3.
キーン……と。金属を打ち鳴らしたような甲高い音色が、頭の中で響く。
途端、ステラはばっと屋敷を振り返った。
(この音、ヴァンパイヤの魅了!?)
人間の身体・思考の自由を奪い、一時的に支配下に置くヴァンパイヤの初歩魔術。それが『魅了』だ。
ヴァンパイヤハンターを目指すとき、真っ先に獲得が求められるのが魅了から己を守る保護術式だ。
これを常時発動させることで、それが自分に向けられたものであれ他者に向けられたものであれ、ヴァンパイヤが魅了を掛けた瞬間、その個体がどこにいるか大体の方角がわかるようになる。
そして今、ステラの体表を薄く覆う保護術式は、ヴァンパイヤが屋敷の中にいると告げていた。
「ステラ様、あの……?」
「ロアンさん! ステラさんと一緒にいて!」
「りょうか〜い!」
「え、ええ! ハリネズミ、が、喋ったような……?」
ぽんと馴染みのハリネズミに変身しつつ、ロアンが木から飛び降りる。とっさに手で受け止めつつ、リリアが戸惑ったように首を傾げた。
それに構う暇もなく、ステラは屋敷に向かって駆けだした。
「お嬢さま」
途中。暗がりを目立たないよう移動し、音もなくノクスが隣に降り立つ。
美しい蒼の瞳を細め、ノクスはステラに並んだ。
「どうしたのですか? その様子、まさか……」
「その、まさかよ。ヴァンパイヤの気配がしたわ。たぶん、屋敷の一階だった」
「では、リリアさんは……」
言いかけたところで、ノクスははっと口をつぐんだ。
「言っても仕方ありませんね。まずは目の前の事態に対処しなければ」
「そういうこと!」
言いながらステラは地面を蹴り、軽やかに窓を飛び越える。そのついでに、ワンピースの下に忍ばせたホルスターから拳銃を引き抜く。ひらりとスカートの裾が舞い、一瞬目を奪われたノクスは、慌てて目を逸らした。
勢いよく屋敷に飛び込んだ先は、居間だった。しゅたりと着地するステラに、食後のティータイムの後を片付けていた侍女が悲鳴をあげる。
「きゃあ!?」
床に手をつき、ステラは顔を上げた。
違う、この部屋じゃない。
体表を覆う保護術式が告げている。魅了の名残は、この部屋にはない。
「何事です? す、ステラ様!?」
「ごめんなさい!」
悲鳴を聞いて扉を開けた家政婦の隣を、ステラは駆け抜ける。家政婦のターニャは目を丸くするが、ステラの背後でノクスも同じように窓から飛び込んできたことで、ますます仰天した。
「い、一体何が……?」
「ノクス、早く!」
微かな残響が、徐々に術式を震わす。
近い。あと少しで、ヴァンパイヤに届く。
確信を込めて、ステラは小型拳銃に魔力の弾丸をこめる。
勢いを殺さず、ステラは奥の部屋の扉を跳ね開けた。
「動かないで! 無駄な抵抗はやめて……」
投降を。そう紡ごうとしたステラの唇は、そこで言葉を飲み込んだ。
そこはポール・ラプラントの書斎らしかった。
正面には庭を望める窓があり、両サイドの壁には天井にも届く本棚が置かれて、ぎっしりと書物が収められている。
車椅子のポールが動きやすいようにだろう。室内に椅子はなく、薄手のカーペットの上に机だけ置かれている。
そのカーペットにだらりと手を投げ出すようにして、ポール・ラプラントが車椅子の上で意識を失っていた。
「ポールさん……っ」
「見せてください」
追いついたノクスが、さっと中に入る。
ステラが拳銃をホルスターに戻す傍ら、ノクスはポールのもとへ歩み寄る。前に回り込んで覗き込むと、ポールの瞼は開き、どこか虚空を見つめている。
そっと首筋を確かめた彼は、形の良い眉を顰めた。
「真新しい小さな傷と、青い痣がひとつ。間違いありません。ヴァンパイヤの吸血痕です」
「でも、それじゃ……!」
「おじさま!?」
響いた悲鳴に、ステラはその先を飲み込んだ。
ステラたちを追いかけてきたのだろう。ステラが止める間もなく、リリアが部屋に飛び込む。
そんな彼女のスカートに、ぎゅむとハリネズミがしがみついていた。
(ロアンさん、とっさにハリネズミ姿で飛び出しちゃったもんね……)
大方、彼女の前で変身を解くわけにいかず、といってひとりで屋敷内へ行かせるわけにもいかずで、せめて彼女にくっついてきたのだろう。
生暖かい目で見つめていると、ロアンは気まずそうに、小さな鼻をヒクヒクとさせた。
そんなこと露知らず、リリアがポールの腕に触れる。それが引き金になったのだろう。ポールの瞳に生気が戻り、戸惑ったように瞬きした。
「リリア……? ノクス様も、皆さんどうしたのですか?」
「おじさま……っ」
涙ぐむリリアが、ポールの手を包む。それを不思議そうに眺めつつ、ポールは若干つらそうに顔を顰めた。
ステラが歩み寄ると、ノクスが場所を譲る。ありがたくそこにひざまずき、ステラはポールの顔を覗き込んだ。
「気分はどうですか? 吐き気はありませんか?」
「気分……は、正直なところ、あまり良いとは言えませんが……。一体何が? さっきまで、ひとりで本を読んでいたはずなのに……」
こっそり、ステラはノクスに目配せする。
前後の記憶が混濁しているのも、魅了をかけられた人間の症状と一致する。やはり、先程感じたヴァンパイヤの気配は、ポールが襲われた時のものだったのだ。
だが、だとすると奇妙なことがある。
まずポールが襲われた時、リリアはステラたちと一緒にいたのだから、彼女に犯行は不可能だ。加えて庭にはノクスとロアンも目を光らせていたわけで、だとすると書斎への侵入は庭に面した窓からでなく、屋敷の中から扉を通ってだろう。
つまり、犯人はポールが襲われた時、屋敷の中にいた人物。家政婦のターニャかもしれないし、侍女のひとりかもしれない。料理長という可能性もある。
(……でも、おかしいのよ。窓を開けたのはおそらくフェイク。外に逃げたと私たちに思わせて、屋敷の中に隠れたはず。だとしたら、あれがすぐに見つかるはずなのに。そもそも犯人は、どうしてこのタイミングでポールさんを……?)
「うっ……」
「おじさま!」
吸血による貧血症状だろう。ポールは目眩を堪えるように、体を丸めて呻いている。
それでステラも考えるのをやめた。今はヴァンパイヤを追うことより、目の前の傷病者のケアだ。
「少し横になった方がいいわ。リリアさん、ポールさんの寝室に案内してもらえますか? ノクスは二人について行って。私は、ターニャさんを捕まえて温かい紅茶もチョコレートを頼んでくるから!」
涙目のリリアが頷いたのを尻目に、ステラは家政婦を探して走り出したのだった。




