第23章:デート
日曜日、良太との約束は16時だった。
アパートまで迎えにくると言っていた良太から、到着を知らせるワン切りコールが舞の携帯に鳴った。
部屋を出ると、良太は車のハザードを付けたまま歩道でタバコを吸っていた。
「どうぞ、お嬢さん」
舞が良太の近くに来ると、良太は助手席のドアを開けにこやかに言った。
その仕草はとても慣れている様子で、女性との噂が絶えないのもうなづける気がした。
助手席のドアを閉めると、良太はタバコを一口吸って携帯灰皿でタバコを消してから運転席に乗込んだ。
「さぁ、行こうか」
良太は車を発進させ、高速道路へと向う。
「何処に行くんですか?」
どこへ行くのかを知らされていなかった舞が良太に聞くと
「とりあえずドライブかな。ようやく舞ちゃんとデート出来るんだから、ふたりっきりの時間を大切にしたいからね」
歯の浮くような台詞を口に出されて舞は少し恥ずかしくなったが、そんな舞の様子を気にする事も無く楽しそうにしている。
「それと、今日は新見主任ってのはなしだよ。前みたいに下の名前で呼んで」
舞は会社に入るまで良太の事を下の名前で呼んでいたが、さすがに会社で『良太さん』と呼ぶわけにはいかず名字で呼ぶようになり、今に至っている。
「でも……」
「デートなんだから堅苦しい呼び方はなし。ね、舞ちゃん」
顔は笑っていたが、有無を言わせない目で見られ舞は仕方なく頷いた。
2時間程車を走らせ、夕食を済まて時計を見ると19時を回っている。
夏が終わり、秋が訪れ始めているこの時期、太陽はすっかり顔を隠し街灯に明りが灯っていた。
「そろそろいいかな」
良太は辺りが暗くなっているのを確かめるようにして言い、車に乗込んだ。
「今度は何処に行くんですか?」
「ん? いい所だよ」
しばらくすると、良太は何処かの駐車場に車を止めた。
「着いた。ここから少し歩くから」
良太に促され車を降り、肩を並べて歩く。
近くには川が流れているのか、川のせせらぎが聞こえる。
そして、川に架かっている橋の近くまで来ると良太は舞の方を向き
「舞ちゃん目、瞑って」
「えっ、目を瞑るんですか?」
良太が何をしようとしているのかわからず、どうしようかと迷っていると
「ほら、早く!」
その言葉に仕方なく舞は目を瞑る。
「いいって言うまで目を開けちゃダメだよ」
良太は舞の手を握ってゆっくり歩き出す。
目を瞑っているから周りが見えない舞は、良太に引かれるままおそるおそる歩く。
ほんの少し歩くと、川のせせらぎが先程より近くに聞こえてきた。
立ち止まると良太は舞の後ろから両肩に手を置いて
「開けていいよ」
良太の言葉に舞は目を開けると、息を飲んだ。
そこは、川縁に数えきれない程の灯籠が地面に置いてあり、真っ暗な闇の中をやさしく包み込んでいた。
距離にして1キロ以上あるだろうか。
舞の立っている橋の上から見下ろすその光景は、電気の明りに慣れている舞にはとても幻想的に見えた。
「きれい……」
「この辺りの地域は観光に力を入れていて、これもその一環なんだ。毎年この時期の土日だけ、川縁にたくさんの灯籠を置いて秋の夜長を楽しませてくれるんだ」
良太は舞の顔を覗き込み
「気に入った?」
「うん。こんなにたくさんの灯籠を見たのは初めて」
「じゃ、下に降りてみる?」
「下に降りれるの?」
良太は舞の手を繋ぎ歩き出した。
川縁に降りると、橋の上から見るのとはまた違って異世界へ迷い込んだような気分だった。
たくさんの灯籠で作られた回廊歩いていると、灯籠の優しい光に包み込まれ不思議と気持ちが和らいでいく。
「少し座ろうか」
良太の言葉に舞は辺りを見渡すと、所々にカップルが腰を下ろして愛を囁きあっている。
舞も良太に促され近くの土手に座った。
秋を感じさせる風がやさしく舞の頬を撫でる。
川のせせらぎと共に鈴虫の鳴き声が聞こえ、毎日の日常が嘘のように穏やかな時間が流れていく。
