5.
ひと月前に起きたジェフリー・ラプラント誘拐事件および、近郊の森でつづく旅人の昏倒事件。
その背後で密やかに囁かれる、ヴァンパイヤの噂について。
それらについて詳しく聞かせてほしいと、ステラ達は事前にポール・ラプラントに手紙で伝えていた。
「一体、何からお話しするべきか……。なにせ、僕自身、噂についてにわかには信じ難くて」
先程までのほがらかな笑顔と打って変わって、心優しき村長は迷うように眉根を寄せる。
「ですが、村の周辺でなにか不可思議なことが起きているのは事実、それによって皆が怯えているのも事実です。ステラ様やノクス様の、お手を煩わせるのは心苦しいのですが……」
彼が戸惑うのも無理はない。ハンターなどの一部の人を除いて、ヴァンパイヤは架空の存在だと思われている。当然、ポールもヴァンパイヤの存在を知らない側の人間だ。
いくら村人が不安がっているとはいえ、わざわざ伯爵家に調査を求めるにはいささか気後れするだろう。
ポールを勇気づけるように、ステラは優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。迷惑だなんて思っていません」
「ですが……」
「それに私たちも、ヴァンパイヤの仕業って部分は信じていませんし」
わざとそう言って、ステラはぺろりと赤い舌を見せる。「え?」と驚くポールたちに、ノクスも淡々と後を続けた。
「当たり前でしょう。ヴァンパイヤなんてものは存在しません。ジェフリー氏の誘拐事件。近郊の森で続く、旅人の昏倒事件。ふたつは分けて考えるべきです」
「それはまあ、常識で考えればそうですが……」
「なら、お二方はどうしてリスター村へ?」
「もちろん。事件を解明するためです」
明るく言って、ステラは両手を広げた。
「伯爵家として、領内によくない迷信が広まるのは避けたいですからね。ジェフリーさんの誘拐事件の犯人は人間。旅人の昏倒事件は、偶然重なった自然現象。それが証明されれば、村の皆さんも納得するでしょう?」
「ちなみに我々としては、森での現象は毒性の植物、もしくは虫などによるものも考えています」
ポールとリリアは、ぽかんと口を開けていた。しかしやがて、己に言い聞かせるように頷いた。
「そう……ですよね。お二人のおっしゃる通りです」
「いやはや。僕たちがすっかり慌ててしまって」
恐縮するふたりに、ステラは笑って首を振る。
「そういうわけですから、森の中は被害のあった道沿いを中心に、我が家の私兵に調査させています。私とノクスは、あくまでジェフリーさんの事件について調べにきたと思っていただければ」
……このように誤魔化すのには、理由がふたつある。
ひとつは、村人に余計な不安を抱かせないため。
未知への恐怖は、ときに狂気を生む。過去には凄惨な結末を迎えた事件もあったことから、ハンターは通常、ヴァンパイヤの存在を表の人々から隠してきた。
そしてもうひとつは、相手のヴァンパイヤを油断させるため。
確率は五分五分だが、ジェフリー氏を襲ったヴァンパイヤは、まだリスター村に隠れている可能性がある。下手に逃げられないように、ステラたちがハンターであることは隠しておいた方が都合がいい。
「というわけで、さっそく教えてください。ジェフリーさんが消えた日、この屋敷で何が起きたのかを」
「はい」
少しホッとした顔でポールが頷く。それから僅かに小首を傾げて天井を見た。
「とはいえ、何かヒントになるようなことがあればいいのですが。なにせ弟は、自室から連れ去られるその瞬間まで、普段と変わらない日常を過ごしていたのですから――」
ジェフリー・ラプラントは、ポール・ラプラントの7歳下の弟だ。
質実で倹約家な兄と異なり、性格は派手好きな遊び好き。まだ10代の頃に恋人と共に村を飛び出し、家族の縁はほとんど切れていた。
そんなジェフリーが、一年前、ふらりと村に戻ってきた。一緒に出て行った恋人にはとうの昔に捨てられ、独りだった。
「お恥ずかしい話ですが、ジェフリーは金銭トラブルをいくつも抱えて、それらから逃げるために村に戻ってきたようです。実際、弟が村に来てすぐのころは、よくない知り合いが金を返せと弟を訊ねて来ていました」
そんな男でも、ポールにとっては家族だ。屋敷まで追いかけてきた者には、ポールが肩代わりをして金を渡した。半年ほどで来訪者は収まり、このところは平穏な日々を取り戻していたという。
「つまり、ここ数か月では、ジェフリーさんを訪ねてくるひとはいなかったんですね」
「はい。それでジェフリーも安心したのか、最近は村の酒場によく遊びに出ていました」
一度は村を出て行ったジェフリーであるが、陽気で楽観的な性格の彼は、すぐに村の中に居場所を見つけた。すなわち、村の酒場兼宿屋に入り浸り、旅人や村の男たちを相手に昼間から飲み騒いだり賭け事に興じたりして過ごしたのだ。
