3 自殺少女は名前で呼びたい
名前で呼びたい
「おかえりお兄ちゃん!」
買い物をしてから彼女と家に戻るとそう嬉しそうに出迎えてくれた妹の橋本和泉は僕の隣の彼女を見て首を傾げる。
「お兄ちゃんの彼女?」
「えっ!?いや、私はその・・・」
「近いけど遠いかな。それよりきちんと宿題終わったのか?」
「終わったよー、退屈してたからお兄ちゃんとゲームやりたかったんだけど遅いんだもん」
「そっか、それは悪かった。代わりにこのお姉ちゃんが相手をしてくれるからな」
そう言うと驚く彼女に僕はそっと言った。
「ご飯の準備の間だけお願い。妹に付き合ってくれるだけでいいから」
「そんなこといきなり言われても、私子供にどう接したらいいかわからないんですが」
「大丈夫。黙ってても弾丸のように喋るから」
そんなことを話していると、和泉は彼女の手を引いて言った。
「お姉ちゃん、遊ぼう」
「え、あの・・・」
「最近格ゲーにハマったからやろうよ。お兄ちゃん無駄に強いからお姉ちゃんとやってみたい」
「格ゲーってなんですか?」
そうして離れていく二人を見てから僕も夕飯の準備に入る。
「あの・・・橋本くん」
しばらくしてから抜け出してきたのか彼女が台所に入ってきた。僕はそれを見てから聞いた。
「今なら好き嫌いのリクエストできるけど、食べられないものってある?」
「えっと、マヨネーズとドレッシングが苦手です」
「カロリー的なもので?」
「いえ、単純に好き嫌いです」
その言葉に思わず笑ってしまう。僕もどちらかと言えばマヨネーズやドレッシングといった加工品はあまり好きではないのでよく感性があう。
「野菜は食べれるの?」
「生は苦手ですが、煮てあれば大丈夫です」
「そう、他には?」
「特には・・・って、いやそんなことを聞きにきたわけではなくて、橋本くんにお願いがあったので来たの」
「お願い?」
「その・・・この後お母さんも帰ってくるのですよね?それに妹さんもいるのであまり名字で呼ぶのは固すぎるというか・・・だからその・・・」
ふむふむ。つまり彼女としては呼び方を変えたいと。ならば
「好きに呼んでくれても構わないよ。名前でもなんなら愛称をつけてくれても構わない」
「愛称ですか?」
「クラスメイトだと橋本から取って『はっしー』とか。のぞみから取って『のぞみん』とかかな」
「はぁ、なるほど」
いまいちしっくりこないみたいだ。
「それなら、いっそのこと僕も君を名倉さんとは呼ばずに名前で呼ぼうか。恵だったよね?」
「ふぇ!?」
「どうかしたの?」
「あ、あの・・・私男の子に名前で呼んでもらうの初めてでびっくりしちゃって・・・」
なるほど、かなり初だな。可愛いけど。
「そっか、ちなみに僕も女子に名前で呼んでもらったことないね」
「そうなんですか?橋本くんモテそうなのに・・・」
そう言ってから慌てて口を塞ぐ彼女。おそらく僕が小、中学生と虐められていたという話を思い出したのだろう。そんな彼女に僕は微笑んで言った。
「気にしないで、あ、あと虐めの件は母さんと和泉には内緒にしてね。二人は知らないから」
「知らないのですか?」
「秘密にしてたからね。まあおそらく母さんには勘づかれてそうだけど」
母親というのは鋭いところがある生き物だからね。まあ、それでも隠したい事実というのは世の中いくらでもある。そんな僕の言葉に彼女はすこしだけ寂しそうに笑った。
「橋本くんも大変だったんですね」
「むしろこれからが大変だよ。社会に出れば理不尽なことなんて一杯あるからね」
「そうなんですか・・・私の悩みも小さいものなんでしょうか」
「そんなことはないさ。女の子はただでさえデリケートな生き物だからね。僕達男とは悩みの質が違うからね」
男女平等とは難しいものだ。そもそも男と女では根本的に違う生き物と呼んでいいのだから。男の悩みのほとんどはモテないことと、人間関係だろうけど、女はそんな優しい悩みではない。身体的な悩みや生理、さらに男より早くに異性を意識する賢さも悩みの種となりえる。僕は決してフェミニストではない。だけど、自分の価値観と社会や個人の価値観を天秤にかけることくらいならできる。
「ま、これからはいつでも頼ってよ。恵のためなら出来ることはするから」
「橋本くん・・・ありがとう」
「お礼するなら呼び方を変えて貰えると嬉しいな」
そう言うと彼女は少しだけ恥ずかしそうにしながらもその名を口にした。
「ありがとう、のぞみくん」