しばらく間、灯籠が作り出す幻想的な風景を眺めていると、良太は繋いでいた舞の手の指と指の間に自分の指を絡めてきた。
灯籠が作り出す幻想的な空間に入り込んでいて、良太と手を繋いでいる事すら忘れていた舞は、急に手を絡めてきた事に驚いて良太の方を振り向いたが、良太は真っすぐ前を見つめているだけだった。
「良太さん……?」
舞の呼びかけに良太は振り向かず前を向いたまま
「俺なら舞の事、守ってやれる」
舞は心臓が飛び出るかと思うほどドキッとした。
良太に舞と呼び捨てにされたのが初めてだった事と、前を向いたままだったがいつもの良太らしくない真剣な表情をした横顔。
そして脳裏に浮かんだ結衣の言葉。
『良太さん、絶対舞に本気だよ』
息を飲んだまま舞は良太の顔を見つめていた。
良太は舞の方を振り向くと、まっすぐに舞の瞳を捕らえて離さない。
「ずっと、舞だけを見ていた。だけど見守るだけではもう満足できない」
良太は絡めた手を上げ舞の手にそっと口づける。
それは、唇を重ねることよりも悩ましい感覚を舞に与え、静かな川縁では大音響で聞こえてしまうのではないかと思うほど、心臓が激しく高鳴りだしていく。
舞は必死でその感覚を振りほどこうと、回らなくなり始めていた頭の中で言葉を探した。
「どっ、どうして……、私なんか……」
良太はふっと笑うと
「どうしてなんだろうな。ときどき見え隠れする舞の陰が俺を惹きつけるのかも」
「陰……、ですか……?」
「気づいてないだろうけど、舞は顔が笑っていても目が笑ってない。心の奥から笑っているのを俺は見た事が無い。ふと見せる表情はどこか悲しげで、見ていてこっちが切なくなる」
「そんなこと……」
「きっと、舞の歩んで来た人生がそうさせているんだろう。俺なら舞の背負ってきた人生を全て受け止める事が出来る」
舞は目を見開いた。
私の人生……。
この人は何を知っているのだろうか……。
まるで、自分の過去を全て知っているかのように聞こえる。
「私の……、何を知っているっていうんですか?」
「人はね、今まで生きてきた人生の年輪が顔や雰囲気、性格に本人も気がつかないうちに刻まれていくものなんだよ。それは、隠そうとしても決して隠しきれるものじゃない。いままで舞に惹かれた奴らもきっと舞のそうゆう陰の部分に無意識のうちに惹かれたんだろう。守ってあげたいってね」
良太はやさしく舞を包み込むような瞳をしている。
舞はようやく良太から目をそらすように下を向いた。
「守ってあげたいなんて……、言われたことない……」
「それは、舞が頼ろうとしなかったからだろ。もっとも、頼ろうと思えるだけの包容力が相手になかったとも言えるけど」
舞は瞼を閉じた。
なぜ、人は相手の心に入りたがるのだろうか。
どうして放っといてくれないのだろうか。
私は一人でやっていけるのに……。
「人は1人では生きていけないんだよ」
良太はまるで舞の心の声を聞いていたかのように話し始めた。
「相手の陽の部分も陰の部分も全て受け止めて初めて人は愛情を感じる事ができる。人に頼る事は決して悪い事じゃない。その勇気を持っているかどうかで人の人生は大きく変わる。すぐにとは言わない。だけど、ほんの少しでいい。俺に心を預けてみないか?」
「…………」
「それとも……、杉原の事が気なる?」
優の名前が出てきた事で、舞は顔を上げ良太を見た。
どう答えていいのかわからなかった。
気になるかと聞かれても優は涼子と付合っている。
優に甘い期待をしていた自分がいたが、見てはいけない夢だ。
舞は首を横に振ると、良太はクスッと笑って
「嘘はいけないよ。全身でアイツの事が気になるって言ってる。まずは、自分の心に素直になることを覚えないとな」
良太は舞の前髪をかきあげると、額にそっとキスをし、自分の方へと抱きしめた。
「辛い時はいつもで俺の所においで」