クラーケン退治
―――朝の光が差し込む。
「――ん……朝か。そうか、宿屋か……。」
目を覚まし、見慣れない景色に一瞬戸惑ったが、すぐに昨日のことを思い出す。
気分が暗い……。
いつもなら、あっちとこっちは完全に分けて考えているのだが、今日だけはさすがに違った。
頭がぼんやりとしている。
――コンコン。
扉を叩く音が聞こえる。
「アイラさん。入っても、いいでしょうか?」
ミオの声だ。
俺が起きる頃合いを見計らってやって来たらしい。
すごいタイミングだ。
ずっと監視でもされているのではなかろうか。
いや、まぁ……そんなわけないか。
きっと普段の俺から、大体のパターンが分かるのだろう。
「あ、ああ……いいよ。どうぞ?」
「失礼しますね。」
ミオはもう既に、今すぐ宿を出ても、なんの問題もないくらいに完璧に身支度を済ませている。
「……どうかしたのか?」
「いえ、そろそろ起きる頃だと思って、様子を見に来たんです。」
なるほど……エスパーか!
俺の心臓だとか脳みそだとかは、実はミオが握っているのではなかろうか?
おお、恐ろしい……。
「今日は、頑張りましょうね!」
「あ、ああ……それだけか?」
「はい、それだけです!」
満面の笑顔でそう言って部屋を出ていく。
宿屋の出してくれた朝食を食べ、支度を済ませた。
宿屋を後にして、さっそくクラーケン退治のため、海に向かう。
ここから海までは、それほど遠くない。
うまく行けば、一度も戦闘をせずに海に辿り着ける。
クラーケンは、巨大なイカのような見た目をした怪物だ。
足の数は10本。
その内2本は腕なのではないかと言われているが、とりあえず体から10本、細かい吸盤の付いたものが生えている。
イカの怪物というだけあって、水棲生物だ。
海の中に引き摺り込まれれば、ほぼ勝ち目はないだろう。
海に着く。
今日は少し暑いのだが、ミオとベルの二人は楽しそうだ。
クラーケン退治という目的を忘れているのではなかろうか……。
すでに海パン一丁になっている俺はそんなことを思う。
自分の体に自信があるわけではないが、さすがにこう暑く、海を目の前にして、美少女二人が同行しているともなれば、テンションも上がるというものだ。
あと、俺は泳げない。
クラーケンに捕らえられれば、俺も悲惨な末路となるだろう。
「ミオ!ベル!準備はいいか?気をつけろ!!」
まだクラーケンの姿は見えないが、海パン一丁の俺は二人に警戒を促す。
「「はい!」」
二人の返事が聞こえる。
振り向くと、二人揃って服を脱ぎだしているではないか。
なんと破廉恥な!
「ちょ、何してるんだ二人とも!?こんなところで!!」
「んしょっ……と。」
そんな声と共に、服を全て脱ぎ終えてしまった。
いくら三人しかいないといっても、さすがに全裸……ではない!しっかりと水着を着込んでいるではないか!
ミオの水着は、ごく一般的なビキニというやつだろう。
派手過ぎず、地味過ぎない。
ミオの引き締ま……っていると思われる、出るところは出ている体を強調するには、最適といえる選択だろう。
それに対してベルの水着は、風を象徴するかのように、緑の水着である。
上下は分かれているが、下はひらひらとした、スカートのようなデザインになっている。
その小さな外見に違和感なく合っている。
左右でそれぞれ髪を纏めたツインテールも、その可愛らしさをまた引き立てているのだろう。
昨日の夜、宿屋の部屋で楽しそうに話していたのは、おそらくこの水着選びでもしていたのだろう。
二人とも、これ以上ない選択だと思う。
よく似合っている。
三人揃って、素肌を晒しまくった隙だらけの格好で、クラーケンを探すため、海沿いの砂浜を歩いていく。
依頼の説明では、岩場に現れたとのことだった。
砂浜を歩いていると、綺麗なお姉さんとすれ違う。
草や葉、花をイメージさせるような大胆な水着を着たお姉さんだ。
近くを通ると、甘くていい匂いがして、頭がくらっとした。
匂いにやられたのか、相野さんのことを思い出してしまい、少し胸がズキズキした。
クラーケンが出るというのに、その格好といい、危機感のない女性だ。
まったく……これは俺がさっさとクラーケンを退治して、あのお姉さんも一緒に楽しく遊ばねば!!
