おししょー、怒りの一撃を叩き込む。
ーーー終わりね。
事の一部始終を眺めていた女は、ティーチが疾風の如き速さでその場に現れるのを見て、小さく息を吐いた。
アーサスは、失敗だ。
そもそも成功するとも思ってはいなかったが、ギリギリの状況だったのは間違いない。
ーーースート。
いつも明るいムードメーカーだった彼女を預ける相手として、ティーチは良い相手だったのだろう。
知っていた頃よりも格段に強くなり、今も幸せに暮らしているようだった。
その生活を壊しに来た自分を、彼女は多分、恨むだろう。
だが、打てる手はこれしかなかったのだ。
「ーーー全ては、ブレイヴ王のご意志のままに」
女は、もう役目を終えていた。
後は刺客の失敗と、撤退した適当な理由を命じた相手に伝えて終わりである。
その場から離れようとした女は、血まみれで地面に横たわるスートに目を向けて動きを止め……そっと、手を掲げる。
「……せめて」
女は、淡い光を指先に浮かべて空中に滑らせた。
描いた紋は、スートを守った【身代わり人形】に刻まれていたのと同じもの。
最後に《治癒魔法》の光を浮かべて紋に押し込むと、その場から紋も光も消失する。
転移したそれが、スートの元にたどり着くのを確認して。
女は今度こそ、姿を消した。
※※※
「ガァ……痛ェ……!」
打たれた頭を押さえてアーサスが立ち上がるのに、ティーチは静かに黒い木刀を構える。
「無駄に頑丈だな」
彼の身を包む【纏鎧】……適性のある属性を持つ鎧を魔力によって発現したそれは、それなりの強度があるらしい。
盗賊程度の相手ではないのだろう。
ティーチは、まだ腰に吊り下がっていた毛玉スライムが金具から抜けないのを握って、ブチッと引きちぎった。
『ぷきゅぅ!?』
「巻き込まれないように、どっか行っとけよー」
ポイっと毛玉を放り捨てると、アーサスが額に青筋を立てる。
「ずいぶん余裕じゃねェか、コケにしやがって……俺はカイン王国軍・第一傭兵部隊所属〝黒蠍〟のアーサス様だぞォ!?」
「知らんな」
そもそも、国の人間で知っているのは王になったブレイヴと、かろうじて勇者パーティーだった連中、他には税の徴収に来る領主くらいのものである。
「ブチ殺す……!」
「やってみろ」
打たれた頭を押さえ、殺意に血走った目を向けてくるアーサスは、名乗った通りなら、どうやらブレイヴの配下らしい。
それが、なぜスートを襲ったのか。
ーーーまぁ、どうでもいいがよ。
ティーチは、頭が沸騰しそうなほど怒っていた。
事情など後で探ればいいだけの話であり、それよりもさっさとスートを治療に連れて行かなければならないのだ。
「《闇刃》ァ!!」
ブン、とアーサスが振るった剣から放たれる剣閃。
それを、膝を軽く曲げて半身になったティーチは、軽く振り下ろした木刀で受ける。
武技を受ければ、普通は衝突の瞬間に斬り飛ばされる。
しかし剣閃は、木刀に衝突した瞬間に刀身に吸い込まれるように、シュォ、と消え去った。
「……あ?」
「《武気吸収》……俺の武技だ」
あっけに取られるアーサスに、ティーチはトン、と足を踏み込みながら答えた。
それは、勇者ブレイヴの扱う《湧気増幅》と対を成すものだった。
彼のもの同様、他に使える奴も知らない武技である。
「俺に、武技や魔法は効かないんだよ」
「う、ぉ……!?」
吸収した闇の気を蓄えた木刀を叩きつけると、直前で反応したアーサスが剣を掲げて受け、そのまま飛び退る。
「ハッタリかましやがって……攻撃用の呪玉も持ってねェ生身の分際でよォ!! 《闇突》!!」
アーサスがさらに肉薄しようとするこちらに、範囲は狭い代わりに速度の速い、矢のような剣閃を放ってくるが……それも、木刀で受けて吸収する。
