087_なっちゃんのシチュー ⑤
バルチ様の今日の一言
こんにちはー、バルチだよ。
みんな、カブトムシって知ってる? 角が生えてて、ピカピカしているのっ。今日ね、じーじと山に行った時に木にくっついてるのをじーじが見つけたんだよ。
じーじは「おお、こっちのカブトはでかいなぁ」って喜んでた。
おやつの甘い果物をあげたら喜んで食べてたよ。また会いたいなぁ~。
いつの時代も、新しく綺麗な物に最初に飛びつくのは女性である。
食事だってそうだ。外国の有名デザート店が日本に初出店した時を考えるといいだろう。
最初の数日は男女の比率にそうは違いがないが、しばらくすると圧倒的に女性比率が上がるはず。
得てして男が食事に求めるものは、味より何よりボリュームなどの『満腹感』だと思われるが、それに対して女性は、見た目や味、それに目新しさなどの『満足感』を求めるだろう。
飲食店の成功のコツはいかにして女性客を掴むかにかかっていると言っても過言ではないだろう。
◇
「注文は入りま~す。焼肉2つに野菜炒め1つに、焼き魚定食1つお願い。4個ともご飯大盛りで~」
「カツ丼と日変わり定食3つ。日変わりは2つがパンで、カツ丼は大盛りでお願いね」
翌日のノニの食堂は、あいも変わらず大盛況だった。店の中はほぼ満席で、焼肉や日変わりを中心にした定食類や、丼物が良く売れている。
この世界では腕時計や携帯電話といった、我々が当たり前のように持っている時間を計る道具を持ち歩いている人はいない。
ぜんまい等の細かい機械技術が未発達であるこの世界で時計を作り出そうとしたら魔法の力に頼るしかなく、1つ作るにもかなりの大金と時間がかかるのだ。
それらは貴重な魔道具として市庁舎の外壁やギルド会館内部に大切に掲示されている。そもそも、これらのサイズは一抱えもあり個人で持ち運ぶことなど、とてもじゃないができやしないのだが。
その為お客さんは、それぞれが勝手気ままなタイミングで来店することになる。朝食と併せて少し早い時間に来店する者もいれば、逆に混雑を避け少し遅めに来店する者もいる。しかし、そんな中にもピークがあり、それが今であった。
次々に注文が入っていく中、ナチャのシチューはやっぱり誰も注文しない。それはいつもと変わらない風景であったが、たった1つだけ大きく変わっていることがあった。それは、シチューのセット価格が800から1200に変更されていたことである。
ナチャは今朝、ノニの店に来る前に牧場に立ち寄り、牧場長たるセリオに昨日あった出来事を彼女なりに丁寧に説明し、このままではいけないのではないかと自分の考えを話し始めた。
何度もつかえり、考え込む場面があったが、セリオは途中で何回か相槌を打つだけで辛抱強くナチャの言葉を聴いていた。その場に居合わせたのは、今ではセリオの付き人のように付き従っているロイカだけだった。
「ですので、今まで花ちゃんの牛乳を無料で頂いていましたが……、これからは代金をお支払いします……。でも、ナチャ……、そんなにお金を持っていないので……、今まで頂いた分の代金は、少し待ってもらえませんか……。必ずお支払いしますので……」
「ナチャさんのお話は良く分かりました」
自分から話しかけることはなく、聞き手に徹していたセリオだったが、最後のナチャのお願いには何も答えることはなく、自分の執務机から一冊のノートを取り出した。
「最初に私がしなくてはならないことは、あなたに謝罪することでしょう。牧場長として、1人の大人として、ナチャさんに謝罪します」
「えっ……」
驚くナチャと目を見張るロイカの前でセリオは深々と頭を下げ、そのまましばらくの間、頭を上げることはなかった。
引退したとはいえ、セリオ=ザリオスは王国の元男爵である。名馬の名産地として名を馳せるザリオス領の領主は現在も実の息子務めており、大きな影響力を残している王国貴族だ。
その彼が小さな少女に対して頭を下げたのだ。それには、公国の名門貴族出身のロイカは声が出ないほど驚いた。それほど貴族という生き物は、プライドを大事にしているのだ。
ゆっくりと頭を上げたセリオは取り出したノートを誰もが見えるように開くと、そこには、誰が、いつ、どれだけ働いていたのかが詳細に記載されていた。
「私もナチャさんに言われて初めて気がつきました。ナチャさんの善意をそのまま受け取って、あなたの勤労に対する対価を支払っていませんでした。この牧場を預かる責任者として失格です」
セリオは約一ヶ月前の記録からナチャが『お手伝い』していた時間を計算していく。
