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吸血従者とハンターお嬢さま ~バルトリー伯爵領のかぐわしき事件簿~  作者: 枢 呂紅
5.始まりの場所

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25/34

1.



 ツンと痛いくらいに澄んだ空気が、肺を満たす。


 風がカーテンを揺らすのも許さない静謐の中、ポール・ラプラントは目を覚ました。


 今朝は季節に似合わず、随分と冷えるらしい。


 窓の外、庭の木々の合間を漂う朝靄を眺め、そんなことを思う。


 身体の調子は、幾分かマシになっている。昨夜は最悪だったが、一晩睡眠を取りいくらか回復したのだろう。


 だが、本調子には程遠い。――いや。11年前から彼は、軋む体と折れそうな心との戦いだった。それでも逃げ出さなかったのは、彼女の笑顔があったから。


「リリア」


 大切に、大事に、その名を呼ぶ。


 昨夜は泣かせてしまった。怖がらせてしまった。


 これまで表情にはあまり出してこなかったが、どんなにか彼女は不安だろう。村にたゆたう恐れの影に、気味の悪さを覚えてきただろう。


 もう、それも終わりにしなければ。


 これは、彼女の幸せを守るための戦い。誰もが当たり前に享受するはずの平穏を壊さないために、彼は抗う。


 指を一本ずつ折り曲げて、祈るように唇に押し当てる。


 吐き出した息は、ひやりとした朝に溶けていった。



 




 ぱきり、ぱきりと。


 時折、足の下で折れる小枝の音色が、朝靄満ちる森の中に響く。


 先導をするのはノクス。後ろを歩くのはステラ。


 ステラの肩にはハリネズミ姿のロアンがいるけれども、基本的にはふたりだけの小さな道中だ。


「よかったのかな。誰にも言わず、こんな早朝に森に入ってしまって」


 踏み出す足が重くて、ついそんなことを口にしてしまう。


 そんなステラの心情を察してか、ノクスはちらりと後ろを振り返っただけで、敢えてにべもなく答えた。


「誰かに伝えたら意味がないでしょう。これは極秘捜査で、そのために人目のつかない早朝にでてきたのですから」


「ステラちゃんにそんな言い方すんなー。もっと女の子を労われよー。ぶーぶー」


 ステラの肩の上で、小さな前脚を振り上げロアンが抗議する。それにはくるりと振り返って、ノクスはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。


「いいでしょう。では、ロアンさんは俺が運びますよ。お疲れのお嬢さまの重荷になってはいけませんから」


「やだ! ノクス君、絶対オレのことぞんざいに扱うじゃん!」


「とんでもない。青の荊棘でぐるぐる巻にして、万が一にも振り落とされないようにして、厳重に丁重に扱いますよ」


「荊棘のトゲトゲで串刺しにするつもりだな! チクチクなら負けてないぞー。ほーれ、チクチク!」


 針を逆立てて、ぷりぷりと体を振りロアンが威嚇する。ノクスは呆れたように目を細めると、「付き合ってられません」と肩を竦めて前を向く。


 それから再び、小枝の折れる音だけがたまに響いた。


 ここはリスター村の東側の村。場所によっては足場が悪いから、森に入るときは必ず声をかけて欲しいと事前に言われていた区域だ。


 三人――見た目上は、二人と一匹――は、朝日が昇る少し前にラプラントの屋敷を抜け出し、密かにこの森に入った。


 たしかにところどころ急な下りや、草木に掴まらなければならない場所もあったが、そこはノクスの青の荊棘でなんとかなった。おかげで薄暗い中でも、なんなく歩みを進められている。


 だから足が重いのは、単に心理的なものだ。


「ステラちゃんが気が進まないのも、無理はないさ」


 ふと、肩の上でロアンがそんなことを言った。


「当たり前の日常が壊れる。信じていた幸せが崩れ去る。それは時に些細なきっかけで訪れるものだけど、好んで引き金を引く人間はいない。痛みを知っているふたりなら、尚のことそうだろうね」


 ステラは思わず、前を見た。


 背中を見せたまま、ノクスは何も答えない。


 ノクスは両親を奪われ、ステラも両親を喪った。当たり前に大切な人がそばにいて、当たり前に何も考えずに笑っていられる。そんな日々は、もう戻ってこない。


 だからこそ目の前のものを守りたいと願う。『守りたい』という意思を尊重したいと思う。


 それがたとえ、誰の願いであれ。


「だけどね。ステラちゃんや、半分人間のノクス君にはピンと来ないかもしれないけどさ。ヴァンパイヤが人間のふりをするのは大変なんだよ。人間の食事は体が受け付けないし、日光の下にも長くはいられない。日々緩やかな拷問を自分に強いるようなものだよ」


 そうまでして人間であろうとしたヴァンパイヤが、ひとを殺めた。そこには、必ず何か理由がある。


「その日、一体何があったか。なぜその個体は、ひとを襲わなくてはならなかったのか。それらの真相こそが、その個体の本質を浮き彫りにする。だから君たちは、歩みを止めちゃいけないんだ」


 パキリと。小枝の折れる音が一際大きく響き、ノクスが足を止めた。


「ここですね」


 ふわりと柔らかな風が、ほのかに甘い香りを運んでくる。


 目の前にあるのは、崖と呼べなくもないほどの急斜面。ゴツゴツとした岩肌がのぞくそれを降りた先には、やや開けた平地がある。


 くるぶしに届くほどの草が生い茂るそこかしこに、白い鈴百合が揺れていた。




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