アーサスはバカではないようで、きっちりこちらを観察していたようだ。
確かに、ティーチは腰に下げた【感知の呪玉】以外に、呪玉を備えた装備を持っていない。
が。
「勇者の剣にも、呪玉はねぇぜ?」
そう答えながら、アーサスの脇腹を木刀で薙ぐ。
「ゴォ……ッ!? この、俺が……たかが木刀一本の、生身の、相手に……!?」
「たかが木刀、か。……なぁクズ野郎。俺の《纏鎧》が、見たいか?」
息を詰まらせて脇腹を押さえる相手を前に、ティーチは木刀に溜め込んだ力を解放した。
「俺は、見ず知らずの誰かの為にゃ頑張れねぇし、頑張る気もねぇ」
ブレイヴの魔王退治についていなかったのは、それが一番大きな理由だった。
大義や、世界の危機などと言われても、ピンとこない。
目の前に魔物が現れれば、それを退治して村を守る、そのくらいシンプルな方が性に合っていたからだ。
ブレイヴのためなら、もしかしたら頑張れたかも知れない。
だが、ヤツは自分が守らないといけない存在ではなく、もし足を引っ張ったら、という気持ちの方が強かった。
「だがな……スートは、違うんだよ」
彼女は弱かった。
心の芯の部分だけなら、自分よりもよっぽど強かったが、身を守る力という意味では。
そして幼かった。
彼女は、自分が守るべき相手だった。
何かを伝えるなんて大層な真似は出来なくても、本当に、人に何かを教えるのに、こんな手探りなやり方で良いのかと迷っても。
「ブレイヴと一緒で、コイツは相手が誰でも、人のために頑張れるヤツなんだ。その為の力を求めていた」
だからティーチは、そんなスートの手助けをしてやりたいと思い、悩みながらも師匠として振る舞ったのだ。
見ず知らずの誰かの為には頑張れない。
だが。
「そんな弟子を助ける為なら、ちょっとだけ頑張ってもいいと、思える」
「おししょー……」
後ろで聞こえるスートの声に、照れ臭くて振り向けない。
代わりに、木刀を握り込んだ。
「だから、俺は人の可愛い弟子を痛めつけたお前を、許さねぇ。ボッコボコに叩きのめす。……たかが木刀の力を、見せてやるよ」
この黒い木刀は、見た目は確かに見窄らしいかもしれないが。
ーーー勇者の剣と対を成すように、洞穴に安置されていたもの、だった。
ブレイヴは勇者の剣を抜けたが、これは抜けなかった。
そしてティーチは、勇者の剣を抜けなかったが……この木刀は、抜けたのだ。
「ーーー《鏡纏身》」
それは、黒い木刀を手にすることで《武気吸収》と共にティーチが使えるようになった、もう一つの武技。
木刀全体が先ほど吸収した闇の輝きを放ち、解けるように形を崩して体を包み込む。
ティーチは〝武具〟ある木刀を変化させて【纏鎧】した。
金属とは違ってどこか有機的な、光沢のない昆虫の外殻のような黒い全身鎧を。
「俺は、ただの凡人だが……勇者の対でも、ある」
ティーチは、ずっと考えていた。
こんな自分が、勇者とまるで鏡合わせの力を得たのは何故なのかと。
そしてスートと過ごすうちに、その理由を朧げながら悟った。
きっと自分は、英雄になることを運命づけられたアイツには出来ないことをやる為に、存在しているのだと。
「律に伏し、権に隠れ、悪意を受けて敵を制す鏡だ」
顔を覆うフルフェイスの兜に備わった目を赤く輝かせ、ティーチは一歩前に踏み出す。
「潜む悪鬼を喰らう【影】ーーーティーチ・ザコード。推して参る」
右拳を握り込み、左の手のひらで包み込んで腰に添え、体を極限まで捻り込んだ、ティーチは。
「己の所業を、後悔しな。ーーー《黒の一撃》!!」
未だ動けないアーサスの鳩尾に、渾身の一撃を叩き込んだ。