間違えた
週末の夜。明日は休みだからと、今宵はちょっと飲み過ぎてしまった。気分は上々だったが、ちょっと歩くのが苦労した。やっとの思いで自宅マンションまで帰ってきた。
エレベーターを降りて廊下を進む。真夜中だから当たり前だが、あたりは静寂に包まれていた。少し風が吹いているようであった。
「夜風が心地い~ですねぇ」
そんなことをつぶやきながら、煌々と明かりの灯っている廊下を進んだ。
それか部屋の前について、ポケットから鍵を取り出す。
差し込んだが、上手く回らなかった。
「お~い、なんでー?」
ドアノブをガチャガチャして、何度か鍵を抜き差しした。
「なんですかねぇ~あー、早くシャワー浴びて寝たいんですけどぇ」
またドアノブをガチャガチャやって、それからハッとした。ドアの横に視線を向ける。
〈一三〇九号室〉
そのとき初めて、自分の部屋番号ではないことに気が付いた。
「あ、やべ。部屋間違えてるし。ってか、なんで最上階まで来てんだよ」
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャッ!
「えぇっ」
突然、ドアノブがひとりでに激しく動き出した。あまりのことに、一瞬で酔いが吹き飛んだ。
ドンドンドンドンドンドンっっ!!
ドアを激しく叩く音も加わった。
ドアノブは激しく動き続けていたし、呆然とドアを眺めた。
そして、始まったのと同じくらい唐突に二つの音は止んだ。それから、ゆっくりとドアが開きはじめた。
きっとカンカンに怒った住人が出てくるに違いない。そう思った。
「す、すみませんでした! 部屋、間違えました!」
そう言って土下座をする勢いで頭を下げた。が、相手は何も言ってこなかった。
恐る恐る顔をあげて、その三〇センチほど開いているドアの隙間に視線を向けた。
中は真っ暗だった。人の姿も無かった。
開いているドアの隙間。何かがおかしかった。中は真っ暗で、真っ暗闇で、何も見えなかった。室内の照明が付いていないとしても、この廊下の明かりで中の様子が多少は見えてもよさそうなのに、見えなった。
人の姿も見えなかった。なにかヤバい、危険な感じがして背筋が寒くなった。
「……たい?」
突然、かぼそい声が聞こえて思わず聞き返した。
「え?」
「入りたい……の?」
「ちが、違います。部屋、間違えたんです」
すると、男とも女ともつかぬ声が、耳元ではっきりと
「早く入りなよ」
頭の中が真っ白になった。目の前も真っ白になりそうで、危うく気を失うところだったかもしれない。
「うわあああぁぁぁー」
気が付くと叫びながらエレベーターホールまで駆け戻っていた。
そのまま横にある階段を駆け下り、自分の部屋までダッシュで戻った。後ろも振り向かず、部屋に入ってすぐ鍵も閉めた。
何度も閉めた鍵を確かめて、部屋中の明かりをつけっぱなしにした。
朝、陽が出てきて外が明るくなるまで一睡もできなかった。
あれは部屋の住人のいたずらだったのだろうか? だが、確かめるために、わざわざあの部屋に向かうのは嫌だった。軽い朝食とコーヒーをとると、気分は多少落ち着いた。だが、眠気はどこかへ行ったままだった。
部屋にいても落ち着かない気分で、気晴らしに散歩にでも行こうと思った。
それで、一階の玄関ホールまで来るとちょうど、管理人である年配男性と出くわした。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
そうだ、管理人さんにあの部屋のことを聞いてみよう。そう思った。
「あの、管理人さん。ちょっといいですか?」
「どうされました?」
「あの、一三〇九号室、その……どんな方が住んでいるか、ご存じですか?」
それを聞いて、ちょっと怪訝そうな顔をされた。
「いや、実はですね、その……つい先日、酔っぱらって帰って、それで部屋間違えてドアノブをガチャガチャしちゃったりしたんですよ」
「ははあ、そうですか」
管理人さんの表情が緩んだ。「それなら大丈夫ですよ。あの部屋はもう、ずいぶん前から空き室ですから」
「え?」
「何故かね、借り手がつかなんですよ、あの部屋。内見はよく来るんみたいなんですけど……不思議ですよねぇ」
それだけ言って管理人さんはそのまま、掃除用具を抱えて外の方へ行ってしまった。
あれは住人のいたずらなどでもなかったのか? そもそも空き室だと? では自分が見たものはいったい、何だったのか? もし、あのまま部屋の中に連れていかれてもしていたら、どうなってしまっていたのだろうか……。あるいは単に、酔っぱらっていたせいで、ありもしない夢でもみていたのだろう。
そうして、外へ出てからふと気が付いた。このマンションはそもそも十二階建てだ。それに、管理人さんも休日はやってこないし、いつも年配の女性のはずだった。
それじゃあ、私が管理人だと思った人は、何者だったのだ? それに、あるはずのない十三階は、いったい何処だったというのだ……。
それからしばらくは、ドアを開けるたびに、なんとも言えない気持ちの悪さを感じようになった。




