1.
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ノクスの両親、ブラム・ウェルゲーツとミア・ウェルゲーツが亡くなった日のことは、鮮明に覚えている。
その日は朝から暗雲垂れ込めたどんよりした天気だったが、昼過ぎから本降りとなり、日暮れ頃には酷い嵐となった。
まだ幼子だったソワレは雷に怯えて泣いたりしていたが、ステラは逆だった。ごおごおと風が屋敷を揺らしたり、とんでもない豪雨が打ち付けられた窓を叩いたりするのが面白くて、わけもわからなく屋敷の中を飛び跳ねて父に笑われたりしていた。
そんな、春の嵐が過ぎた夜。
後から思い返しても、あれが夢か現か、ステラにはわからない。否。どう考えても夢だったんだろうが、そう納得するにはあまりに現実味を帯びた記憶。
とにかく、深夜、ステラはぱちりと目を開いた。
枕元に妖精がいた。
腰に届くほどの長い銀白の髪。凍りついた湖の底のような薄氷色の瞳。思い出せるのはそれだけだ。
この世のものではないように静謐で美しく。近寄りがたいのになぜだか懐かしい。そんな不思議な雰囲気を纏っていた。
「あなたはだあれ? 妖精さん? 天使さま?」
たっぷり見惚れてから、ステラは尋ねた。すると、妖精は笑みを漏らした。深く雪に閉ざされた真冬の日に輝く、ダイヤモンドダストのような笑みだった。
「妖精さん、ね。そう呼ばれるのは初めて」
妖精さんはステラの額を撫でた。冷たくて、絹のように滑らかな指をしていた。
「私は通りすがり幻。あなたとは道交わらぬ者。眠りなさい、フロイライン。どうか幸せな夢を」
ステラはくすぐったさに笑いながら目を閉じた。
――意識が浮上する。くすくす、自分の笑い声につられて、ステラは目を覚ました。
暗い部屋の中には、誰もいなかった。
ステラはしばらくの間、ぽかんと天蓋の裏を眺めていた。美しい妖精は、夢だったのだろうか。凛と透き通った美しさも、滑らかな指の感触も、こんなにも鮮やかに思い出せるのに。
その時、階下でバタンと扉が開け放たれる音がした。
ステラはもぞもぞと起き出し、ベッドの上で首を傾げた。音の出どころは、おそらくは正面玄関だ。けれどもこんな真夜中に、どうして扉が開くのだろう。
お気に入りのクマのぬいぐるみを抱きしめ、ステラは目を擦りながら階段を降りた。こんな真夜中なのに、玄関ホールには蝋燭の光が煌々と満ち、まるで屋敷中の使用人が起き出したかのように賑わっている。
その中央にいるのは、どうやら父エイベルのようだ。
「ウォルはヨーゼフ先生に連絡を! ユリアは湯の準備を……いや、待つんだ。やっぱり先生はマイルスが呼んでくれ。ウォルはなんとか、ヒースを捕まえるんだ。それから、」
「父さま?」
階段の上から響いた幼いステラの声に、集まっていた人々が弾かれたように振り返った。かすかに人垣が割れ、地面にしゃがみ込む父エイベル・ハーカーと目があった。
「ステラ……」
いつもと異なる父の様子に、ステラは首を傾げた。
エイベルはステラの自慢の父だ。優しくて、皆に好かれていて。紳士でスマートで、茶目っ気もある。
そんな父が、顔を引き攣らせてこちらを見ている。
何か良くないことが起こったのだ。
子供心にもそのように感じ取った時、ステラは気づいた。父がしゃがみ込んだ向こうに、誰かが倒れている。
倒れている誰かさんの服には、見覚えがあった。あれはノクスの父、ブラムがよく着ているものだ。よく見ると、隣には妻のミアのドレスも見える。
「おじさんとおばさん、具合悪いの?」
不思議に思って、ステラは背伸びした。どうしてふたりは、床なんかに倒れているのだろう。どうしてふたりの服は、あんなにボロボロなんだろう。
けれども理由がわかる前に、ステラの目は別のものに釘付けになった。
膝をついた父エイベルの腕に抱え込まれるようにして、もうひとり地面に横になっている。
小さな手を投げ出し、ぐったりと父に体を預けるそのひとは――。
「行きましょう、ステラ」
気がつくとステラは、マリアに抱きしめられていた。何かから守ろうとするように、母は優しく、それでいて強くステラを抱き寄せる。
「大丈夫よ。私とお部屋に戻りましょう」
母の腕の中で、ステラは身を捩った。むぎゅむぎゅと抱え込まれた中からなんとか逃げ出すと、ステラはまっすぐにジルを見上げた。
「ノクスはどうしたの? ノクスはどうして動かないの!」
――父エイベルの腕の中にいるのはノクスだった。首のあたりには布が巻かれ、もともと白い顔はますます青白く、ぴくりとも動かずエイベルに抱えられていた。
ステラに問われた時の、なんとも言えない母の表情を、ステラは今でも覚えている。
ただならぬ気配と、変わり果てた幼馴染の姿と。怖くなって、ステラは泣いた。訳もわからずわんわんと大粒の涙を溢して、マリアに抱きかかえられて部屋まで連れ帰られた。
マリアにしがみついて、ステラは一晩中眠れぬ夜を過ごした。幼く無力なステラにはそれ以外出来ることは思いつかなかったし、事実、出来ることは何もなかった。
後に知ったことだが、その夜、屋敷に運び込まれたとき既にブラムとミアは帰らぬひととなっていた。ノクスもまた、ヴァンパイヤに血を注ぎ込まれ、生死の淵を彷徨っていた。
その三日後。大好きで大事な幼馴染のノクスは、天涯孤独の幼いヴァンパイヤとして目を覚ましたのだった。
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