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見切り発車で書いてしまいました。更新はだいぶ遅くなりますが、よろしくお願いします。

 

 風が泣いている。夕焼け空も、海も、みんなみんな。

 西村雪は、テトラポットに腰かけて真っ赤に濡れた指先を伸ばした。世界が赤で溢れる。たらり、と指先を流れた赤は、雪の白く細い脚にぽた、ぽたと線を作っていく。空気も、涙も、やっぱり赤い。

「今日は終わってゆくのに、どうして私は終わらないの」

 苦しみ、怒り、絶望。全てを込めた言葉もやっぱり、世界を塗りつぶす赤に吸収された。

 

 風が叫ぶ。


 雪の、緑の黒髪が揺れる。三年間、一度もはさみを入れていないその髪は、腰のあたりまで伸びていた。長い髪は日に焼けることも、抜け毛すらない。誰もが認める美しさだ。だが雪にはそのような周囲の評価など関係なかった。髪が伸びる度、伸びて己を隠す度、安心を与えるだけのもの。言わば鎧だ。姿を隠し、顔を隠す。相手にこちらが見えないということは、こちらも相手を見なくていいということ。ならばもう、取り繕うことも、陽気な人間を演じる必要もない。


――ピエロはもううんざりだ。


 風で揺れた前髪の間に、白い額がのぞく。遮るものがなくなった視界には、赤く染まった世界が広がっていた。

 雪はふとテトラポットの上に立ち、前のめりに海に飛び込んだ。


――終わらないのなら、私が終わらせる。


 鼻から、口から海水が入り込む。案外苦しいものだと思いつつ、雪は意識を手放そうとした。が、失敗に終わる。体が水面へ浮上していくではないか。既に回らなくなった頭でぼんやり思う。


――神様ってドSなんだな。


「ゲホッゴホッ――」

「大丈夫ですか!? あぁビックリした。目の前で人が海に落ちるから」

 海岸に引き上げられた雪は、目の前のやたらキラキラした男を恨めし気に見やる。

「あれ……腕、血だらけじゃないですか! 止血、いやその前に洗いましょう。立てますか?」

 雪と同じ高校の制服を着たこの男には見覚えがあった。校内で騒がれている人物。いつも人に囲まれていたのを覚えている。爽やかで物腰柔らかな、人好きのするタイプ。正直、雪の苦手な人種だ。そもそも得意な人種などは皆無であるが。

「いや、いい。帰る」

「え、いやちょっと! 待ってください西村先輩!」

 雪はピタリと立ち止った。この男は何故私の名前を知っているのだろうか、と。教えた覚えはないし、雪は学校で目立つような人間でもない。

 海水でベタベタと張り付く髪をかき分けながら振り向く。

「名前……」

「あ、俺は一年の中島湊人です」

「知ってる。なんで私の名前知ってるの」

 男――中島はきょとん、とした表情で目を瞬かせると、

「先輩だって俺の名前知ってたじゃないですか」

 整った眉を僅かに下げて困ったように笑う。

――あんたのこと知らない奴なんて、うちの学校にはいないだろ。

 面倒くさくなって、雪は中島に背を向けて歩き出した。海水を吸った制服がだいぶ重い。

「先輩! 待ってください」

 雪は振り返らずに歩き続ける。

 すると、後を追ってきた中島は雪の肩を軽く掴んだ。

「その格好で帰る気ですか」

 少し怒ったように言う中島の視線の先には、海水に濡れて下着が透けている雪の制服。確かに、花柄のブラジャーが見えてしまっている。これではいくら雪の髪が長いといっても隠せないだろう。

「あ――。家近くだし、気にしなければ問題な……」

「先輩に、恥じらいは、ないんですかっ。それともアレですか? 貞操観念が薄いんですか? 先輩はいつからそんなにふしだらになったんですか!」

 よほど怒っているのだろう、頬を軽く上気させ肩で息をする中島に、雪は冷めた視線をよこす。何故、今日初めて会話した男にここまで言われなければならないのか。そもそも、「いつから」も何もこの男は雪のことを何も知らないはずだ。

