それには答えず、ポールは初めて表情に苦渋を滲ませ、ステラの足元を見つめた。
「すべては順調でした。順調なはずだったのです。その場所でヴァンパイヤ化した、彼でさえも」
「……ジェフリー・ラプラント」
「そうです。あのひとが、私の正体に気がつかなければ……いえ。偶然にもあの日、この場所に来ようなどと彼が考えなければ、あるいは」
そうして彼は語り出す。
あの日の出来事を。




