6.
ジェフリー・ラプラントの部屋は、ステラたちが最初に通された居間のちょうど真上だった。
案内してくれたのは家政婦のターニャだ。
「ある程度は整頓させていただきましたが、お荷物などはそのままに。ジェフリー様の私物は、今も変わらずお部屋に残してございます」
鍵を取り出しながら、ターニャはそう説明した。
「ジェフリー様がお戻りになったとき、困らないように。旦那様はそう仰っていましたから」
ガチャリと、中で手応えがある。扉を開けようとするターニャに、ステラは横から問いかけた。
「部屋の中でガラスの割れる音がしてから、他の皆さんが駆けつけるまで、どれくらい時間がありました?」
「それほど時間はあかなかったと思います。最初に駆けつけたのは次女のマイナで……。それからリリア様と、最後にポール様がコックのルーカスの手を借りて階段をあがってこられました」
リリアは先程の居間で。ポールは自身の書斎で。それぞれガラスの割れる音がしたと言ってきた。
廊下に出てきた彼らはそこで出会い、騒ぎのあったジェフリーの部屋にやってきたそうだ。
「犯人が窓以外の場所から逃げるのは不可能だったと思いますよ。私も、音がしてから中に入るまで、部屋の前を離れませんでしたし……」
「その僅かな時間で、ジェフリーさんは連れ去られてしまったわけですね」
ふむと顎に手をやるステラに頷いてから、ターニャは部屋の扉を開けた。
――事前に聞かされていたように、室内に事件当日の傷痕はない。窓は修繕され、飛び散るガラスはなく、上衣や帽子といった類いもきちんとハンガーラックにかけられている。
唯一事件を思わせるものがあるとしたら、床にかすかに残る血のシミだ。すっかり黒く変色してしまっているが、部屋の中央あたりから窓辺に向けて点々と道を作っている。
と、そのとき。
部屋の中に一歩踏み込んだノクスが、そこで足を止めてしまった。
「これは……まさか」
「ノクス?」
不思議に思ってステラは顔を覗き込むが、ノクスは答えない。形の良い顎のラインに手を添えて、何やら考え込んでいる。
と思いきや、ふいにターニャを振り返った。
「ご案内ありがとうございます。しばらく、お嬢さまとふたり、部屋の中を見せていただきます」
「お手伝いせず大丈夫ですか?」
「はい。まずは先入観なく、色々と見てみたくて」
にこりとよそ行きの笑顔を浮かべたノクスを、ターニャが不思議に思った様子はない。頷いてから、恭しく頭を下げた。
「何かご入用でしたら、すぐにお呼びください。旦那様とお嬢様のいらっしゃる居間におりますので」
丁寧に告げて、家政婦は退出する。扉が完全に閉まり、足音が遠かったのを確認してから、ステラは改めてノクスを見上げた。
「どうしたの? ターニャさんを追い出したりして」
「これから確かめることは、この屋敷の誰にも聞かせられませんから」
淡々と答え、ノクスは足早に部屋の中央へ歩み寄る。
それから目を丸くするステラの前で、なんと跪いて床に顔を近づけた。
「ちょっと、何をしてるの?」
「……やっぱりだ」
輝く金髪が揺れ、サファイヤに似た目をゆっくりと開く。立ち上がったノクスは、床に黒く染み込んだ血の跡を指差し、次のように告げた。
「ジェフリー・ラプラント氏はこの部屋で襲われてなどいません。誘拐事件は偽造されたものです」
「……え!?」
「この血は、人間のものではありません。匂いからして、おそらくは鶏でしょう。これだけじゃなく、部屋に落ちるすべてが獣の血です」
ノクスの答えに、ステラは唖然として床を見つめた。
部屋の中央から窓際へと続く血の痕。それこそが、ジェフリー・ラプラントが室内で何者かに襲われ、さらわれた証拠であったはずだ。なのにそれが偽装されたものだなんて。
「間違いないの?」
「普通の人間なら気づかないでしょうが、ヴァンパイヤの嗅覚はだませません。ことさら血の匂いに関しては、間違えようもありませんよ」
だからノクスは、部屋に入った途端顔を顰めたのだ。本来するべき匂いがなく、別の香りが部屋に残っていたから。
しかし、だとすると新たな疑問が湧き起こる。
ジェフリー・ラプラントはどこで襲われたのか。――否。それ以前に、誰が、何のために、彼が自室で襲われたように偽装したのか。
「まさか、ジェフリーさん本人がやったとか?」
はたと思いつき、ステラは声を上げた。
流れとしてはこうだ。ジェフリーは自室に戻ったあと、隠しておいた動物の血で室内を汚した。そして、家政婦が近づいてくるのを見計らって大声を出し、窓を割って、あたかもさらわれたかのようにして姿を消したのだ。
「ここは二階だし、屋敷の人たちは割れた窓や荒れた室内には気を取られていた。人間のジェフリーさんでも、庭に飛び降りてこっそり逃げ出すことは出来たはずよ」
