4.
ポール・ラプラントの容態は、ほどなくして落ち着いた。
血を抜かれただけあって辛そうではあったけど、チョコレートと温かな紅茶が気を落ち着けたのだろう。ベッドに積まれた枕に身を預ける彼は、困ったように微笑んだ。
「お騒がせしました、ステラ様、ノクス様。リリアも。心配をかけてすまなかったね」
「とんでもありません。ポールさんが無事でよかったですよ。ね、リリアさん?」
「ええ、ええ。本当に、びっくりしたのだから」
ベッド横の椅子に座り、リリアは再び目に涙を滲ませる。手を伸ばしてその涙を拭い、微笑むポールの瞳は温かい。
仲睦まじいふたりの姿を、ステラはじっと見つめていた。
車椅子で移動しやすいようにか、ポールの寝室は一階、書斎のすぐ隣にあった。
彼が襲われた書斎には、こっそりロアンを残してきた。今頃ロアンが、ハリネズミの小さなボディと得意の嗅覚を生かし、何か手がかりがないか調べているはずだ。
(こちらはこちらで、できることをしなくちゃね)
ステラはひとり小さく頷く。ちょうどよく、ノクスも僅かに身を乗り出した。
「落ち着いたところでさっそく申し訳ありません。ポールさん。先ほど書斎で何があったのか、可能な限り教えていただねますか」
「え、ええ。ですが。正直なところ、僕自身がよくわかっていないんです」
弱りきったように、ポールが首に手をやる。そこには清潔な白い布が当てられ、包帯で固定されている。噛まれた傷痕を、念のため消毒して手当てしたのだ。
「僕はひとりで、読み物をしていたんです。けれども気がついたら皆さんがいて、気分が悪くなっていて……」
「私たちが到着するまでに、誰かが部屋にきませんでしたか?」
「書斎に入ってすぐ、ターニャが来ました。僕が砂糖菓子を頼んでいたから。けど、彼女はすぐに退出して、それからはひとりで……待てよ」
「何か思い出せたのですか?」
ハッとしたように考え込んだポールに、思わずステラは身を乗り出す。すると彼は、気圧されたように瞬きした。
「い、いえ。そこまでのことでは……。ただ、書斎の扉が開いた気がするんです。それで後ろを振り向いて……だめだ。そのあとはもう覚えていません」
ポールが申し訳なさそうに首を振るが、無理もない。ヴァンパイヤの魅了の効果とは、そういうものだ。ヴァンパイヤに襲われる前後の記憶が曖昧になり、当然彼らのことはカケラと思い出せない。
それこそ、ヴァンパイヤが伝説の中だけの存在だと、いまだに思われている理由だ。
キリがいいと判断したのだろう。ノクスが立ち上がった。
「お話しいただきありがとうございます。今夜はもう休んでください。――お嬢さま。俺は、」
「うん、お願い。気をつけてね」
皆まで言わせず答えると、ノクスは軽く微笑んだ。それから、踵を返して足早に部屋を出ていく。
その背中を、ポールが心配そうに見つめていた。
「ステラ様、ノクス様はどこへ?」
「念のため、屋敷のまわりをぐるっと見てくるだけですよ。ほら。ポールさんを襲った誰かが、まだその辺に隠れているかもしれませんし」
「そうですか……」
憂いを帯びた表示で、ポールが目を伏せる。やがて彼は、消え入りそうな声でぽつりと呟いた。
「ヴァンパイヤ探し、ですか」
その一言に、ステラ、そしてリリアも息を呑んだ。
慌てて問い返そうとするが、ポールは急速に襲った睡魔に抗えないようであった。
「申し訳ありません、ステラ様。……つづきは、また……明日に……」
なんのかんので疲れていたのだろう。夢に吸い込まれるように、ポールはそのまま穏やかな寝息を立てた。
だからステラたちも、彼の寝室を後にすることにした。
ぱたりと戸が閉まると同時に、いまだ心配げに扉を見つめるリリアに、ステラは詫びた。
「リリアさん。先ほどは、不躾にごめんなさい」
「いえ。あれも、ジェフリー叔父様の事件の真相を追うためですものね」
眉を八の字にして、リリアが首を振る。
捜査のためどころか彼女を犯人として疑っていたのだが、そこには触れないでおく。おそらくリリアもそれを分かった上で、不問にしてくれたのだ。
かわりに彼女は、何か考え込むように窓に目を向けた。
――どこか儚げな横顔を見て、思う。
もしも彼女が無関係なら。彼女がただの人間で。幸いにもヴァンパイヤと関わりのない、平凡にして幸せな日々を暮らしてきたのなら。
突如、得体の知れない『異物』が世界に紛れて、不可思議な影が伸びてきて。どんなにか不安で、心細いことだろう。
けれどもリリアは、これまであまり不安の色を見せてこなかった。
それはきっと、ポール・ラプラントのおかげであり、同時に彼のためだろう。
「――ステラ様、まだ眠くはありませんか?」
まさに声をかけようとした、その時。リリアから問われ、ステラは瞬きをする。
驚くステラに、リリアは鈴百合のしおりを差し出す。
きゅっと胸の前で手を握りながら、リリアは覚悟を決めたようにこちらを見つめていた。
「少し、お時間をいただきたいんです」