だが……。
見つからない……。
岩場の方も確認したが、結局、何も見当たらなかった……。
これは……海で遊べという神のお告げなのでは!?
よし、仕方ない……。
「……見当たらないし、さっきの砂浜に戻ろう。」
「はい、そうしましょう。」
ミオが答えた。
俺たち三人は、砂浜に戻る。
皆そわそわし始める。
「――よし、遊ぼう!」
「――はい!」
ミオの今日一番の返事だ。
「――わーい!」
ベルも無邪気に喜ぶ。
二人は一目散に海へと走って行き、水を掛け合い、遊び出す。
俺は、そんな二人を少し遠くから見て、海がキラキラしているのに見惚れる。
決して、泳げないから海に近寄らないとか、そういうわけではない。
ふと、相野さんのことが頭を過ぎる。
ぼうっとしていたせいだろうか……。
どうしてもそのことが頭から離れず、また気分が落ち込む……。
なんで相野さんはあんなことを……いや、本当は、大体予想は付いているのだ。
相野さんは可愛いからな。
きっと、色々な男に好意を持たれているのだろう。
朝のあのやり取り、相野さんの言っていたあの内容、それを吹き込んだといったところだろう。
そんなことを考えていると……。
「――――ひやぁ!」
水の掛け合いとは明らかに違う、ベルの悲鳴が聞こえてくる。
「――ベルさん!あっ、いやっ!」
ベルに呼び掛けるミオも捕まる。
二人を捕らえた主は……。
――――クラーケンだ!!
完全に警戒を解いていたところを狙われたのだろう。
参った……これは目を離してしまった俺のせいだ。
すぐに短剣を両手に構え、クラーケンへと走り寄る。
クラーケンは、細かい吸盤がびっしりと付いた太い足を、二人に巻き付けている。
浅瀬で捕まったおかげで、溺れさせられることはないだろう。
だが、俺も近付き捕まり、そのまま沖に連れて行かれれば……全滅は確定だ!
「ああっ……!!」
二人の体に巻き付いた足が、うぞうぞと動き回る。
今は、もともと面積の少ない装備なのだ。
小さい吸盤が、吸い付いては離れる刺激がくすぐったいようだ。
「ちょ、やめっ……!ひふ……ふへへ……。」
巻き付いている足が動くのに合わせて、くすぐったさから二人が声を出す。
口元も少し緩んでいた。
いや、むしろこれは楽しんでいる?
いやいや、そんなことはないだろう。
さて、本来なら電撃を使って倒したいところだったが、捕まってしまった以上は、刃物で切り裂いて、二人を助けてから、イカ刺しにでもしてやるのが最も良い方法だろう。
仕方あるまい。
とりあえず、突っ込むしかないか。
まずミオを助ければ、そのあと援護を受けながら、ベルはどうとでもなるだろう。
いや、他にも手はあるか?
相野さんのことがあったせいか、少し自暴自棄にでもなっているのかもしれないな……。
だが、今の俺にはそれしか思いつかない。
「――てりゃあああ!!」
そんな声を上げながら突っ込む。
クラーケンの足の数本が、俺を払い除けようとするのに対し、短剣で斬り付ける。
「――重いっ!!」
これだけ太いのだ。
そりゃ一撃が重たいに決まっている。
手が痺れるのに耐える。
「――くっ……そりゃあああ!!」
だが、その重さと勢いが命取りでもある。
勢いに任せ振り回されたその足が、鋭い短剣の刃に切り落とされる。
足を擦り減らし、攻撃手段が徐々になくなっていくクラーケンに接近していく。
ミオを捕らえている足の根元に一撃を入れると、ミオに絡み付いていた足が解ける。
体が自由になったミオは、すぐに距離を取る。
俺は、すぐさまベルの救出のために、もう一本の足の根元を斬りにいく。
ミオは、水の刃で援護をしてくれる。
断然懐に飛び込みやすくなった。
ミオを先に助けた意図をすぐに理解し、援護をしてくれるミオは、流石といったところだろう。
クラーケンの足の根元を斬り付ける。
ベルに巻き付いていた足も緩み、ベルが水面に落とされる。
すぐにベルを助け上げ、距離を取るようにベルの背中を押し、走るように促す。
よし、上手くいった。
ベルのひらひらと揺れる緑色の水着を見て、安心する。
お子様水着が可愛いぞベルよ。
まぁ、口には出さないけどな。
そんなことを口にしたら嫌われて……。
嫌われる。
そのワードのせいで、相野さんのことを思い出す。
なんでこんなタイミングで……。
すぐにクラーケンに向き直り、短剣を構える。
が、少し遅かった。
瞬間、クラーケンの太い足が、俺の胴体目掛けて勢いよく振り付けられる。
――しまった!防げない!!
