1.
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ノクスは引き取られる形で、ハーカー家の屋敷に居住を移した。
ヒースは、いずれノクスを連れて屋敷を離れるつもりのようだが、子供のヴァンパイヤは体が馴染むまで時間がかかるらしい。
体が長い旅に耐えられるようになるまでは、しばしハーカー家で過ごすことになったのだ。
その間、ヒースがヴァンパイヤとしてのいろはを教えてくれた。
吸血衝動の抑え方。鮮血魔術のコントロール方法。ヴァンパイヤとして出来ること、できなくなったこと。グールと中級以上のヴァンパイヤの違いなど。
特に有意義だったのは、人間の血液に代わる食料の知識だった。
「ほら。飲んでみて」
ある日、ぽいと放られた小瓶をなんとなしに開けたノクスは、立ち上る獣の匂いに「げえ」と顔をしかめた。ヴァンパイヤになって以来、嗅覚、とりわけ血液の匂いに敏感になった。そんな中で、この匂いは臭すぎる。
突然なんてものをよこすんだ。抗議を込めて睨むと、ヒースは澄ました顔のまま、なんとそれをごくりと飲んだ。
「……うげえ」
「そんな嫌そうな顔しない。獣の血の味に慣れておけば、いざというとき役に立つんだから」
口元を拭いながら、ヒースはぐいと空の瓶を突き出した。
ヴァンパイヤは、人間の血液を摂取しないと衰弱する。また、これは半分人間であるノクスには問題ないことだが、ヴァンパイヤは基本的に人間の食事は体に合わず、無理に口にしても後で吐き出してしまう。
そんな中、ヴァンパイヤが人間の血液に代わり口にできるもの。それが紅茶とチョコレート、そして獣の血だという。
もっとも、デメリットもある。まず、ヴァンパイヤはたとえ深い傷を負っても、人間の血を飲めばすぐに回復するが、獣の血ではそうはいかない。また、得られる力は人間の血に遠く及ばなく、獣の血ばかり口にしていると徐々に個体として衰えてくる。
「おまけに匂いは臭いし、腹持ちもよくない。だけど、人間の血液を入手できないときやチョコやら紅茶をも切らしたときの、急場しのぎぐらいにはなる。君も、飢えに気が狂って、人を襲うようなことはしたくないでしょ。だったら、今のうちから慣れるといいよ」
――ヒースは不思議な人物だった。
彼はノクスにとって良き師であり、ヴァンパイヤとしての諸々に精通していた。
そのくせ他者と関わることは好きではないらしく、屋敷の人間はもちろん、ウォルフレッドのようなヴァンパイヤ相手であってさえも、誰かが来ると煙のように姿を消してしまった。
「ヒースはどういうひとなの?」
ある日、ノクスは気になって、保存血液を届けに来てくれたウォルフレッドに聞いてみた。
ヒースは例によって、ウォルフレッドの気配を察した途端、姿を眩ませていた。
ノクスが目を覚ましたときはウォルフレッドと普通に会話していたし、そもそも彼はハーカー家の屋敷内を自由に歩き回れる立場のようだ。
そう頑なに、周囲を避けなくてもいいのに。
ノクスはそのように疑問に思って、ウォルフレッドに尋ねたのだ。
「ウォルフレッドさんが来ると、いつも逃げ出してしまうよね。もしかしてあの人は、ウォルフレッドさんが怖いの?」
「私は怖がられてなぞ、いませんよ。ノクス坊ちゃんは面白いことを仰いますね」
保存血液を入れた小瓶を取り出しながら、ウォルフレッドが穏やかに笑う。
血液の保存は、ウォルフレッドの鮮血魔術によるものだ。ハーカー家では代々、屋敷に仕えるヴァンパイヤのために、ハーカー家の人々や使用人たちが献血をしてきた。それをウォルフレッドの能力で保管しているのである。
きゅぽんと音を立てて小瓶の蓋を開けつつ、彼はそれをノクスに差し出した。
「ヒースは一匹狼なだけで、決して怪しい者ではありません。彼はハンターで、ブラム様と組んでいらしたんですよ」
「ハンター? あの人もヴァンパイヤなのに?」
「そういう者もいるのです。私もヴァンパイヤですが、エイベル様の下で執事をしているでしょう?」
モノクル眼鏡の奥で、ウォルフレッドがウィンクをする。
なるほど。どういう経緯でヴァンパイヤであるヒースがハンターになったのかは不明だが、いまや自分もヴァンパイヤとなったノクスは、気持ちがわかる気がした。
(ヴァンパイヤになったからって、心まで化け物になる必要はないんだ。ウォルフレッドさんみたいにひとの役に立ったり、ヒースみたいにヴァンパイヤと戦ってもいいんだ)
それは、暗雲垂れ込める未来に差し込む一筋の光のように、ノクスの胸中を明るく照らした。
あの夜ひとり生き延びた意味を、ようやく見出せた気がする。ショックのためか記憶はところどころ曖昧だが、両親を襲った白い悪魔の姿は、瞼の裏に焼き付いている。
(父さんと母さんを殺したヴァンパイヤを、いつか必ず倒してやる)
ひとり廊下を歩みながら、ノクスは固く決意する。
ヒースからはあらかじめ釘を刺されていた。
体が成人するまで、ノクスは半分ヴァンパイヤ、半分は人間だ。下級ヴァンパイヤであるグールならまだしも、中級以上が相手では、身体能力の面でも鮮血魔術の威力の面でもどうしても劣ってしまう。
両親の復讐をしたいだなんて馬鹿なことを考えるんじゃない。せめて、いずれ機が熟して完全なヴァンパイヤになるまでは、無駄死にするだけだから辞めておけと。
だが、何を待つ必要があるだろうか。
家族を奪われたあげく、普通の人間として生きる道も閉ざされてしまった。すべてを喪ったいま、両親の敵を取ることだけが自分の唯一の望みなのに……。
「なんで? どうしてノクスと会っちゃダメなの?」
(この声は!)
進行方向の先から響いた、いまとなっては懐かしい声に、ノクスはびくりと肩を揺らして足を止めた。
(ステラ…………)
「ノクスに会いたい! 目を覚ましてもう何日も経つでしょ?」
相手はどうやら、父であるバルトリー伯のようだ。娘を宥める伯爵に、ステラはなおも食い下がっている。その声を聞きながら、ノクスは金縛りにあったようにその場から動けずにいた。
両親を失い、帰るべき家を奪われ。何もかも無くなった自分が、唯一まだ望むことがあるとすれば。
「ノクス、ひとりで泣いてるかもしれない。だからそばにいたいの。隣にいて、生きててよかったって伝えたいの。じゃないとノクス、きっと苦しんでしまうから!」
(おれも、君の隣にいたいよ……!)
壁に背を付けて隠れたまま、ノクスは泣くのを堪えるように固く目を瞑った。
だけど、どうして部屋の中に入っていくことができるだろう。
自分はもはやヴァンパイヤで、人間の血がないと生きられない身体だ。いまはまだ半分が人間で成長もするけれども、いずれ完全なヴァンパイヤとなって、永遠の時を生きるようになる。
彼女とはまったく違うイキモノになってしまったのに。もしも飢えたら、彼女を襲って血を求めてしまうような化け物になってしまったのに。
――ステラを、この手で傷つけないためなら。
(さようなら、ステラ)
堪らなくなって、ノクスは走ってその場を離れた。
追いかけてくる幼馴染の声にも、もはや振り返ることが出来なかった。
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