「今までナチャさんが受け取った牛乳の代金については結構です。そもそも請求しなかったのは私たちの方ですから、いまさら代金を求めることはできません。それに、今までお手伝いして頂いた分については、給金をお支払いします。時給については、これ位でよろしいでしょうか」
「えっ、こんなに頂くことはできません……」
セリオが提示した金額は、ロイカが受け取っている時給の5割増しに近い数字だった。ナチャとしても今まではお手伝いとして、空いている時間に自分にできることしかやっていないのに、こんな額を受け取るわけには行かない。フルフルと顔を振って、断ろうとした。
「ナチャさん、あなたは自分の力をもっと信じることです。あなたがこの牧場にもたらしてくれているのは、誰にも替えが利かない仕事なんですよ。それだけ私たちはあなたに期待しているのです」
「でも、こんなに貰っちゃって……、大丈夫ですか?」
セリオが計算した今までの勤務時間と提示された時給を暗算し、自分が受け取るであろう今までの賃金を予想してナチャは躊躇していたが、セリオはいつもの穏やかな表情でゆっくり頷いた。
「心配しなくても、大丈夫です。その代わり、ナチャさんには今までよりそのお力を頼りにさせて頂きますが大丈夫ですか? もちろん、ノニさんのお店を優先して頂いて結構ですが、それ以外の時間で余裕がある時は、今まで以上にお声をかけさせて頂くかもしれません。
そして、これからは牛乳についても代金を頂くことにさせて頂きます。金額については、ナチャさんが自ら搾ってくださるのでしたらその間も勤務時間として換算させて頂きますので、それで良いでしょうか。もちろん、かまどなどの施設は自由に使ってくださって結構です」
「はい、大丈夫です……。わたしにできる限り、がんばりますっ」
ぎゅっと拳を握り締め、可愛らしく気合を入れたナチャに、セリオはずっしりと硬貨が入った皮袋を手渡した。中には今までの労働に対する対価が円に換算され入っている。
「それでは……、今日も花ちゃんの牛乳を頂いて……、ノニさんのお店に行ってきます……。明日から、よろしくお願いします……」
「はい、こちらこそよろしくお願いしますね」
ペコリと頭を下げそのまま部屋を出て行くナチャを見送りながら、セリオは隣にいるロイカに静かに語りだした。
「ロイカさん、先ほどの金額を見て貴方はどう思いましたか?」
「正直、多いなと思いました。それに対して私は、自分のことが情けなく思いました」
提示された金額は能力の差であることがロイカにも分かっていたのだ。ナチャができてロイカができないことは数多いが、ロイカができてナチャができないことは、力仕事を除けばそれほど多くない。
「ナチャさんの動物と心を通わせる力は天性の物で、彼女にしかできない仕事が沢山あります。その分、給金が高くなるのは仕方がないことです。
ロイカさん。貴方の素晴らしい所は不平不満を口や態度に出さず、何事にも真摯に取り組むその姿勢です。今のロイカさんは騎手としても調教師としても未熟で任せられる仕事も限られますが、すぐに1人前になれるでしょう。そうすれば仕事の幅も広がりますし、給金も上がります。もちろん、これからのあなたの心がけ次第ですが」
「はい、これからもよろしくご指導お願いします」
セリオは机の上に出したままの勤務ノートを閉じ、引き出しの中にしまった。
「実を言いますとね、幼いころの私は馬に大層嫌われていのですよ。当時の私は馬の気持ちを理解しようともせず、傲慢な騎乗ばかりしていましたからね。ですから、必死に馬の気持ちを理解しようと努力している貴方なら、私をも超える名騎手になれると、私はそう確信しているんですよ」
「そんな、でも、本当でしょうか」
それには答えることはなく、セリオはナチャが出て行った扉をゆっくりと押し開いた。
「ロイカさん、馬たちが待っていますよ。さあ、行きましょう」
「はいっ」
ショートカットの髪を揺らし、目を輝かせながら、ロイカは先を歩くセリオの背を目指し駆け出すのであった。
ノニの食堂ではピークが過ぎ、ポツポツと空きテーブルが見られるようになっていた。相変わらずナチャのシチューは人気がなく、まったく減っていないシチューが入った鍋をナチャがゆっくりとかき混ぜている。
少し余裕が出てきた店内では、お姉さんたちがそんなナチャの様子を心配そうに見ていた。結局今までのところ、ナチャの客と呼べるのは、昨日の変わった商人ただ1人しかいなかったのだ。
その時、ノニの店には珍しく女性の3人組みのグループが来店したのだ。どことなく見覚えのある制服を着ており、この辺りでは見かけない顔だった。
「こちらへどうぞ」
