013_神護の森へ
トリニシェール地方シリーズの開始です。
これからも、よろしくお願いします。
ラントスから南東方面には、広大な森林が広がっている。
ラ・ワールド最大の国、ランゴバルト王国の版図にも匹敵するであろうその森林は【神護の森】と呼ばれていた。
獣人族や妖精族の故郷と呼ばれ、人間族が森に立ち入るのは自殺行為であった。
神護の森は貴重な動植物の宝庫であり、一攫千金を狙って命知らずの冒険者が入っていったが、そのほとんどは戻ってくることは無かった。
ラグナス公国が興る前、ランゴバルト王国が大軍を率いて攻め込んだことがあったが、人間種が魔力を回復しにくい森林地帯であったことや、日光があまり差し込まない深き森を侮っていたため、兵士は疲弊していった。兵士のほとんどが金属鎧を身につけていたため、次第に行軍速度は落ち、隊列も延びていく。しだいに厭戦の空気が漂い始め、警戒もおざなりになった頃、森の民は襲い掛かった。
最初に攻撃を仕掛けたのはエルフ族だった。種族の全員が優れた魔法使いであったエルフ族は数々の大魔法を繰り出し、軍隊を烏合の衆に変えてしまった。
ランゴバルト王国側も統率の取れた対応を取ろうとしたが、天候すら操るエルフ族の前に為す術が無かった。
散々に打ち倒され、バラバラになった王国軍に次に襲い掛かったのは獣人族だ。
生まれながらの狩人である獣人族が昼夜を問わず襲いかかるのだ。それも人間種より身体能力が優れる獣人種が、自らの故郷である神護の森の中で。
森の中で魔法も使えない王国軍兵士は、鎧も武器も投げ捨てひたすらに来た道を戻っていった。隣で仲間が倒れようとも、断末魔の悲鳴が聞こえようとも、目をつぶり、耳を塞ぎ、必死に光を目指して駆け抜けた。
森に入り無事に戻ってこれた兵士は、10人に1人もいなかった。ほとんどの兵士は森の養分となり、帰ってこなかった。それ以降ランゴバルト王国は、神護の森に手を出すことを硬く禁じ今に至る。
八十雄は、森に近づくにつれバルチに対する反感が強くなるのではと警戒を強めていた。
実際、途中の宿で部屋を取ろうとしたら、大層な剣幕で拒否されることなど日常茶飯事。毛が落ちるから店に入るなと、面と向かって言われたこともあった。馬小屋を貸して貰えれば良いほうで、それでも通常料金を要求されたりした。
飲食店でも入店を拒否されたり、人目につかない小部屋に通されたりした。
この世界の常識に歯がゆい思いをしながら、それでも八十雄とバルチは旅を続けた。
旅を始めてから二ヶ月が過ぎようとしていた。
最近のバルチは旅にも慣れ、小動物や虫に興味を持ち始めていた。今も付近を飛んでいる蝶に目を奪われ、必死に手を伸ばしている。
「ちょうちょー」
「きれいな蝶だね~」
「きれーっ」
八十雄に抱かれバルチはご機嫌だった。街中では何があるのか分からないのでフードを深く被り顔を隠しおとなしくしているが、人気のない郊外を歩く時はフードも下げて元気一杯だ。
徒歩での旅であったが、天候に恵まれたおかげで旅程は順調だった。あと3日もすれば神護の森に到着するはずだ。『よいしょっ』と、最近、ずっしりと重くなってきたバルチを抱え直し、支える腕に力を込める。
日本育ちの八十雄にとって【森】のイメージといえば【青木ケ原樹海】や【屋久島】が精々で、それもテレビで見たのがすべてであった。ダム建設に従事していた頃は大自然溢れる険しい風景の中で仕事をしていたが、どちらかと言えばそこは【森】ではなく【山】だった。
神護の森を目にした時、八十雄は圧倒的なスケールに唸ることしかできなかった。そこは視界の端から端まで木に覆われた別世界だった。ここまで広大な森を征服しようとした人の欲望に、感動すら覚えた。