「しまっ……!」
遠心力に任せた足の攻撃で、後方に大きく飛ばされる。
「――――ぐぅっ!」
腹に重たい衝撃を受ける。
「――――がはっ……!」
直後、背中から地面に叩き付けられ、一瞬呼吸ができなくなる。
痛い!!背中が痛い……!!
痛みと衝撃で、動くことができない。
まずい!ミオとベルは!?
「―――ミ……!!」
声を出そうとするが、声が出ない。
僅かに意識も遠い。
二人は、クラーケンから距離を取っているようだった。
吹き飛ばされた俺を一瞬振り向いたが、駆け寄って来ることもなく、すぐにクラーケンに向き直る。
流石ミオとベル、いい判断だ。
それでいい……。
空気が変わるのを感じた。
今日は暑いくらいだったのだが、急に冷たい風が吹き込んでくるような、そんな感覚だ。
後側からだったせいで顔はよく見えないが、二人はクラーケンに対し、強い殺気を放っている。
後方からでも、その背中を見ればよく分かる。
「――――許しません……!!」
ベルが口を開いた。
「ベルさん!!」
その言葉に呼応するように、ミオが叫ぶ。
合図をしたかのようだ。
「はい!!」
ベルは全て悟ったように返事をする。
一瞬、時が止まったかのような空白を感じた。
ベルが深く、強く集中していたせいだろう。
そして数秒……。
「―――サイクロン!!!」
ベルは叫ぶ。
凄まじい威力の冷たい風が、クラーケンに向かい放たれる。
「―――アクアスプレッド!!」
それに合わせるように、ミオも呪文を叫ぶ。
濁流のように、水の粒が放たれる。
ほぼ同時に放たれたその二つが合わさる。
超高速回転している冷風に、水の粒が巻き上げられた。
その冷えた空気の回転に取り込まれたクラーケンの動きが、鈍くなっていく。
いや、凍り付いているのか。
ミオの放った水は、冷えて固まり、氷となっていた。
ベルの放った風により、ミオの放った水が凍り付いているのだ。
氷の粒が高速回転の風に乗り、凶器となり、クラーケンの体に穴を空け、次々と砕いていく。
二人の複合技とでもいったところだろう。
「「――――アイストルネード!!」」
二人は声を合わせて叫ぶ。
気が付くと、クラーケンの体は、跡形もなく消え去っていた。
二人はいつの間にこんなに仲良くなっていたのだろう……。
嬉しい反面、少し寂しくなる。
「―――アイラさん!」
クラーケンを倒したことを確認すると、二人はすぐに駆け寄ってくる。
ミオとベルの心配そうな呼び掛けに、遠退いていた俺の意識は呼び戻される。
ミオは、両膝を突き、俺の頭を持ち上げ、抱くように優しく手を回してくる。
ベルは、俺の腹に顔を埋めるように抱き着いてくる。
温かい……が、怪我をしている人間をそんな風に扱うと大変なことになるぞ?
いや、幸いにも骨も折れておらず、一時的に呼吸ができなくなったことと、背中の痛みにより意識が遠退いていただけなので、むしろ気道が確保され、結果的には意識を取り戻せたわけだ。
「ぐす、ううぅぅぅ……。」
ミオとベルは泣いている。
「……大丈夫だって……だから、泣くな……。」
泣いている二人に自分は無事だと伝えるため、声を絞り出す。
俺を心配して泣いてくれるのが嬉しい反面、いつまでも泣いていて欲しくはなかった。
二人とも一頻り泣き、ようやく落ち着きを取り戻す。
「…………じゃあ、帰るか……。」
戦闘によりくたくたになった体で、二人に告げた。