第31章:母親
数日後、木戸商事へ再び打ち合わせに行く事になった。
本来の担当者である細川は外回りに行ってから直接行くと伝言があった為、優と舞は2人で木戸商事へ向かう。
無事に打ち合わせが終りビルを出ると、すでに陽は沈みサラリーマンやOLが帰宅する為か忙しく歩いている。
優と舞は打ち合わせが終ればそのまま直帰する予定になっている為、細川と別れて駅へと大通りを歩いていた。
舞はふと前からこちらに向かって歩いてくるひとりの女性に目が止まった。
ガラの悪そうな、いかにもチンピラといった感じの30代後半ぐらいの男性と腕を組んで歩いている。
最初は遠くてよくわからなかったが、近づいて来るにつれその女性が誰なのか確認できるようになると、 舞は体が硬直し顔を下に向けたままその場を動けなくなった。
急に立ち止まった舞に優はこちらを振り向き
「どうしたの?」
優の問いかけにも舞は答えることができない。
優がもう一度舞の名前を呼んだ時、前から歩いてきた女性が舞の横を通り過ぎようとしていたが、 舞の名前を聞いて立ち止まり振り向いた。
女はジッと舞の方を見ている。
「……舞、……舞なの?」
女は確認するかのように舞の名前を呼んだ。
「驚いた。こんな所で会うなんて……」
「…………」
「あら、もしかして私の事忘れたの? 薄情な子ね」
舞はようやく女の方をゆっくりと振り返った。
「…………お母さん……」
舞がお母さんと呼んだその女は47歳になったとは思えない程若く見えた。
母親である美樹の隣に居た男は、舞の言葉を聞いて心底驚いた様子だ。
「美樹、お前子供いたの?」
「えぇ、19の時に生んだのよ。もうずいぶん会ってなかったけど……、何年ぶりかしら、 10年以上経っていると思うけど……、ハハハッ……忘れちゃった」
自分の娘との久々の再会だとは思えない程どうでもいいといった態度だ。
「あんた、今何処で働いてるの?」
美樹の問いに舞は社名を答えると
「ずいぶんといい所に就職したのねぇ」
美樹は舞を観察するように見た後、その目線を優の方へと移し、頭から足の先を品定めするように見た。
「いい男ねぇ。もしよかったらうちの店に遊びに来ない? いい子がたくさん揃ってるわよ」
甘ったるい声を出しながら美樹はバックから名刺を出すと優に渡した。
名刺には“クラブ ルージュ”と書いてあり、美樹が経営しているお店だった。
「あなたは、舞の彼氏?」
「はい」
短くハッキリ答える優に美樹は面白そうに笑い
「じゃ、あなたは知ってるのかしら」
美樹は舞を一瞥すると
「この子が母親の男を寝取った事があるってこと」
舞は美樹の言葉に顔を強張らせた。
「ねぇ、舞。そうだったわよね」
舞は下唇を噛みながら横を向いた。
なんで、こんな所でそんな事を言うの……。
美樹の貶めるような言葉に舞は怒りが込みあげてきた。
「あなたも気つけた方がいいわよ。何をしでかすかわからない子だから」
美樹は優に向かってニッコリと笑うと、一緒にいた男の腕に自分の腕を絡めてその場を去って行った。
「……舞」
気遣うような優の言葉に舞は泣き出したい気持ちを必死に押さえていた。
そして、優の言葉が聞こえなかったように舞は黙ったままゆっくりと歩き出す。
その後を追うように優が舞の肩に手をかけた。
「……舞!」
舞は優の手を振りきり逃げるようにその場を走り去った。