女性店員の案内に従い窓際に近い席に案内された女性客は、店内の様子を物珍しそうに眺めている。
「どうぞ、こちらがメニューとなります。分からない料理がございましたらご説明させて頂きますので、何でもお聞きください」
「あら、ありがと~」
人数分の水とメニューを手渡し、店員は側に控えている。流石に初顔の、しかも女性のお客様に対して、料理を進めたりはしなかった。
「えっと、こちらで『なっちゃん』って子が作ったシチューが食べれるって聞いて来たんですけど」
「うん。私もそのシチューがいいわ」
「私も、私も」
しかしその女性客たちはメニューを開くことなく、ナチャのシチューを注文していく。それを聞いて店員だけでなく、店の中の男性客たちもが驚いたようだ。
「おい、止めておけって。ただのシチューのくせに1200もするんだぞ。ほかの定食なら800で腹いっぱいになるのに」
「そうだ、そうだ。誰も注文してないんだから、止めといた方がいいって」
「良いじゃないの、私たちが何を食べても。ほっといて頂戴」
「確かに1200はちょっと高いけど、出せない金額でもないわ」
何人かの顔見知りが口々に忠告するが、彼女たちは注文を止める気がないようだ。
「お客様、なっちゃんのシチューはお1人1200になりますが、よろしいでしょうか? よろしければ、パンか白飯のどちらにするかお選びください」
「全員なっちゃんのシチューで良いわ。そのために、わざわざギルド会館から来たんですから。そうね、私はお米にするわ。まだ一度も食べたことがないもの」
「うん、私もお米のご飯にするわ」
「それじゃ、私もお米で~」
そう、彼女たちはギルド会館で働く女性職員たちである。昨日、トマネがあれだけ絶賛していた『なっちゃんのシチュー』がどんな物か早速試しに来たのだ。
そんな彼女たちにとって、1200という値段も、周りの男性客の忠告も、何の障害にもならなかった。
「それではすぐにお持ちします。少々、お待ちくださーい」
気が変わって注文が変わらないようにと、店員のお姉さんは飛ぶような勢いで厨房へと姿を消したのであった。
「なっちゃん、シチューの注文が入ったわよっ。それも3名分も。頑張ってねっ」
「……っ!?」
急に声をかけられてびっくりしたのか、鍋をかき混ぜていたナチャの肩がびくりと震えた。慌てるように、今まで火に掛けゆっくりとかき混ぜていた鍋を一度火から下ろし、お盆とシチューを盛る平皿を用意する。
その頃には他のお姉さんたちが定食セットの小鉢や白飯の盛られたお茶碗を用意してくれて、ナチャの用意したお盆の上に次々と置いてくれた。
そこにナチャのシチューが丁寧に置かれ、『なっちゃんのシチューセット』が完成する。
「頑張ってねっ」
「うん……、ありがと……」
緊張でギクシャクとした動きで、シチューが載ったお盆を運ぶナチャ。相変わらずこの子はプレッシャーに弱いが、決してそこから逃げ出さないのは、心が強い証だろう。
そんなナチャを先頭にフロア担当のお姉さんの手を借りてお客さんの前に進み出ると、女性客はびっくりしたようだ。
「とても熱いので、火傷に気をつけてください……」
そっとお盆をテーブルに置くと、ペコリと頭を下げる。
「……貴方が、なっちゃん?」
「……はい」
3人の視線を浴びて、ナチャはほんのり顔を赤らめた。下がるタイミングを逃し、もじもじと手をこねくり回している。
「ご心配しなくても、大丈夫ですっ。見た目は小さい子ですが、とってもお料理が上手い子ですから」
「そうです。もし、お口に合わなかったら御代は結構ですから」
そんなナチャの肩を、手伝ってくれたお姉さんたちがギュッと抱き寄せてくれた。彼女たちも賄い料理で食べたナチャのシチューの、熱心なファンなのだ。
「うん。まずは食べてみないとね。それでは頂きます」
「頂きますね」
「いただきま~す」
彼女たちはスプーンでシチューを掬い、それぞれ口に入れていく。その途端、ふわりと広がる牛乳の味とチーズの香りに、一瞬で虜になってしまった。
「何このスープ、すごい美味しいんだけどっ!」
「わたしの知っているシチューとは、まったくの別物よ。これ、中にチーズが入っているのね? 凄い濃厚だわ」
「具の野菜もみんな美味しいわよ。中のお肉も、わざわざ燻製にしてから入れているのね。少し塩気があって、とっても合っているわ」
お客さんたちは口々に、「美味しい、美味しい」と何度も繰り返しスプーンを動かし続けている。それを間近で聞かされ続けていたナチャは、耳まで赤くしてじっとそれを聞いていた。
あまり顔の表情を変えないナチャであるが、よく見ると眉尻がかすかに下がっていた。これは彼女が嬉しくて、ちょっと困っている時の癖だ。
