2話
一之宮塔子の葬式は静かに執り行われた。集まったのは、一之宮の血縁者と親しい取引先、そして塔子様の旧姓である西条一家の血縁者の方々だ。私は、塔子様の眠る棺から一番近い、最前列の座布団の上に座っていた。
御坊さんのお経が終わり、少し休憩の時間になる。誰もが、腰を持ち上げて、部屋から出て行くなか、私は両手を使ってゆっくりと膝を這わせるように塔子様の眠る棺に近づいて行く。
もう少しで顔が見える、というところまできて、誰かが後ろに立っていることに気が付いた。急いで振り返ろうとすると「待って」というまだ声変わりのしていない少年の様な声が聞こえた。心臓が高鳴って、鼓動が早くなる。
顔を見ずともわかる。後ろにいるのは、柊木光樹だ。
彼は、私の膝に手を入れて、私をいとも容易く持ち上げて。所謂お姫様抱っこをして、棺まで運んでくれた。漸く見れた塔子様は、蒼白くて、でも未だ尚、美しさを保っていて、まるで人形のようだった。
「…君は、一之宮家の令嬢かな」
暫し、塔子様に見惚れていると、声をかけられて我に帰る。まだ、挨拶どころかお礼すらしていなかった。
「…初めまして。一之宮琴吹といいます…ここまで運んでくれてありがとうございます。」
純粋に綺麗だと思った。隣に座っていた彼は、白金色の絹のようにサラサラとした肩に付くか付かないかまで伸ばされた綺麗な髪に、、淀んだ深い青の私の瞳となんか比べるまでもなく雲一つない透き通った空みたいな色をしていた。
それは、晴れた晴天の空。幼い頃、一度だけ見たことのある、本当の母親と一緒にみた優しい青空の色。
だからだろうか。小説の通りになってしまうの、欲しいと思った。
【綺麗な椿】ではどうだったんだろう。どういう風にして、琴吹と光樹の婚約が決められたのか語られていなかった。幼い頃から婚約者として決まっていたとしか、書かれていなかったから分からないけれど。
きっと、一之宮琴吹も光樹を初めてみたとき、こんな気持ちだったのだろう。私と、一緒の気持ちだったに違いない。
「初めまして。僕は、柊木光樹…よろしくね。」
そう言って、光樹は私の隣に腰掛けて、塔子様を見つめた。私も、塔子様を見る。
「一之宮さんとあまりパーティーに同伴することがなかったから、お見かけしなかったけれど…なる程確かに美しい人だね。」
「当然です。お母様は、優しいので、その優しさが表面にも反映されたのです。」
そう言うと、光樹は一瞬、目を丸くして私をみた後、微笑んだ。
「そうだね、君も夫人のように美しいよ」
そこは塔子様の努力の賜物だろう。汚くて薄汚れていた私を、塔子様が変えた。礼儀作法も、勉学も、全て。家庭教師を雇うまでもなく全て、塔子様が教えてくれた。塔子様も私もお互いに埋め合わせをすのに必死で、一之宮家として、社交界に出たりしなかったためか、私の存在を知る人も少ない。
今回の葬式で初めて一之宮家の令嬢を見たという話題がそこらじゅうから聞こえてくる。
「体調は大丈夫かい?元より、体が弱いと聞いていたけれど…」
外の世界で、私はそういう設定らしい。私がまだ、完全に一之宮琴吹という存在になれていないうちは、塔子様も私を外の世界に見せる筈ではなかったんだろう。
心配そうに、綺麗な形の眉を下げる光樹に、微笑んで見せる。
「心配してくださり、ありがとうございます。」
よかった、と微笑み返し、優しげな目元を更に細める光樹に胸が高鳴る。
なんて綺麗な瞳なんだろう。本当に、本当に綺麗な瞳でまるで
「宝石みたいに…」
「え?」
声に出してしまっていたらしい。思わず口を塞いだ。
「琴吹。」
不意に、声をかけられる。この声は、長らく聞いていないけれど、あの方の声だ。
手を使って、体を反転させる。見えたのは、漆黒の艶のある髪をオールバックにし、同色のどこまでも冷たい闇のような瞳を持った、氷を擬人化させたような男。
私の…否、琴吹の父親にして塔子様の夫。一之宮徹その人だった。
冷たいながらに端正な顔立ちをしているこの男は、表情筋が死んでいるのか眉一つ動かしはしない。いつ、いかなる時も。
「はい、お父様。」
「なるほど、確かに塔子さんの娘さんだ。」
そんなお父様の後ろから声がしたかと思うと、お父様とは正反対に、ニコニコと微笑む人がいた。
光樹よりも少し濃い色の金の髪に、新緑色の瞳。どことなく光樹の面影があるのは、彼が光樹の実の父親だからだろう。信じられないことに、お父様と柊木様は幼馴染で、これまた信じられないことに二人は今の今までずっと親友という立ち位置らしい。お父様と親友になれるなんて、凄い人だ。
挨拶をしなければいけないけれど、立てないので仕方なく、手を畳につける。
「はじめまして、柊木様…一之宮琴吹です。」
そのまま頭を下げると、柊木様から焦ったような声が聞こえてくる。
「いいよいいよ、徹の娘さんなんだから、僕の娘のようなものだしね。」
「俺の娘だ。」
「はいはい。」
幻聴ではないだろうか。今、お父様からお父様らしからぬ言葉が聞こえた気がして、顔を上げると目があった。けれど、それもつかの間で、すぐに目を逸らされる。
「相変わらずだね。さて、ここでは何だし、少し話をしないかい?徹はあとからでもいいから。」
光樹の次は柊木様か。軽々とお姫様抱っこをされて、車椅子に乗せられる。光樹も、あとから続くけれど、お父様が来ないのは何故だろう。
体を捻って、後ろを振り向いた。お父様は、塔子様の眠る棺の前で、ただ、立っているだけだった。