ポールは弟を諫めもしたが、小さな村の、小さな酒場での賭け事だ。村人から聞く限り大きなトラブルに発展する兆しもなく、「また村の外で借金を作られるよりは」とある程度は大目に見ていた。
件の日も、ジェフリーは酒場に出かけていた。
「戻ってきたのは、日が落ちた後でしたでしょうか。私は会っていませんが、家政婦のターニャをはじめとする何人かの商人が彼と話をしています」
「……旦那様の仰る通りです」
ポールの視線を受けて、ひとりの女性が前に進み出る。ポールたちと一緒にステラを出迎えてくれた家政婦だ。しっかりとした働き者で、誠実な印象を与えるひとだ。
「私に、ジェフリー様はこう仰いました。夕食はいらない。部屋で休んでいるから、皆の夕食が終わった頃合いにブランデーとチョコレートだけ持ってきて欲しいと」
「その時、何か変わった様子はありませんでしたか?」
「いえ。お酒を飲んだあとらしく、ジェフリー様はご機嫌で……。夕食を抜かれるのも、寝酒にブランデーを所望するのも、あの方にはよくあることでしたし」
「たとえば、酒場で昔の知り合い――つまり金銭トラブルの相手と再会したとか、賭け事で大損をして逃げかえってきたなんてことは」
「仰っていませんでしたし、そんな風にも見えませんでした。少なくとも、そういった事柄があれば、ジェフリー様は旦那様にすぐ泣きつかれたはずです」
とにかく、ジェフリーは2階にある自室に籠った。
事態が動いたのは、ポールとリリアが食事を済ませたあと。言いつけ通り、ターニャが寝酒用のブランデーとチョコレートを部屋に運んだ時だった。
「部屋の中で、ジェフリー様が声を荒げていたのです」
部屋をノックしようとしたところで、家政婦は気づいた。相手の声は聞こえなかったが、ジェフリーが誰かに対して声を荒げている。
家政婦ターニャは不思議に思った。言い争いの相手は誰だろう。ポールとリリアは階下にいるし、屋敷に仕えるものは使用人部屋にいるはずだ。
そう思ったとき、部屋の中から盛大にガラスが割れる音がした。
「私は慌てて部屋の中に声を掛けました。ですがお返事はなく、扉も鍵がかかっていました」
彼女がスペアキーを取り出している間に、リリアやほかの使用人、そして皆の手を借りてポールも、部屋の前に駆けつけた。
扉が開いたとき、すでにジェフリーの姿はなかった。
「大きな音は、窓が割れた音だったようです。部屋の奥にある庭に面した窓は、ガラスが粉々に砕けていました。それから、床にはジェフリー叔父様の血が……」
「リリア」
当時のことを思い出したのだろう。声を詰まらせるリリアの肩に、ポールがそっと手を添える。それから彼は、ステラたちに視線を戻した。
「割れた窓と、直前に聞こえたジェフリーの悲鳴。それらから、私は弟が何者かに窓から攫われたと判断しました。至急、村の自警団を組み、捜索させたのですが……」
「ジェフリーさんは見つからなかった、というわけですね?」
ノクスの言葉に、ポールは悔しげに頷いた。
「身代金の要求といった犯人からの接触はなく、手がかりもゼロ。……かつての金銭トラブルの相手が、弟を攫っていったのではないか。その線で考え、村に泊まっていた旅人も全員調べましたが、結局関係ありそうな者を見つけることは出来なかったのです」
捜査の手応えがなかったのも無理はない。ポールたちは知りえないことだが、ジェフリーを攫ったのはヴァンパイヤだ。陰に隠れて生きることに長けた彼らが、自分の痕跡を残すなどあり得ない。
問題は、なぜジェフリーを誘拐したのかだ。
(ただ単に吸血のために襲ったのなら、部屋から連れ出す必要はなかったはず。だとすると、やっぱり怨恨の線? かつて金銭トラブルを起こした相手がヴァンパイヤだったとか?)
なんにせよ、相手がジェフリーを狙ってこの村に訪れた誰かだとしたら、早々に村を離れて行方を眩ませた可能性が高い。その後の足跡を追うのは、相当に骨が折れる捜査になるだろう。
――いや。過去のトラブルが事件の動機になったのなら、ジェフリー氏の持ち物の中に、何かヒントが残されているかもしれない。どこで出会った誰がヴァンパイヤか絞り込めれば、今後の捜査の展望も大分開けそうだ。
「ジェフリーさんの部屋は、まだそのままですか?」
ステラの問いに、ポールは虚を衝かれたように瞬きをした。
「ええ。さすがに割れた窓は修繕しましたが、あとは手付かずで残っています」
「中を見せてもらえますか?」
「もちろんです。ただ、私たちも散々調べましたが、犯人に繋がりそうなものは……」
「何も知らない第三者だからこそ、気付けることがあるかもしれないでしょう?」
にっこりと微笑むと、ポールとリリアは顔を見合わせた。やがて根負けしたように、ポールが肩を竦めた。
「なるほど、そうかもしれませんね。では、ジェフリーの部屋をお見せしましょう」