森に入る前の最後の休憩を取るため、旅の途中で聞いていた小さな村を探した。その村は神護の森の外周部に存在し、森からの恵みで生活しているらしい。もしかしたら森で暮らす獣人達の情報も掴めるかもしれない。
目的の村は直ぐに見つかった。森に隣接するように、70軒ほどの民家が固まっていた。バルチはいつものように自分でフードを深く被ると、顔が見えないように八十雄にギュッと抱きついた。
村は簡単な柵に覆われているだけで、門番もいなかった。この辺りは商人や旅人の姿もほとんど無く、そのために盗賊の類も出ないのであろか。
「すみません、旅の者ですがどこかに泊まれる場所はありませんか」
門の近くで見かけた老婆に八十雄は声を掛けてみた。わらを編んで履物を作っていた老婆は、突然声をかけられて驚いた様子だった。それでも仕事の手を止め、自分の家に招待してくれた。
「仕事の邪魔しちゃったみたいで悪いね」
「良いって、良いって。暇だったで手慰みにやってたことだで」
この地方でよく飲まれる、渋みの強いお茶を勧めながら老婆はテーブルに座った。
普段であれば、安全な所に行くまでは決して動かないバルチが、急にモゾモゾと動き出した。次第に動きは大きくなり、ついにフードを被ったままであったが、じっと老婆を見つめ出した。老婆にバルチが獣人の子供であることが見つかってしまい、いつもの様に罵声が飛んでくることを覚悟したが、老婆の口から飛び出したのは、まったく反対の言葉だった。
「いやぁ、めんこい獣人様だで。やぁ、婆の腕においで」
「……」
人見知りが激しく、決して見知らぬ人に懐かないバルチが初見の老婆に抱きついていく。最初はおっかなびっくりの様子だったが、次第に落ち着いたのか、老婆の差し出す木の実を美味しそうにモグモグと食べている。
驚いた八十雄は、今までの村で受けた仕打ちを話し、どうしてこんなに優しくしてくれるのか聞いてみた。エンヤと名乗った老婆は話を聞き終えると、静かに口を開いた。
「この村さね、昔、森に攻め込んだランゴバルトの生き残りがつぐった村だで。
わしの息子やとうちゃんも攻めてって、帰ってきたのはとうちゃんだけだった。
とうちゃんも足に酷い怪我をしててなぁ、故郷に帰られんようになったで、そんな兵士が集まってできた村だ、ここはぁ」
「それじゃあ、なおさら獣人族を恨んでいるんじゃ……」
エンヤ婆は、バルチを優しく優しく撫でている。
「そりゃあ、わしも最初は恨んださ。故郷を捨ててここまで来なきゃいけんかったし、息子も殺された。
だけんな、それは間違いだっでぎづいたんさ」
「間違い?」
「そうさぁ。最初に攻め込んだのは、わしら人間。獣人様やエルフ様は、自分の故郷を守っただけでさ。何も悪いことはしとりゃんのさ。
5つの子供ですら叩かれそうになったら叩き返すで、そったらこたぁ常識だで。
わしら人間は驕っとった。自然の偉大さを忘れ、そのすべてを自由にできると思っとったんだろうなぁ」
「驕り、ですか」
「そうだ。女神様はこの世界を御創りになった時、色々な種族を生み出して下さっただ。
人間は平地や草原で暮らし易いように、獣人様やエルフ様は森で暮らし易いようにな。
なして、そったらことをしたのかって思うとったけど、もしかしたら女神様は色々な種族が手を取り合って協力するように、わざわざそうなさったのかもしんねぇなぁ」
木の実に満足したバルチを八十雄に返し、エンヤ婆は立ち上がる。
「この村に宿屋なんかねえけんど、良かったらこの家に泊まってけ。とおちゃんも死んで部屋だけなら余ってるしなぁ。いつまで泊まってってもええど。
そんかし、ろくな食い物はねえけんどな」
そう言うと、エンヤ婆はニカッと笑った。
読んで頂き、ありがとうございました。
2015 1/23 下記の通り修正を実施
断末魔が聞こえようとも、 → 断末魔の悲鳴が聞こえようとも、
バルチはいつもの様に → バルチはいつものように