「動機は? なぜジェフリー氏は、そんな偽装をして姿を眩ませたのでしょう?」
「たとえば……、借金相手から逃げるためとか?」
そう言って、ステラは人差し指を立てる。
「ジェフリーさんは日中かつての知人、つまり借金取りと再会した。当然お金を返せと迫られるけど、そんな手持ちはない。とりあえずその場は乗り切り、急いで屋敷に逃げ帰った」
なんとか逃げたジェフリーだが、彼は頭を悩ませた。おそかれ早かれ、相手は屋敷にやってくるだろう。しかし借金は、兄に頼っても返せるような額じゃない。
「だからジェフリーさんは思いついた。自分の誘拐事件を偽装して、しばらく姿をくらまそう。さらわれたとなれば、借金取りも諦めて帰るはずだ」
だが、あいにくと相手は人間ではなかった。
逃げようとしたジェフリーはあっさり相手に捕まった。罰として吸血により殺され、下級吸血鬼となってしまった――。
「なるほど。一応、筋は通りますね」
「でしょう? だけど、だけどちょっと不思議よね。ポールさんはさっき、宿屋に泊まっていたひとも全員調べたと言っていたもの。なのに怪しい人がいなかったなんて……」
それはさっき居間で話している時も気になったことだった。
そのヴァンパイヤがジェフリーを追ってリスター村に来たのなら、彼を殺したあとで村に留まる理由はない。人間と違ってヴァンパイヤが夜の森を抜けるなど雑作のないことだし、目的を達したのならさっさと逃げてもおかしくないはずだ。
だがポールは「怪しいものはいなかった」と言った。それはつまり、事件の後で姿を眩ませた人物もいなかったということだ。
まともな宿屋であれば、宿泊台帳は必ずとっているはず。事件前後で不自然に宿屋から消えた旅人がいれば、これ以上なくあやしい容疑者になるはずなのに。
「もしかして犯人は、リスター村には滞在せず、村の中からジェフリーさんを襲う好機を狙ってたのかしら」
「その可能性もありますが、そもそもヴァンパイヤは、旅人の中にいるのでしょうか?」
「どういうこと? まさかこの村の人の中に、ヴァンパイヤがいるというの?」
「それどころの騒ぎじゃありません。……事件当日にこの屋敷に戻ってきたジェフリーさんが、偽物であったなら、ですが」
不思議なことを言う幼馴染に、ステラは目を瞬かせた。つまり、屋敷に戻るより前にすでにジェフリー氏は襲われていて、別の誰かが彼のフリをして屋敷に顔を出したということだ。
けれども事件当日、ジェフリー氏に会ったのは家政婦ひとりではない。リリアも偶然窓から見かけたと言っていたし、家政婦の他にもコックや庭師など、何名もの人間が彼と話をしている。
いくら上手に変装したとしても、そんなに何人も騙せるものだろうか。
だが、ヴァンパイヤハンターとして鍛えられつつあるステラの思考は、すぐにひとつの答えに辿り着く。
「鮮血魔術……!」
鮮血魔術。それは、中級以上のヴァンパイヤだけが使える、彼らの魔法だ。ちなみに鮮血魔術に対抗してハンターが編み出した技を、聖白魔術と言う。
鮮血魔術は、ひとりひとりヴァンパイヤごとに種類が異なる。ノクスであれば青く輝く荊棘を操る「荊棘魔術」、侍女のジルであれば触れた物質から記憶の断片を読み解ける「記憶魔術」といった具合だ。
察しの良いステラに、ノクスも頷いた。
「姿を他人に変えられる魔術。現に、我々の身近にも近しい魔術を持つ者がいるのですから、そういう魔術が存在してもおかしくない。つまりヴァンパイヤは、ジェフリー氏に化けて屋敷に入り込み、自ら姿を消すことで誘拐事件を演出したのです」
「でも、なぜ? どうしてそんなことをする必要があるの?」
「本当の事件現場を隠したかったとか、夜まではジェフリー氏が無事だったと思わせたかったとか。理由はいくつか推測できます。それより着目すべきは、ヴァンパイヤが完璧に屋敷の人々を騙したという点です」
ステラはハッとした。
屋敷に戻ったジェフリーが家政婦のターニャと話をした時、料理長もたまたまその場にいたと言っていた。
そこから、家政婦が嘘を言っていないと仮定をして話を進めるのならば。
「飲んで帰った後の上機嫌な話し方。酒場に出かけたあとに夕食を抜くという習慣。お気に入りの寝酒のブランデー。どれをとってもジェフリーさんそのものの行動で、ターニャさんに違和感を抱かせはしなかった。――ヴァンパイヤは、ジェフリーさんの屋敷での過ごし方を熟知していた……?」
「ええ。つまり、こうは考えられませんか?」
まっすぐな眼差しが、蒼穹の青が、ステラを貫く。
「ジェフリー氏を襲ったヴァンパイヤは、屋敷の内部にいる」