「それでは……、ごゆっくりどうぞ……」
ついに我慢できなくなったナチャは、小走りで厨房へと退避して行った。
その手は微かに握り締められていたが、幸いにも誰にも見られることはなかった。
「……なあ、そんなに美味しいのか?」
女性客と顔馴染みの男客が声を掛けるが、彼女たちは食べることに夢中になっていてなかなか返事をしない。
「おい、どうなん……」
「ちょっと、静かにしてよっ。せっかくの美味しい料理なんだからっ! 貴方たちは興味がないんでしょ? だったら食べなくても良いんじゃないかしら」
彼女たちはようやく落ち着いてきたのか、シチューだけじゃなくお米や小鉢のたけのこ料理などにも箸を伸ばし始めた。
「うん、お米って初めて食べたけど美味しいわっ」
「そうね。こっちの小鉢の料理もシャキシャキしてて、癖になりそうな味ね」
「シューもとろ味があって、最後まで熱いまま食べれるのね」
店内の多くの客から視線を浴びながらも、ハリネズミのように『話しかけないでよ』オーラを全開で振りまきながら、彼女たちは米粒1つ残さず、最後まで一気に食べきった。
彼女たちはそのまま店内でくつろぐことなく、店員を呼び会計を済ますようだ。ここからギルド会館までそれなりに距離があるし、うかうかしていると昼休みがなくなってしまうからだろう。
「お一人様、1200になります」
「はい、これでまとめて払うわ」
1人の女性が代表して支払うようだ。財布の中から大きめの銀貨を一枚出すと、店員の女性に手渡した。
「どうもありがとうございました。また、よろしくお願いします」
「こちらこそ。なっちゃんにも、『美味しかった』と伝えて下さいね」
御つりを受け取り財布にしまうと、お客さんたちはニコリと微笑んだ。
「明日も、必ず来ますね」
「うんうん、わたしも来るわ」
「そうね、しばらくなっちゃんのシチューで良いわ。わたし」
男たちの視線を浴びながら、女性ながらの華やかな笑い声を上げながら店内から出て行く。それを多数を占める男性客たちが、女性客とは対照的に静かに見つめていた。
結局この日、なっちゃんのシチューを注文した8人すべてがギルド会館に勤める女性職員たちであり、ナチャに対し絶賛の嵐を浴びせかけた。
店に勤めるお姉さんたちもようやく肩の荷を降ろすことができ穏やかな空気が広まったが、その後の賄いで従業員全員に配るにはシチューが足りないことが発覚し、一気に殺伐とした空気に変じるのであった。
「絶対、美味しいって」
「え~、でも『シチュー』なんでしょ?」
昨日の女性客3人が新しい女性客3名を引き連れノニの店にやってきたのは、ピークが過ぎようとしている時間だった。そのため、いくつものテーブルに空き席が目立ち、すぐにテーブルに通してもらうことができた。
「いらっしゃいませ。こちらが……」
「メニューはいらないわ。それより、なっちゃんのシチューを人数分もらえるかしら?」
「うんうん」
よっぽど気に入ったのか、メニューすら受け取らず彼女は注文を済まそうとしたが、店員のお姉さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「なっちゃんのシチューでしたら、もうすでに売切れてしまいました。申し訳ございません」
「えぇ~っ、1人分もないの?」
「はい、残念ながら……」
そう言いながら女性店員が見たテーブルには、昨日彼女たちに声を掛けてきた男性客たちが大きな体を縮めるようにしながら、なっちゃんのシチューを掻き込んでいる姿があった。
「ちょっとっ、あんたたちっ! シチューには興味ないって言ってたのに、どういうことっ!?」
「うるせぇ、俺たちもちょっと興味が沸いただけなんだよ。
……それにしても、このシチュー美味いなっ」
ギャーギャー喚くお客たちを見つめるお姉さんの視線も冷ややかだ。彼女たちにとっても、毎日楽しみにしていた賄いで食べていたナチャのシチューがなくなってしまったのだから。
こうして、ラントス郊外の通称『八十雄ガーデン』に新しい名物が加わった。
小さな少女が丁寧に作るそのシチューは、豊かな牛乳と新鮮なチーズの風味が香る一日30食限定の貴重な料理だ。
今では昼前になると行列ができるその店で、幸運を勝ち取った客に提供されるなっちゃんのシチューを自ら運ぶその少女は、お客様の前でもじもじしながらこう言うのだ。
「とても熱いので、火傷に気をつけてください……」
今日もナチャはシチューを作る。
鍋1つ、丁寧に丁寧にかき混ぜながら精魂込めて作るのだ。
読んで頂き、ありがとうございました。