――違う。こいつ私の名前知ってた……。

「俺の上着貸しますから」

 中島は、海に入る前に投げ捨てたのであろう砂浜の上のカバンから、学校指定のニットのカーディガンを引っ張り出す。

「いや、私濡れてるし。血付くし」

「もう夕方ですよ? そんな恰好で歩いていたら襲われますよ!?」

 雪は中島の言葉を鼻で笑う。

「むしろ君が気を付けたら? 私が男なら残念な女より綺麗な顔した男を襲うね」

 今の雪の格好は、濡れた長い髪が顔に張り付いて、貞子なんだかワカメ被ってんだかわからなくなっていた。

「はぁ……。あんまり聞き分けないと今ここで襲いますよ?」

 急に真顔になり低い声を出す中島に、雪は怯えるどころか笑いが込み上げてきた。

「ふ……はははっ。う、ウケる。犬にしか見えない」

 正直、雪には中島がやけにコミュ力の高い大型犬にしか見えなかった。

「ゴールデン……っ」

 肩を揺らして笑いこける雪に、怒り出すと思っていた中島は何故か納得したような、呆れているような溜息をついた。

「本当変わんないな雪ちゃんは。勉強のできるバカのまんまだ」

 治まらない笑いのせいで、中島の呟きが雪には届かない。

「ほら、先輩! さっさと着て下さい。帰りますよ」

「はぁ~ぁ。笑った笑った。じゃあコレはありがたく借りる。でも、私はまだここに居るから」

「却下です。先輩は今すぐ帰って風呂に入るんです。はい――」

 中島がカーディガンを雪に着せ、荷物を持つ。

「……案外強引だね、君」

「先輩は本当に世話が焼けますよね」

 中島という男は案外、口が悪いようだ。しかし、雪はそれをどこか懐かしく、心地よく感じた。

「で、中島は何でついてくるわけ」

 びしょ濡れの貞子と綺麗な男が並ぶと、中々恐怖を煽る図だ。中島は長い脚を駆使することなく、雪の隣を無言で歩いている。

「俺もこっちなんで」

「この道毎日通っているけど、君を見かけたことないんだけど」

「先輩いつも本読みながら歩いてるじゃないですか。俺は毎日見かけてます。あと、ながら歩きは危ないのでやめてください」

 年下のくせに、中島はやたら世話を焼いてくる。他の誰かに言われたなら苛立つ言葉も、中島が言うとそうでもなくなる。それどころか、いつだってある孤独感が埋まっていくような気さえする。

「中島って――」

「あ。お姉ちゃんお帰りー」

 いつの間にかそこは家の前で、庭の花壇に水を撒いている妹に出迎えられる。

「茜、ただいま」

「あれ、湊人君も一緒だったんだ。まぁ、家隣だもんね~」

「は?」

 この際、妹のスルー技術はどうでもいい。隣、というのはこの立派な洋館のことだろうか。中島はそこの住人だと?

「先輩、早く風呂入って来てください。風邪ひきますよ」

 中島は表情を消して洋館に入って行った。

 ――茜のスルーもアレだが、中島も普通に茜のこと無視したな。

「お姉ちゃん。湊人君と仲良いの?」

「別に。それより、アイツは今日もいるわけ」

「環君? いるよ~。夕食もうちで」

 環は雪の幼馴染で一つ年上の高3。右隣の家に住んでおり、西村家で食事をとることなど日常茶飯事だ。それが雪には苦痛であるのだが。



「環君、今日のご飯茜が作ったんだよ!」

「へぇ! 凄いな。聡子さんの味とおんなじだ」

 食卓では恋人同士のイチャつきが始まる。ちなみに聡子は雪と茜の母の名で、両親は二人を温かい目で見ている。

「茜は料理上手だな。家事も完璧だし」

 妹が大好きな父と。

「本当に。庭の花もきれいよね~」

 同じく妹を溺愛する母。

「雪も茜に習って料理してみたら?」

 妹の恋人で雪の長年の片思いの相手の環。

「でも、お姉ちゃん不器用だからねぇ」

 皆に愛されて、温かい場所で場所で笑う妹。


 ――本当、疲れるよなぁ。

 食事が終わると、雪はトイレに向かう。食べた物を吐くために。

「オェ……ゴホッゴホッ」

 雪は家で食べる食事が嫌いだった。皆が笑って食べるから。

 雪は家の花壇に咲く花が嫌いだった。皆が笑って愛でるから。

 どこにも居場所がない。雪はいつだって孤独を抱えているのに、食事も花も愛されている。誰も雪を見てはくれない。

 雪は、皆が嫌いだった。

「あぁー。マジじんどい。中島が邪魔しなきゃ今日はなかったのに」

 そういえば、と雪は思い出す。中島は雪の明らかな自殺未遂も、自傷の痕も追及しなかったと。

「変な奴」

 世話焼きのおせっかいで、犬みたいな後輩。それでいて、隣はもの凄く居心地が良い。中島のそばにいたら、居場所を見つけられるのだろうか。生きるのが辛くなくなるのだろうか。

「……ないな」

 洗面所で顔を洗い、雪は少しだけ軽くなった体をベッドに沈めた。

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