2.
斜面を下るのは難しくなかった。ノクスが青の荊棘を垂らし、それに乗る形で下まで降りたからだ。
「ここが……」
「鈴百合の群生地。11年前、ポールさんがリリアさんのため、花を摘みにきた場所でしょうね」
ステラの後を引き継いで、ノクスが当たりを見回す。
最盛期は過ぎてしまったようだが、まだぎりぎり残る花があったか。青々とした葉が茂る合間に、リリアのしおりと同じ、小さくて可愛らしい鈴型の花がちらほらと揺れる。
それはまるで妖精が顔をのぞかせて遊んでいるようで、こんな時でなければステラは顔を綻ばせていたに違いない。
「リリアさんの話だと、この崖を降りずに東側にしばらく登ると、街へと続く街道へ当たるそうですね」
「さっき歩いてきたあたりも、遠い昔には街に急ぎの使いを送るときの抜け道があったとか。もっとも、使われなさすぎてすっかり自然に戻っちゃってるけど」
言いながら、ステラは急斜面を見上げる。
リリアによれば、11年前にポールが怪我を負ったのはこの場所だ。鈴百合を摘んでさあ戻ろうという時に、斜面で足を滑らせ落ちてしまったのだ。
急斜面を降りてすぐの場所には、大きな岩がいくつか地面から顔を出している。落下したポールは運悪く岩に体を打ちつけてしまった。
たしかに、この崖を怪我人を担いで登るのは不可能だ。同行したジェフリーが、助けを呼ぶため一度村に戻ったのは正しい判断と言える。
そう。不自然な点はない。
仮に真実にたどり着ける者がいるとしたら、ステラたちのように闇世界に通じる者か、当日ここにいた者だけだ。
ノクスが上衣の中から、小さな布切れを取り出す。ヴァンパイヤ化したジェフリーを弔ったときに、風化せずに残った彼の服だ。その端は、血によって黒く変色している。
布切れをロアンに差し出し、ノクスは言った。
「鈴百合の香りで、俺では鼻が効きません。お願いできますか」
「おっけー、任せて!」
布切れをくんくんと嗅いでから、ハリネズミが「えいっ」とステラの肩からジャンプする。
次の瞬間、くるんと空中で回ったロアンはもふもふ毛並みの白犬になって着地した。
「やっぱり探し物するときはこの姿だよねー! よし、さっそく手がかり、もとい匂いがかり発見! いっくぞー!」
言うがいなや、ロアンは草花の中に鼻を突っ込んでくるくる歩き出した。しばらくそうやって辺りを確かめていたが、やがて確信を持って走り出した。
その後を追いかけていくと、ロアンは原っぱの端にある大きな岩へまっすぐ向かっていく。その後ろにくるりと回り込んだところで、ロアンはぴたりと足を止めた。
「あったよ、ステラちゃん。ここだ」
「……うん」
意を決して、ステラは岩の後ろを覗き込んだ。
そして、息を呑んだ。
「ノクス君の推測通りだ。ジェフリー・ラプラントはここでヴァンパイヤに変わり、森の中に姿を消した。それだけじゃない。この場所こそが、すべての始まりだったんだ」
岩の裏に隠れるように、小さな墓があった。
墓といっても、わずかに盛土がしてあるのと、その上に石が置いてあるだけだ。かろうじて墓だとわかったのは、供物と見られる鈴百合の花と、小さな瓶が置いてあるからだ。
その瓶の中には、星屑のような金平糖が入っている。
「ああ……!」
思わずうめいて、ステラはしゃがみ込んでしまいそうになる。かろうじてノクスに支えられたが、ステラのライトグリーンの瞳は金平糖に釘付けのまま離せなかった。
“おじさま、金平糖が好きなんです”
"そんなことばかりしてるから、お腹がいっぱいになって夕飯があまり入らないこともあったりして”
“おじさまが足腰を痛めたのも、東側の森で怪我をされたのが原因なんです”
"だからどうか、おじさまを奪わせないで"
「お嬢さま」
肩を抱くノクスの手に力が入り、ステラは我に返った。隣を見れば、泣きたくなるほどに蒼く澄んだ瞳が、気遣わしげにステラを覗き込んでいた。
「お嬢さま、大丈夫ですか?」
「……うん。ありがとう、ノクス」
ぎこちなく笑みを浮かべ、ステラは頷く。
信じられなくても、信じたくなくとも。これが真実であれば、目を逸らすことは許されない。
それが、ステラたちハンターの役目だから。
深呼吸をひとつしてから、ステラは目の前の墓を直視した。
つまり、改めて整理するなら。
「11年前のリリアさんの誕生日。崖から滑り落ちた本物のポールさんは、ここで亡くなってしまった」
以来、ポール・ラプラントはここに眠る。
ということは、現在屋敷にいる『彼』は。
「――見つけてしまったんですね」
「っ、下がって!」
不意に崖の上から降ってきた声に、ノクスが切長の目を見開き、ステラを庇うように前に出た。
さらりとした銀髪を耳にかけ、ステラは崖を見上げた。車椅子ではなく、2本の足で立ち。まだうっすらと朝靄の残る木々を背負い、『彼』はそこにいた。
「ヴァンパイヤはあなただったんですね、ポールさん」
ポール――否。
ポール・ラプラントの姿をしたヴァンパイヤは、ただただ無表情にステラたちを見下ろしていた。




